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長谷川太郎(元甲府)の夢は、「2030年までにW杯得点王を育てる」。

インドでの経験から感じたこと

——長谷川さんはJリーグだけでなく、浦安SC(社会人リーグ)やインドでもプレーされています。Jリーガーとして引退することもできたと思うのですが、なぜ現役にこだわったのでしょうか。

J2からJ1への昇格、JFLからJ2への昇格など、本当に様々な経験をさせて頂いてきたので、社会人クラブチームの浦安に入る前は止めることも考えていました。

実は浦安に行く前からタイやシンガポールなどの海外からのオファーもあったんです。でも日本にいないとJリーグには戻れないでしょうし、だからといって浦安もJ参入の基準を満たしていないと考えた時に、頭の中に引退の文字がよぎりました。

ただ、子供達に教えている時に、ふと自分はサッカーでやり残したことはないのか、と思ったんです。確かにJリーガーとして復帰するには年齢的にも厳しいのは分かっていましたが、諦めた形で止めるのも嫌でした。ちょうどその時に自分は海外に行きたかったことを思い出したので、挑戦することを決めました。もちろん家族には、最後だからやらせてほしいと伝え、説得しました。

——ご家族の方もいきなり海外に行くと言われたら驚きますよね。

何とか家族の了承を得て、まずはタイへ渡ることにしたのですが、当然現地のチームに全くあてはありません。とにかく行けば何とかなると思っていたので、着いてからは練習場に行ったり、人に聞いたりして、いろいろ探し回りました。しかし既にどこも選手枠が埋まっていたんです。もちろんその間は練習もろくにできないままでした。

——時期的な問題もあったわけですね。

そんな中、チェンマイに行けばまだ選手獲得の話があるという情報を聞いたので、チームに連絡を取り、現地に向かいました。その日は練習試合があるということで準備をしていたところ、チームのコーチから「お前は誰だ?」と声をかけられました。本当は練習参加させてもらうことになっているはずだったのですが、どうやら現場には連絡が行っておらず、結局参加させてもらえませんでした。でもたまたまチェンマイに名古屋グランパスが来ていて、当時の監督である西野朗さんなど、知っている方が多くいらしていました。そこで所属先を探していることを伝えたところ、対戦相手のチームに一緒にお願いをしてくれて、練習試合に出してもらうことができました。しかしやはり練習不足からなのか、全然動けなかったんです。

——練習不足のままで、いいパフォーマンスを出すのは難しいですよね。

めげずに次の日にも他のチームに売り込みに行き、あるクラブでは練習試合でいい動きができたおかげで、練習参加の許可ももらうことができました。しかし、同じタイミングでインドのチームからもお話を頂くことになります。そのチームは映像なども既に見ており、自分に興味を持っていて、アジア枠が空けているということでした。インドは給与未払いが起こるかもしれないとも聞いていましたが、最終的に行くことを決めました。ちなみに家族にはインドやインドネシアには危ないので、行かないでほしいと言われていたんですけどね。ただカレーが大好きな僕の中ではグリーンカレーは食べ飽きたから、インドカレーを食べに行く!くらいの感覚でした(笑)

——危ないと言われていたインドに実際に降り立ってみて、いかがでしたか。

まず、契約期間は3ヶ月だったので、それが終わった後に引退しようと考えていました。

インドの空港に初めて降り立った時は予想以上にすごいところで本当に驚きました。夜中の3時頃に空港に着いたのですが、手続きに長く時間がかかったり、空港を出た瞬間にインド人に囲まれたりもしました。野良犬も多いし、道もガタガタでとんでもないところに来てしまったと感じました。着いたホテルも牢獄みたいでしたね(笑)

——インドの洗礼を受けたんですね(笑)

現地に着いたその日は練習がないと聞いていたので、ホテルで寝ていたところ、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえるんです。渋々ドアを開けてみるとチームの人がいて、これから練習があると言われました。仕方なく支度するために顔を洗ったところ、どうやらその水が汚かったようで、結局目がほとんど開けられない状態で練習見学に行くことになりました。

しかもグラウンドに行って練習を見ていたら、いきなりスパイクを履くように指示されたんです。でもさすがにそこまでハードなことはしないだろう、と思っていたら紅白戦をやっていて、出ろと言うんですよ。4時間ほどしか寝ておらず、朝食も食べていない上にノーアップで試合に出たら、当然まともにできないです。でも何とか乗り切って契約できたという感じです。

——インドの選手はどのくらいの金額で契約しているのでしょうか。

いい条件の選手は月に100万円ももらっている人もいます。自分は途中からでしたし、ハーフシーズンの契約だったことに加え、練習でのコンディションの悪さからさらに条件が悪くなりました。

——先ほどのような状況であれば、本来の力が出せないのも当然ですね。

——そのような苦労をして、最後に海外でプレーしたことでどのようなものが得られましたか。

昔から現役の最後は海外で終えたいと考えていました。何でもそうですが、一度それから離れてみないと分からない良さや大事なものがあると思います。今回サッカーを止めて離れている間にも、警備員や整骨院のアルバイトをしてみたりしました。どれも一度外からサッカーを見てみたいから始めたことです。

——客観的な視点でもう一度見直すことで見えてくるものがあるということですね。

そして日本からインドに行って感じたのは、普段僕らにとって当たり前になっていることが当たり前ではない世界が存在しているということでした。感じたことをふまえて、例えば今子供達には食事の際の「いただきます」の大切さを伝えるようにしています。海外では鳥などは捌くところから見られるようになっていますが、日本ではなかなかそういったことはしないので、命について考える機会がないわけです。一見すると残酷なようにも思えますが、それを見ることで、作ってもらった人への「いただきます」から命を「いただきます」という意味を考えるようになると思います。

他にもインドでは家がなくて外で寝ていたり、言葉を話せなかったりする子供達がいて、そういう子は働ける年齢になっても、できる仕事が限られてしまいます。一方で日本ではまずそういうことはないので、ありがたいことです。

あとは海外でも自分が想いを伝え続けていけば、協力してくれる人がいるというのを学ぶことができました。

長谷川太郎

——10月4日に引退試合が開催される予定となっていますが、クラウドファンディングでその資金を集められていますね。集めることになったその経緯を教えてください。

昨年末、浦安SCはJFLに昇格できるチャンスを逃してしまい、みんなすごく落ち込んでいました。そこで現役選手とOBがそれぞれチームを組んで、真剣勝負をするような機会をつくり、それを自分の引退試合という形で行えば人も集まってくれるだろうと考えました。同時に浦安を盛り上げることにもなります。

今回、これだけ大きな規模で開催できることになったので、より多くの方に引退試合について知ってもらいたいですし、自分も皆さんに恩返しできる機会にしたいです。しかし、そのためには活動・運営費がかかってしまうため、クラウドファンディングでお願いすることにしました。

呼んでいる選手・OBの方も今の子供達には分からないかもしれませんが、その親世代の方々であればみんなが知っている人に来て頂く予定になっています。このイベントを楽しんでもらうことを通して、自分がいた浦安というチームがこれだけ温かくていいところだと感じてもらうことが、一選手として最後に自分ができる恩返しだと考えています。

——最後にこれからプロを目指す選手に向けてメッセージをお願いします。

まずはシュートにおける駆け引きをうまくできるようになってほしいと思います。そして自らが点を取ることが自信に繋がります。その過程を考えること含め、サッカーのプレーにおいてだけでなく、人間として自信を持つための武器を選手達にはつくっていってほしいと思います。

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