アジア得点王は現役慶應生!日本女子フットサル界のホープに迫る
フットサルの男子日本代表がW杯を逃したことは記憶に新しいが、悪いニュースばかりではない。実はJFAは女子のフットサルにも力を入れ始め、着実にレベルは上がってきている。その現状を代表する選手が吉林千景だ。彼女は昨年度のAFCアジア選手権で大会最多の7得点を記録。そして、彼女は現役の大学生。サッカーでも将来を有望視されていた選手でもあり、異色の経歴の持ち主とも言える。
サッカー経験を糧に、フットサルの道を歩む
-まず、スポーツの経歴からお伺いしていければと思うのですが、元々はサッカーをやっていたんですよね。どういった経緯でサッカーを始めたのでしょうか。
お兄ちゃんがやっていたのもあって、ボールを蹴り始めたのは4歳です。あとは水泳とピアノもやっていました。ピアノはやっていたのですが、本当にサブの立ち位置です(笑)元々千葉に住んでいて、今の町田に引っ越したのが小学校4年生の時なのですが、その頃にピアノを辞めたんです。怖い先生だったので、辞めたいと思っていました。水泳はサッカーより前からやっていたんです。すごくまじめにやっていて、バタフライと平泳ぎの選手コースに通いつつ大会にも出ていました。でも、バタフライって体を反るじゃないですか。それで腰がめちゃくちゃ痛くなって(笑)お医者さんに行ったら『サッカーか水泳か、どちらか一本にしないとダメだ』と言われて、即答でサッカーと選びました。
-吉林さんは日テレ・メニーナ(日テレ・ベレーザの下部組織)でやっていたと聞きましたが、フットサルに転向したのはいつごろでしょうか。
高校3年生の最初です。1番のきっかけは大学受験で、元々フットサルに興味はあったんですけど、私が進路を決めるときはなでしこジャパンがW杯で優勝する前。どうしても“女子サッカーだと将来が厳しい”というのがありました。将来を見据えたときに進学先をどうするか悩んで、最終的には大学ではサッカーをやるのではなく、受験して勉強をしたいという思いが勝りました。それで現在も通っている慶応義塾大学の総合政策学部に進学しました。そこでプレーをしながら勉強することは厳しいと思ったので、スパっとサッカーはやめたんです。
ただ、元々興味があったフットサルは練習回数が少ないこともあったので、大学に行きながらでも出来るだろうと思いました。それで、メニーナを辞めたタイミングで、今入っているVEEXというチームの前身であるファンフットサルクラブに入りました。これがフットサルに転向するきっかけです。入った理由は他にもあって、体を動かしたかった、ボールを蹴り続けたかった、知り合いがいて家から近かったというのもあります。
-やり始めてすぐに馴染むことが出来ましたか?
いや、1年目は受験がメインで、大学に受かるまでという中でやっていました。なので、入ったけれど週に1回練習に行けるか行けないかという感じでした。練習に行けたとしても、周りは日本トップの選手ばかりだったので、怒られて帰るという日々が続きました。馴染むまでに1年以上かかったと思います。
-馴染んだ後の成長は早かったですか?
そうですね。サッカーとフットサルは違いますけど、その差をちょっと理解してきてから、“サッカーをやってきた経験はフットサルにこういう風に活かせるんだ”というのを少しずつ自分の中で整理できるようになってきました。そこからは結構早く順応できたかなと思います。
得点力を武器にフットサル日本代表で活躍
-吉林選手の魅力は得点力だと思うのですが、得点を取るために心がけていることはありますか?
すごく考えてプレーをしているときほど、あまり点を取れないんですよね。例えば大事なアジアの大会において点が入った時って“考えてやっている”よりも“本能でやっている”ことが多くて、気づいたら点が入っている感じです。ただ、シュートを多く打つようにすることは心がけています。
-昨年のAFC女子フットサル選手権で得点王(7点)となりましたが、大会が終わりに近づくにしたがって、その地位が見えてきたと思うのですが、意識は変わってきましたか?
少しは意識していたのですが、それよりもチームとしての優勝というのが本当に大事だったので、特に決勝は得点王のことは何も考えていなかったんです。あの大会はマレーシアの選手と得点数は同点だったものの、アシスト数で負けてしまったため、盾が貰えませんでした。でも、目標として得点王というのは常に、どの大会でも狙っています。
-話が前後するのですが、フットサルの日本代表に選ばれるまでにかかった時間はどれくらいなのでしょうか。
始めてから1年半くらいだと思います。
-馴染んだと思ったら代表と。それも凄いですね。
そうかもしれませね。でも、代表に入った時にフットサル選手になりきれていたかと言われると全然、そうではなかったと思います。若さもあって、期待されて呼ばれたのかなと思います。
-サッカー選手時代に世代別の代表経験はあるのでしょうか。
U-17の日本代表候補ですね。U-17のW杯の大枠の候補くらいまでは入っていたのですが、本戦はいけませんでした。なので、サッカーは中途半端だったんですよ。そして改めて周りがスーパーだったんだなと。
-とはいえ、サッカーとフットサル両方で日の丸を背負える人もなかなかいません。
あの時にU-17W杯に行けなかったというのが大きかったかなと。行けていたらサッカーをやっていたかもしれないので…落ちてよかったという訳ではないですけど、あの時に味わった悔しさがあるから今、頑張れるというのはあります。今はフットサル日本代表に選んでもらっていますが、選出されない悔しさも私は味わったことがあるので、そういう意味ではいい経験だったかなと思います。
-スペインに留学しようと思った経緯を教えて下さい。
大学でフットサルを始めた時は海外に行くことなんて考えていませんでした。その時はただ”ボールを蹴りたい”としか思っていなかったんです。でも、代表に入る前の大学1年生のころ、本格的にフットサルをするようになった時に、『日本代表を目指しなよ』といろいろな人に言われるようになって、世界を考えるようになりました。
学生のうちだからできることもあるだろうとも思いました。スペインやブラジルにはフットサルの文化があるし、代表チームも強い。そういう国に行ってみたいとちょっとずつですが思うようになっていきました。
そんな時、たまたま男子の代表監督のミゲル・ロドリゴさん(当時)の友人であるスペインの指導者の方が中心となって、向こう(スペイン)で行う合宿があったんです。そこで『日本から何人か参加しないか』と声をかけてもらいました。その時はただの合宿だと思っていったんですけど、これがセレクションというか、トライアウトみたいな感じだったんです。色々な指導者が見に来ていて。それでアリカンテ大学というチームから話が来て、留学するという流れになりました。
-聞いた話だと、スペインでは子どもでもアマチュアの試合でも街同士の戦いですごく盛り上がって、みんなが白熱して見るそうですね。フットサルもそうなのでし**ょうか。**
私がいたのは大学のチームだったので、そこまで地域に根付いたというものはありませんでした。ただ、地域に根付いたチームとアウェイで対戦すると、相手の応援が大きいということはありました。あとは、自分の試合ではないのですが、私の住んでいたところの近くに、ムルシアという地域があって、そこにあるエルポゾというチームが凄いんです。スペインの有名なフットサルチームなんですけど、そことバルセロナが試合をする時の応援は迫力と盛り上がりがすごくて、「文化が違うな」と思いました。
-それを実際に見ることで刺激を受けませんか?
そうですね。日本にいる時は映像でしか見られないスペイン代表の選手が目の前でプレーをしていて、ブラジル代表もいると。映像で見るのと現地で見るのはやっぱり違うなと思いました。
-とても良い経験ですよね。それで、2年目から国費留学生となったと。
そうです。それは官民共同プロジェクト“トビタテ留学ジャパン”という文科省がやっているものがあるのですが、協賛している企業が対象の学生にお金を出すという形です。対象者の中には理系に強い人とか、アジア地域を盛り上げていきたい人とか、色々な枠があるのですが、その中で私は芸術・スポーツの枠で行かせてもらいました。渡航費や生活費を自ら出さなくて良くて、補助を貰えるんです。それに加えて、留学に行く前と行った後にはセミナー形式のブラッシュアップの機会も設けてもらいました。この経験も良かったなと思っています。若いスポーツ選手というのはあまり他の分野と繋がることがあまりないなと感じていたのですが、そこで日本でも勉強でトップにいる学生達と同じ時間を共有することができて、今でも交友関係が続いています。そういう人達も、今までフットサルというスポーツに興味がなかったけど、知り合ったことで私のやるイベントにみんなで来てくれるようになりました。
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