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敗者復活戦から掴み取った銅メダル。西山将士の柔道人生と抱えていた葛藤

リオデジャネイロ五輪で、柔道男子日本代表が全階級でメダルを獲得したのは記憶に新しい。金メダルは男女合わせて3つだった。

しかし、前回のロンドン五輪において男子は1964年の東京五輪で柔道が正式種目として採用されて以降、初の金メダル数0に終わっている。

男子の金メダル0は“歴史的大敗”とされ、注目が集まったが、一方で柔道における国別メダル獲得数は7で、フランスと並んでランキング1位を記録した。そしてそのうちの1つを獲得したのが西山将士氏だ。

ロンドン五輪では準々決勝で敗北したものの、敗者復活戦から勝ち上がり、3位まで登りつめた。2016年1月に現役引退を表明した西山氏に、名門・国士舘高校での柔道生活、五輪が決まるまでの葛藤。そして、ロンドン五輪の戦いについて話を伺っていく。

柔道との出会い。北九州から名門・国士舘高校へ。

-**まず、柔道を始めたきっかけを教えて下さい。**

両親から特に柔道を勧められたわけではなく、どちらかと言うと「しなくていいよ」と言われるぐらいでした。きっかけは、道場の先生に懐柔されたと言うか (笑) 好きで始めたわけではありません。兄が先に柔道をやっていたのですが、負けず嫌いの性格なのでその影響もありました。

-**柔道の他に何かスポーツはやられていましたか。**

小学校の3、4年生の時に2年間程サッカーをやっていました。サッカーは、周りの友達がやっていたというのと、「キャプテン翼」や「シュート」などの漫画の影響もあります。

-**北九州から上京し、国士舘高校に入学されましたが、何かきっかけはあったのでしょうか。**

中学校3年生の時に1度、全国大会に出場しました。優勝は出来なかったのですが、その時に恩師である先生から『興味あったらうちに来ないか』と声を掛けられました。中学校の先生に「国士舘に行きたいです」と意思を伝えたのですが、『お前の力に合う学校ではないから、やめなさい』と言われたんです。ただ、言った手前、勝負しようと思い、国士舘高校に入学しました。

-**高校ではどういった生活を送られていたのですか?**

本当は文武両道と言いたいのですが、全くそうではないです (笑)

ほとんど柔道の練習ばっかりでしたね。高校に入ってから勝てない時期が長かったので、先輩に揉まれながらも、1人で残って練習したりしていました。高校では寮生活だったのですが、同じ学年同士が2人で1部屋です。寮生活ではきっと人間のような生活は出来ないのだろうなと、15歳なりの覚悟をして入ったのですが意外と快適でした。洗濯などさせられる事もなく、その辺のストレスはありませんでした。

-**ホームシックの時期はありましたか?**

ホームシックは無かったですね。例えば、渋谷などは人が多くて地面が見えないと言って楽しんでいました。ただ、標準語にすごく違和感を感じていました。田舎から出てきたばっかりの頃は、この人達はわざと綺麗な言葉を使って馬鹿にしているんだな、みたいに思っていた時期がありました。でも、段々と標準語に染まっていきました。 (笑) でも地元の人と話す時は、電話でも方言は出ますね。

-**西山さんは足技の印象が強いのですが、やはりそこは得意としていたのでしょうか。**

柔道でも色々なスタイルがあります。僕はコンビネーションが多く、2つ3つと技を繋いで大技を繰り出したりするスタイルですが、足技は得意ですね。

-**かけられると嫌な技や、嫌な組み手のされかたなどあるのでしょうか。**

嫌な技があるというわけではないです。ただ、この選手の技を出すタイミングや、組手のパターンが嫌というのはあります。そういうパターンの時は技に入られた後、これは避けられないと思った次の瞬間には投げられています。その瞬間を感じたのは五輪の準々決勝で負けた試合です。スローモーションとまでは言えませんが、相手が目の前に居て、入られた瞬間の感覚は覚えています。

西山将士

-**大学時代には階級を100kg級から90kg級に落とされましたが、何かきっかけがあったのでしょうか。**

100kg級の選手は、大体が180cmを超える身長の選手が多く、100kgに迫る体重があります。でも、自分は178cmで体重が95kg程度だったので、100kg級の選手とは体格に差がありました。

当時自分は陸上の投てき種目の選手とも一緒にトレーニングをしていたのですが、その陸上の先生から、体重が増やせないなら100kg級はダメだろう、と言われ、階級を変更することにしました。

-**階級を変えて行った先である90kg**級では、どんな印象を受けましたか。

100kg級の選手に比べて実重量が軽くなるので、最初は組んだ時の感触になじめなかったです。でも100kg級の選手と比べて軽くて楽という感覚はあります。でも結局は上のレベルに行くと、100kgも90kgも変わらなくて、速さと強さの両方を兼ね備えている選手が出てきます。

苦しみながらも掴み取ったロンドン五輪の出場権

西山将士

-**階級を変更して結果を出し、五輪出場を決めるまでの戦いもなかなか簡単ではなかったと思います。**

五輪代表が決まる前年の2011年の時点で、僕と同じ階級にはライバルが2人いました。その2人は世界ランキングの中で日本人1位、2位の関係で、僕は3番手の存在でした。五輪行きが決まる前に内々定というのがあり、本大会前年には大体出場する選手が決まってくるんです。自分の立ち位置もなんとなく分かっていて、本大会には出られないのかと思いながら練習をしていました。

そんな気持ちで練習しているので全然身が入らなくて。そんな中、階級変更のアドバイスをくれた陸上の先生から、『そんな顔しているけど、五輪の発表はされたのか?もう代表選手が発表されたのか?』とシンプルに質問をされました。僕は「発表はされていないですけど、大体(選ばれないのは)分かるじゃないですか」と答えました。

そしたら先生が、「綺麗に負けてダメでしたという風にしないと。今自分の世界に入ってしまうのではなくて、まずは本気でやってダメだったならそれでも良いじゃないか」と言われたんです。

その言葉がきっかけとなって、その年秋から冬にかけて大会で勝てたんです。5月に五輪代表が決まるのですが、最後の全日本体重別選手権では決勝で負けてしまいました。ですが、その当時の監督が篠原先生で、勝負所で勝つからという理由で最終的に僕を選んでくれました。

-**ロンドン五輪本大会では準々決勝で敗北しましたが、敗者復活戦から勝ち上がりました。モチベーションを保つのは難しくなかったですか。**

コーチには銅メダルを懸けた試合の前に『メダルを取るか取らないかで、これからの人生は全然違う』と言われました。素直なアスリートだったら、「その言葉で切り替えて銅メダルを取ることが出来ました」と言えるのかもしれませんが、僕はそうではなくて、「やっぱり金メダルを取りたかった!」と思っていました。だから正直、切り替えることができないまま敗者復活戦を迎えた感じではありました。でも結果的には銅メダルを取れたことで、その後の人生においていろいろ助けられている部分はありますし、僕だけでなく3位に入った他の選手もメダルがあることによる4位との大きな差を感じている人はいると思います。

-**銅メダルを獲得し、何か変化はありましたか?**

注目されたというのもそうですし、柔道界で市民権をちゃんと獲得出来たと思いました。僕の事を知らない人が圧倒的に多いですが、メダルを獲っているということを知ってもらえるとその後の仕事などに生きてくることはありました。

西山将士

-**柔道人生の中で1**番嬉しかった試合を教えてください。

僕が1番嬉しかったのは、実は勝った試合ではなく敗けた試合です。それは、五輪が決まった時の大会です。敗けたのですが、五輪出場が決まったので、その時はすごく嬉しかったです。これで田舎に恩返しが出来たのかなと思いました。

-**柔道はかなり激しいコンタクトや投げ技などがありますが、その中で負った辛い怪我の経験はありますか?**

ロンドン五輪の前に、アキレス腱を痛めました。慢性的な疲労もあったと思うのですが、なぜ痛くなったのかが分からなくて。もちろん治すために休むのですが、そうすると練習が出来ないことによる不安で逆に精神的にどんどん疲れていきました。いい先生を紹介してもらって、いざ診察を受けても治らなくて、その時は本当にどうすればいいのかと、悩みましたね。

-1**月に現役を引退されましたが、セカンドキャリアについて、後進の選手に伝えたいことはありますか?**

僕も現役時代の途中までは五輪に出場して、結果が出て、そこで自分の人生が終わるみたいなアスリートらしい考え方をしていました。辞めてからは、柔道のコーチになるか先生になるのかなと思っていました。でもその中で出会ったあるトレーナーさんにその話をしたときに「そんなんだから日本のスポーツ選手はダメなんだ!」と言われたんです。

選手がいくら『俺たちは頑張っているんだ』と主張していても何も変わらないし、結局口で言っているだけでは何とかしようとしていないのと同じです。

五輪でメダルを獲っても取り上げられるのは一時だけです。アマチュアスポーツ選手の価値を上げていくためにはまず、トップで頑張ってきた人がプライドを綺麗に捨て、背広を着て、地べたを這いずり回って社会で戦っている姿を見せられるか。そういう人がいないとだめですし、その中で自分も生きていかないといけないと思います。

-それでは最後に読者に向けて一言、お願いします。

実は経験者の中でも、柔道に対してネガティブなイメージを持っている方もいます。でも例えば、フランスでは柔道という競技に対しての信頼もあり、大人から柔道を始める人もいます。

柔道は護身としても役に立ちますし、大人の方にはそういった角度でも興味を持ってもらえるといいですね。そういったもう少し手触り感のある競技にしていきたいと思います。

西山将士

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