中田麻衣子は、なぜ地元・宮城に戻る決断をしたのか? 

サッカーを通して被災地復興支援へ

-そして現在は東日本大震災の復興支援の活動をされています。

震災のあった2011年はちょうど大学を卒業して、社会人になるタイミングでした。まだ仕事も決まっておらず、サッカーを辞めて地元に戻った方が復興のために何かできるかもしれないと、初めは思っていました。しかし、なぜサッカーを辞めたのか問われた時に震災のせいにしてしまったら、後悔するような気がしていたんです。私はそうならないようにしたいし、現役でいた方が自分にできることも多いと判断しました。それで現役を続けるとともにチームに相談して、チャリティフットサル大会などを企画していくことになります。そのイベントは年に1度のペースで継続させていきました。現役を引退してからはより直接的に支援をしていきたいと考えていたので地元に帰り、子供達を対象にしたイベントをすることにしました。

中田麻衣子

-具体的な活動について教えてください。

南三陸の伊里前商店街の方々にお世話になっていたので、そこの近くの小学校をお借りし、地元の近隣のチームなどを集めて、私がやっていたスクールの子供達も一緒に交流会を兼ねたサッカークリニックを行ったのが1回目のイベントです。

2回目は過去ベガルタ仙台にも所属し、現在海外でプレーされている伊藤壇選手が帰国するタイミングで一緒にサッカークリニックを石巻で開催しました。100人を超える子供達が集まってくれました。

石巻で行われたサッカークリニック

サッカークリニックには多くの子供達が集まった

-復興支援について誰も何かやりたいと考えていますが、実際に実行できている人は少ないと思います。

なでしこブームも来ていた中で、私にも何かできることがあるのかな、と考えたんです。それで一緒に女の子達と練習をしたりしていました。すると実際に近くでプレーを見て、女の子でもここまでできるというのを見られてよかったという声を頂くこともあり、一緒にボールを蹴る機会をつくっています。今は時間ができるとSC MIYAGIさんと気仙沼西高校さんに行かせてもらっています。

特に市内の中心地から離れたところでは既に過疎化が始まっていて、学校でもどんどんサッカー部がなくなっているのが実情です。SC MIYAGIさんも気仙沼西高校さんもそうで、部員が4、5人しかいません。

中田麻衣子

-活動としてはやはり地元である宮城を中心にやっていくということでしょうか。

そうですね。宮城を中心に行っていく予定で、今はヴォスクオーレ仙台でも働かせてもらっています。

-どろんこになりながらサッカーをするイベントにも参加されていましたね。

愛媛県の愛南町で行われているどろんこサッカーというイベントがあって、お声がけ頂いていたのですが、現役時代はチームに所属していたので、行くことができなかったので、引退してから知人に協力していただき、岩手県奥州市で開催させていただきました。

-そういったイベントを通してより多くの人に笑顔を届けられるといいですね。

そうですね。今ヴォスクオーレ仙台で仕事をしていて、様々なイベントに参加したり、自分が主催したりすることは地域貢献にあたるので、どんどんやっていってほしいと言われています。それはサッカーやフットサルに限らず、被災地支援に繋がることであれば、クラブや私のやりたいこととマッチしてくると思いますので、積極的に行っていきたいです。

-最後に中田さんの今の目標を教えてください。

フットボールを通していろいろな人と関わり、時間を共有して、楽しいことをたくさんしていきたいです。そして一緒に笑顔でいられる時間が長くなればいいなと思います。

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