尾崎惇史は、どうやってインラインアルペン代表に上り詰めたのか?
2018年に世界選手権が日本にやってくるインラインアルペン。インラインスケートを履いて、街中の舗装された道の斜面を滑る競技だ。途中に設置されているゲートを通過しながら進み、ゴールまでのタイムを競う。スキーのアルペン競技の陸上版だ。
今回はそのインラインアルペンの日本代表、尾崎惇史選手に話を伺った。実は尾崎選手、大学入学までほとんどスポーツ経験がなかったという。また、世界との壁を感じ、一度は現役を退いている。それでも再び選手として活動を始め、世界と戦い続ける理由とは。
始めても続かない。スポーツとは縁のない子供だった。
——まず、スポーツ経歴を教えてください。
小学校までは週1回くらいのサッカーと体操をやっていました。また、母親の影響で年1,2回くらいスキーもやっていました。ただ、中学と高校はほとんどスポーツを何もやっていなかったんです。中学1年の2ヶ月くらいだけサッカー部に所属していて、高校ではテニス部に入りました。ただ、どれもこれも練習はサボってばかりで、月1回もやりませんでした(笑)
——スポーツとは縁のない生活を送っていたんですね。
そうですね。高校ではテニス部のほかに、1年だけ軽音部に所属していました。ドラムをやっていましたが、全然練習もしていなくて、簡単な曲しかできなかったです。
——インラインアルペンとはいつ出会ったのでしょうか?
大学でスキー部に入って、3年生の時に練習メニューを考える立場になりました。その時に、インラインアルペンをスキーのトレーニングとして取り入れることになったのが競技との出会いです。彩湖道満公園で活動しているチームaQuaにお世話になるようになりました。
——なぜスキーのトレーニングとして、インラインアルペンを取り入れることになったのですか。
インラインアルペンもスキーと同様、滑走する物の上に乗って体を動かすので、慣性力がかかっている状態に慣れることができるんです。ターンの動きがあったり、似たような筋肉を使ったりと、スキーに非常に近い競技だと思いますね。一方で、使っている道具がまったく違いますから、技術的、感覚的な違いはあります。
——スキーには当然専用の板とストックがあるわけですが、インラインアルペンにも専用の道具があるのでしょうか?
現時点ではほぼないです。なのでインラインスピードスケート競技用の靴を使ったりしていました。でもそれだけだとスピードは出ますが、横の動きに限界があるので、今年からはフィットネスブーツの上位機種を代用しています。
でも実はストックはスキー用なんですよ。ただ、ストックの使い方がスキーとはそもそも全く違っています。スキーのスラローム競技だとストックはバランスやリズムを取るのに使う一方で、インラインアルペンではストックを持った手を事前に前に出し、束の部分でゲートを倒した上でそこを自分が通過するために使用します。毎回自分の体でゲートの衝撃を受けてしまうと減速してしまいますから。
そういった違いなどがスキーヤーの人を戸惑わせてしまう部分でもあり、インラインアルペンをする上で抵抗を持たれてしまうことがあるので、残念です。
専用の道具はない。ストックは激しい練習により、1日で曲がってダメになってしまうことも。
競技転向と選手としての挫折。一度指導者になって見えてきたもの。
——なぜ尾崎さんはインラインアルペンを、競技としてやり始めたのでしょうか?
今はもうないのですが、当時はインラインアルペンジャパンカップという大会がチームの練習場所でたまたま行われていたので、スキーができない夏場はその大会に向けてトレーニングを積んでいました。そうしているうちに、スキーよりインラインアルペンのほうが面白いと感じてきたことがきっかけです。今もスキーは遊びで楽しくやっていますよ。
——競技としてインラインアルペンに向き合って行く上で、苦労したことを教えてください。
実は2012年途中から1年間選手をやめて、コーチに専念していた時期があるんです。2010年に初めて世界大会に参加して、世界とのレベルの違いを痛感したんですが、そこからさらに2年間練習を積んで再び2012年の世界大会に臨みました。今度はそれなりに準備して行ったんですが、結局全然思うようにいかず、これは選手としてはもう無理だな、と。
その中に日本人で1人、世界に通用した選手がいたんですが、彼は子供の頃からずっとスポーツをしており、自分とは違っていました。それ以外にもチームで子供の指導をしていて、やはり、小さい頃からスポーツをしている選手は違うなと感じていました。海外の選手も当然子供の頃からスポーツをしているわけで、自分は世界に行くと通用しないと感じて、指導者の道を歩むことにしました。
——それでも2013年には選手として復帰を果たしています。
コーチをしている時に40歳を超えている選手に教える機会があったんですが、その方はモチベーションが高く、毎週僕のところに教わりに来てくれました。指導を通してどんどん上達していくその人の姿を見ているうちに、自分もまたやりたいなと思ったんです。
そのシーズンは日本代表のコーチとしてワールドカップにも帯同したのですが、せっかくだからレースにも出ようと思い滑ってみたら、結構良いタイムが出まして(笑)まだまだいけると思い、選手としての活動を再開しました。勝手に自分で限界を決めていたということですね。
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