吉田七名海「葛藤するサラブレッド」_ CROSS DOCUMENTARYテキスト版
あっという間の出来事だった。マット上で対峙(たいじ)する2人の少女。より小柄な彼女が、より低い姿勢で相手の懐に飛び込み高速タックルを決めた! 時間にして僅か0・4秒。 女子レスリング・ジュニアクイーンズカップ43㎏級決勝。15歳の中学3年生、吉田七名海が躍動していた。だが……。
「レスリングが特別好きっていうわけじゃないんですよ。どちらかと言えば嫌い……」
そう語る表情は、どこか苦しそうにも見えた。吉田姓の呪縛なのだろうか?
彼女の叔母は、吉田沙保里。オリンピック3連覇、個人戦206連勝、霊長類最強女子とまで呼ばれた、レスリング界のスーパーレジェンドである。
七名海はこの世に生を受けたその瞬間から、マットに上がることを宿命づけられていた。選択肢はなかった。それが前述の言葉に表れたのかもしれない。
しかし、七名海はマットを降りない。勝利を求め続けている。複雑な彼女の戦う原動力を知りたくなった——。
三重県津市。七名海に案内され、彼女が住み暮らす自宅を訪ねる。祖母の幸代さんが出迎えてくれた。レジェンド・吉田沙保里の母である。
自慢の娘と孫。2人が獲得したメダルや賞状を、惜しげもなく披露してくれる。七名海は隣で笑っていた。嫌がる風はない。
実際のところ、練習も一切手は抜かない。同じくレスリングを学ぶ弟の海人や、妹の湖々未の練習相手にもなって、頼れるお姉ちゃんをしっかり務めている。でもやっぱり、彼女は複雑だ。
「吉田家に生まれてきたら、レスリングしないといけない……。それがなければどんなに楽かと思っちゃいます」
遊ぶ時間なんかない。学校の友達を見れば、羨ましくてたまらない気持ちになる。
「こんな家に生まれてこなけりゃ、みたいな感じになります……」
自宅にあるという練習場を見せてもらった。7年前に他界した祖父・栄勝さんが、自分の子供や孫、そして近所の子供たちのために作ったレスリング道場だ。
吉田家はその栄勝さんを筆頭に、2人の息子、長女の沙保里、そして七名海を含めた7人の孫全員がレスリング選手という、正にサラブレッド一族なのである。
本来なら、この道場も血筋も恵まれた環境と呼ぶにふさわしい。だが同時に、七名海の抱える葛藤も理解できる。逃げ場はどこにもなかった……。
最強のDNAを受け継ぐ吉田七名海は、叔母の沙保里が初めてのオリンピックチャンピオンに輝いた2年後、2006年に産声を上げる。
物心が付き始めた頃、沙保里が北京でオリンピック連覇を果たす。その後間もなく、七名海のレスリング人生が3歳で始まった。
祖母の幸代さんはいう。
「かわいそうといっていいかどうかは分かりませんけど、吉田家に生まれた宿命なんでしょうね。選ぶことなんかできない。娘(沙保里)も、よくそういってました」
レジェンド・吉田沙保里もまた、自ら選んだ道ではなかったと語る。
「私もレスリングを辞めたくて仕方ないときがあって……。でも結局、父が怖くていい出せませんでした。いっても辞めさせてはくれなかったでしょうけど」
自分の意志とは無関係に始まったレスリング人生。しかし七名海は、叔母の沙保里同様、出場する大会では連戦連勝! 全国規模の大会になっても勝ち続けた。
自宅道場での練習が始まった。あれだけ苦しい胸の内を語っていた七名海の表情が、一変する。弟や従姉妹たちを相手に、実戦形式のスパーリング。七名海は低い体勢から、あっという間にタックルに入り、彼らを倒していく。
指導者で叔父の栄利さんは、彼女の技に入るタイミングのよさを高く評価している。
「しかも速い。スピードとタイミングのバランスがよい。そうすべきことは誰もが知っているんだけど、誰もができるわけじゃないんです」
その七名海が得意とするのは、高速タックル。叔母・沙保里の代名詞ともいうべき技だ。春のジュニアクイーンズカップ決勝では、セコンドにつく沙保里の目の前でその高速タックルを決め、優勝を飾っていた。
激しい練習を終えると、みんなで握力の計測勝負に興じる。大笑いしたり、負けを認めず悔しがったり。屈託のない一面をのぞかせる七名海。
ちなみに彼女の握力は、さほど強くない。弟にも従姉妹(いとこ)にも完敗……。図らずも、レスリングが単なるパワー勝負ではないことを証明していた。
自宅のキッチンで、夕飯の用意を手伝う七名海の姿があった。弟や妹も加わって今夜のメニュー、手作りぎょうざを鋭意制作中。家事の手伝いは、母・恵理香さんの方針だ。
和気あいあいと料理する様子に、弟と妹が七名海を慕っているのがよく分かる。実は、これこそが複雑な彼女を象徴する光景なのかもしれない。
食事の後は、道場でのジュニアレスリング教室。ここでも七名海は自らの練習の傍ら、教室に参加する年下の子供たちの面倒をよく見ていた。
「レスリングを続けるか、勉強のほうにいくか迷っていて……。保育士になりたいんです」
いつの間にか芽生えていた夢。思いつきじゃない、本気で考えている。でもその一方で、好きではないはずのレスリングを、諦めたくない気持ちもあった。
「オリンピックに出たい思いもあります」
そんな孫の気持ちを知る幸代さんは、今は静かに見守っている。
「レスリングに限らず、誰しも通る道だと思っています。辞めるのは簡単で、続けることのほう難しいとも思います。でもやっぱり続けてほしい。自分のために」
朝、日課のランニングに出る前に、七名海はしっかり日焼け対策。15歳の女の子だ。叔母の沙保里には、ちゃっかりコスメ用品をねだっているらしい。
それでも、ひと度足を踏み出せば弟の海人と競い合うように走りこむ。実はここに七名海がレスリングを諦めたくない、その原動力があった。
「兄弟が頑張っているから、自分も頑張りたいと思わせてくれるんです」
兄は県外の高校で、弟と妹、そして従姉妹たちとは共に汗を流し、日々精進している。
吉田家の宿命を背負っているのは、七名海だけじゃない。迷いは否定しないが、自分だけ逃げるという道も存在しないのだ。
だから七名海は今日も、弟や妹を教え、教えることで自らも学んでいる。
七名海は叔母・沙保里からの映像メッセージを食い入るように見つめていた。
「レスリングへの気持ちがゼロになったのだとしたら、辞めたってかまわないよ~」
一番の理解者で、吉田家の宿命を背負った先駆者の言葉一つひとつに、七名海はしっかりと頷(うなず)く。
「レスリングを続けるも辞めるも、保育士を目指すのも、選択肢はたくさんあるから。まだ15歳、悔いなく楽しく過ごしてほしい……」
多分、これから何があっても、どんな選択をしても、沙保里は味方でいてくれる。それが分かるからこそ七名海は言葉の重みを感じ、涙ぐんでいるように見えた。
「……と思います、おばちゃんは。おばちゃんていわせたくないんで、沙保里って呼ばせてるんですけどね」
最後に場を和ませることを忘れなかった叔母に、七名海は笑顔を取り戻す。
ある日、自宅道場で叔父・栄利から厳しい指導を受ける七名海の姿があった。得意の高速タックルをタックルだけで終わりにせず、連続得点に結びつける術を学ぼうとしているのだ。
「今までは、タックルの得点で終わってしまっていたので、いつも接戦。試合運びに余裕がなかったわけです」
吉田家の宿命を取るか、保育士という自分の夢を取るか、おそらく彼女の中ではまだ何の折り合いもついていないだろう。取りあえず決めてあるのは、来年からの高校生活でもレスリングを続けるということだけだ。
だが、ハッキリしていることもある。それは今、正に行っている練習で、彼女が圧倒的な強さを身につけようとしていることだ。
来年2022年、地元・津市で国内外から800人以上の選手を招いての、吉田沙保里杯が開催される。七名海はもちろん出場するつもりだ。どんな姿で、どんな進化を遂げてマットに立つのだろうか?
吉田七名海、15歳。彼女は、レジェンド・沙保里がそうであったように、吉田家の宿命すら原動力に変えてしまうような、可能性という名の眩(まぶ)しい光を放っている。
TEXT/小此木聡(放送作家)
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