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「痛くても投げろ」をゼロに。ユーフォリアが挑む、スポーツテック革命

加速度的に進むテクノロジーの民主化

──日本のスポーツ界では、コンディションを言語化、可視化ができないことが問題点として挙げられます。プロの世界でも「投げられるか?」と言われれば、痛くても「いけます」と言ってしまう。そうした気合い文化が根深いなか、ONE TAP SPORTSで疲れや痛みが可視化できるのは大きな一歩だと思います。

橋口 おっしゃる通りの部分もあると思います。まず、ONE TAP SPORTSのようなアスリートマネジメントシステムで、本人の主観的なハリの度合いや疲労度、また様々なセンサーでモニタリングした負荷強度を定量化することで身体に蓄積された負荷はわかります。

同時にそこだけでわからない部分もあります。スポーツサイエンス、プラス根性は今でも変わらずにあるもの。最後の最後で強度の高いプレーをする。最後の一瞬で勝敗を分かつものは、今でも根性だったりします。

これは、スポーツサイエンスを突き詰めた人たちでも、異口同音の意見です。ひとつの判断材料としてはテクノロジーやサイエンスは、いい方向に広まったと言えますが、劇的にすべてがスポーツサイエンスやテクノロジーで解決できるかと言えば、必ずしもそうではありません。そして、それは悪いことではないと思っています。

──スポーツでのデータ活用は当たり前のことになってきましたが、どの領域でもデータによって見える化されているのでしょうか?

橋口 スポーツにおいては、ありとあらゆる領域でデータによる見える化は進んでいます。私たちが、データを見える化するときには、主観と客観の双方のデータを大事にしています。その中でも爆発的にデータ量が増大するのは、当然ですが客観的なセンシングデータです。そしてセンサーによって測定されるデータは、センサーそのものの質が命です。

センサー本体の質が、われわれが業界に携わってきた9年間で飛躍的に高まりました。一方で価格も劇的に下がっています。サイズも小さくなって、軽くなり、精度が圧倒的に良くなった。使い勝手がかなり良くなってきたんです。

──トッププロだけではなく、育成年代でも活用されていますか?

橋口 ものすごく増えていますね。特に野球やサッカーはすごく進みました。GPSデバイスの採用は、日本国内についていえば10年前はラグビーだけ。1個60万円くらいはしたので、15人付ければそれだけで1000万円もかかりました。

高校生では使えない状況でしたが、そこからどんどん価格が下がり、新しいメーカーも出てきた。今だとGPSデバイスのメーカーだけで、50社ほどあります。

──育成年代でも気軽に活用できる状況になってきたと?

橋口 メジャーリーグやプロ野球は、トラックマンが一時期もてはやされていました。あれはミサイル弾道を測定するものをカメラベースでやるもので、かなり大仰なものをスタジアムに取り付けるため、1個あたり数千万円はする高価なものです。

今のラプソードは床置き型で、1個70万円台。高校生チームでも手が届くくらいになりました。テクノロジー活用に興味がある若い指導者の方々は大体使っていますね。高校生でも自分の回転数や回転軸などを知りたいと思っている子がほとんどだと思います。完全に環境が選手、若者の方から変わってきている。テクノロジーの民主化が一気に進んでいると感じます。

メタバースの中で競技が行なわれる?

──2020年代に入って、メタバースやNFTなど、スポーツの新たな可能性が生まれてきています。橋口さんはこれからスポーツがどのように進化していくと考えていますか?

橋口 正直に、すごく解像度が高く、間違いなくこの方向になるなということを常に思っているわけではありません。ただメタバース然り、NFTも然り。スポーツそのものがそういうものとどんどん融合していくことは間違いないと思います。

スポーツとスポーツ以外の境目がどんどん溶け合っていくので、スポーツの中に他のプレーヤーが入ってきやすくもなる。スポーツの価値が相対的にどんどん高まっていくと思いますね。

そうすると、コンテンツバリューに対して、あらゆるテクノロジーを媒介にして外側からいろいろなものが流れ込んでくることになる。それはスポーツにとっては1つのチャンスでしょう。逆に言うと、しっかりと自我を持たなければいけない。そうでなければ本質を忘れ、振り回されることになりかねません。

──メタバースの中で競技が行なわれる可能性も?

橋口 十二分にありますね。それこそテクノロジーは、本来的に人間の能力の拡張です。知的な能力、および肉体的な能力の拡張をするものがテクノロジーで、コンピューターも車も飛行機などもそうですね。

ありとあらゆる方法で人間の能力の拡張を外側から制限したなかで行なわれるのがピュアスポーツだとすれば、そのなかで少しずつ能力を拡張してもいいんじゃないかという考え方が、超人スポーツだとか、サイバスロン。

そういうものがグラデーションに存在していて、その行き着く先にメタバースの中のスポーツも当然生まれてくると思います。

──パラリンピックで議論になったのが、マルクス・レーム選手です。義足のジャンパーがオリンピック記録を上回りました。身体機能を補うテクノロジーはどこまで認められるのでしょうか。

橋口 古くて新しい問題です。そもそもオリンピックとパラリンピックの定義に関わる話だと思います。

オリンピックとパラリンピックを比べたときに、オリンピックの方がパフォーマンスに秀でているという前提に立っているから、パラリンピック選手がオリンピックでコンピート(匹敵)できるレベルになってきたら、入れさせないのはなぜだという話になるんです。

その時代は多分そろそろ終わりつつあって、やがて道具を使うパラリンピアンの一部の選手のほうが健常者よりも速くて、強いという時代になっていくと思います。素材がどんどん良くなってきていますし、トレーニングの方法論も高まってくると、そういう世界になってもおかしくないのです。

であれば、パラリンピアンのトップをオリンピックに入れない制限は、逆に正しいことと判断されると思います。

──F1のようなモータースポーツも、マシンの性能によって大きく左右されますよね。それに近い感覚ですか?

橋口 人間とテクノロジーの融合する先には、どうしてもそういう問題が生まれてきます。マラソンのヴェイパーフライもそうですし、昔の水泳のレーザーレーサーもそうですね。

本来的にスポーツはテクニックの世界です。テクニックというのは一人の人間の身体性の中に閉じていて、容易には共有されたり伝播したりしない。そういうテクニックの勝負をやっているなかにテクノロジーが入ってきたことで、そこに一時的にアンフェアネスが多少入ってくるのは仕方ないことです。

ルールの中で、明らかにそこが逆転できないようなレイヤーに押さえ込もうとすることが、これまでルールメイカーであるIF(国際競技連盟)が懸命にやってきたことだと思います。ただ、モータースポーツになるとそこを越えてしまう。その境目のひとつが、おそらくパラリンピックの車椅子ではないでしょうか。

──車椅子が境界線ですか。

橋口 自転車はすでに越えています。テクノロジーの力によって、テクニックの差で逆転できないほどの差分が生まれてしまう領域に入っているので、安価な自転車で勝負するのは既に相当難しい状況です。車椅子は境界域に存在していて、その境界域を越えてくると、テクノロジーが勝負に与える影響はかなり大きくなってしまいますね。

──そんななか、橋口さんがやられているコンディションは、どこまでも人間寄りですよね。

橋口 われわれがやっていることは、生身の人間がケガをせず、フルパフォーマンスを発揮することを担保するためのものです。コンディションを高めるための方法として、テクノロジーを使っています。

ただし、テクノロジーの多くはお金がある人は使えるけれど、お金がない人は使えない。現状、まだ不公平感があることは否めません。これをどんどん民主化して、どんなところでも使えるようにするのが、この先の未来だと思っています。

■プロフィール
橋口寛(はしぐち・ひろし)

早稲田大学教育学部を卒業後、メルセデスベンツ日本法人にて販売店ネットワークの経営改善業務に従事。米国ダートマス大学Tuck SchoolでMBA取得後に、アクセンチュア戦略グループに入社。その後はコンサルティング事務所を設立し独立。2008年に株式会社ユーフォリアを設立し、企業再生、新規事業立ち上げ、マーケティング、システム開発などをサポートしてきた。現在は、ラグビー日本代表はじめ多くの日本代表やプロ野球、JリーグBリーグなど1700を超えるチームに「ONE TAP SPORTS」を提供している。

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