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日本人未踏の地・NFLに挑む栗原 嵩。夢への想いと若き選手達へ「今」伝えたい事

【栗原 嵩(くりはら・たかし:アメリカンフットボール)】

高校から競技を始め、名門・法政大学に進学し、卒業後はXリーグ・パナソニックインパルスに入団。怪我を乗り越え、3年目にNFLへの挑戦を決意し、ボルティモア・レイブンズのキャンプに参加した。チームへの加入は叶わなかったものの、そこでの実力が認められ、契約を前提としたトレーニングキャンプへの招待を受けている。未だ日本人が誰一人としてプレーしたことのないNFLに最も近い選手だと言われている。現在はXリーグ・IBMビッグブルーに所属。

今回は学生対象の個人クリニック開催に伴って、選手としての想い、そしてこれからを担う若い選手に向けたメッセージを話してもらった。

本場でアメリカンフットボールをプレーすることへの憧れ

-まず、栗原さんのスポーツ経歴を教えてください。

小学生の時は野球と水泳、中学生の時はバレーボールと走り高跳びをやっていました。ただ、だいたいやると何でもできるタイプだった上に飽きやすかったので、どれもすぐに辞めていました。アメリカンフットボールを始めたのは高校からですね。

-なぜアメリカンフットボールだけは他の競技と違って続けられたのでしょうか?

中学時代から洋楽を聴いていて、アメリカという国に憧れがありました。そこで一番盛んなスポーツの1つがアメフトだったんですよね。僕がアメフトを始めたいと思ったきっかけもアメリカで最も大きな試合の1つ、スーパーボウルをたまたまテレビの深夜放送で観たことでした。(※)バッカニアーズが優勝した年の試合ですね。

※第37回スーパーボウル。2003年1月26日に行われ、タンパベイ・バッカニアーズがオークランド・レイダーズを破って優勝した。

-栗原さんは怪我をしたことで選手として転機を迎えたそうですね。

大学時代は結構大事な時に怪我をしていたのですが、学生最後の大会である甲子園ボウルにもそのまま無理矢理出ました。膝の怪我を抱えたまま大学を卒業して、パナソニックに入団したのですが、やはり1年目は痛くて思うようなプレーができないままでいたんです。でも、2年目の途中でいい治療院に出会って本格的に治療を始め、3年目になってようやく自分のベストなプレーができるようになりました。それでアメリカに挑戦しようと思ったわけです。

-今まで全然治らなかった怪我が突然、そんなにも良くなるものなのでしょうか?

それまでいろいろな病院に行きましたが、原因を言われるだけで具体的な解決策はないままでした。でもやっと大阪のとある整骨院にたどり着いて、的確な治療方法を見つけたんです。リハビリやトレーニングを頑張ったのもありますが、そこでの治療を始めたことによって急に怪我が良くなって、全力で走れるようになりました。

-海外に行きたいということはずっと考えていたのでしょうか?

高校時代にアメフトを始めてからNFLでやりたいという思いはずっと持っていました。

元々高校、大学時代から海外でプレーした方がいいと周りからは言われることも多かったのですが、そもそも行き方も分かりませんし、きっかけもありませんでした。でも、挑戦できる時にしておかないと後悔すると思ったので、とにかく実際にアメリカに行ってチームを探し、トライアウトを受けることにしました。

-アメリカンフットボールの魅力を教えてください。

あらゆる要素が詰め込まれたスポーツであるところです。体格やスピードの他に戦術を覚えてしっかり実行する頭の良さ、相手チームをスカウティングする分析力等が必要になります。あとはエンターテインメント性が高いですよね。

栗原嵩

-競技を続けてきて一番嬉しかったことを教えてください。

初めてNFLのキャンプに行った時に、一番初めの1対1の練習で相手の黒人NFL選手をちぎってタッチダウンを取ることができたんです。そこから僕に対する周囲の見る目が変わっていきました。そのキャンプの期間中、僕は絶好調でイメージ通りのプレーができ、自分が出せる100%の力を示すことができました。

実際に、NFL・ボルティモア・レイヴンズからサマーキャンプに呼ばれました。サマーキャンプに呼ばれるイコール、チームのロースター(支配下)に入ることになるので、契約してお金がもらえます。ちゃんと僕の実績とプレーを見て、評価し、契約したいと言ってもらえたことが一番嬉しかったです。ヘッドコーチも僕のことを評価してくれていて、後日、日本人記者が別のNFLの取材で行った際には「クリハラのことを知っているか?彼はすごかった」と言われたそうです。

-逆に辛かったことは何ですか?

高校はめっちゃきつかったですね。練習も大変でしたし、みんなが参加している文化祭とか卒業旅行とか、部活で全然行けませんでしたから。

あとはアメリカのチームのテストを転々と回っても決まらなかった時はきつかったです。日本人だから契約できないと言われたこともありました。

でも一番辛かったのはレイヴンズと契約したいと言ってもらえたのに、ビザの問題があって実現しなかったことです。同時に一番嬉しかったことでもあるわけですが。

栗原嵩栗原選手の個人クリニックには全国から多くの学生が集まった

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