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悲願のラクロス日本一へ。日本代表経験者コンビが語る、クラブチーム・FUSIONの誇り

昨年度、社会人ラクロスチームの頂点に立ったFUSION。しかし、全日本選手権において、大学選手権王者・明治大学に敗れ、ついに日本一の夢は叶わなかった。

今シーズンの雪辱を誓うFUSIONから今回は入団7年目、最上期生となった宮沢明日香選手(写真・右)と、主将を務める岩田麻衣子選手(写真・左)をお迎えして、ラクロスを始めた経緯からチームの魅力まで大いに語ってもらった。FUSIONは今週末、社会人選手権の準決勝に挑む。

ラクロスを始めるまで対照的な道を進んだ2人。

-**まずお2**人のスポーツの経歴から教えてください。

宮沢:小学生の時は地域のチームで野球を、中学生の時はテニスを、そして高校時代はバスケットボールをやっていました。実は中学の時からテニス部かバスケットボール部に入るかで迷ってはいました。テニスは「テニスの王子様」、バスケは「スラムダンク」という漫画の影響で興味があったんです。そして、実際にどちらも練習に行ってみたのですが、最終的に中学では直感でテニスを選びました。

でもバスケは高校でやりました。仲の良い親友がバスケ部に入っていて、その影響でまた団体スポーツをやりたいという思いが出てきたからですね。

そこで、私にラクロスを始めるきっかけをくれた今もFUSIONのチームメイトで1つ上の先輩、河内由気さんと出会いました。当時彼女はバスケ部のエース的な存在の方でした。

-**岩田さんのスポーツ経歴も教えて下さい。**

岩田:私は小学生や中学生の時は、特にスポーツをしていませんでした。

幼稚園の頃からピアノをやっていて、中学生の時は吹奏楽部に入ったのですが、パーカッションをやっていました。肺活量がなくて、吹かせてもらえなかったんです (笑) ラクロスは高校生から始めました。

-**なぜ岩田さんは高校生からラクロスを始めることになったのでしょうか。**

岩田:母も兄も楽器をやっていて、家系としてはやはり音楽に触れる機会が多かったのですが、一方でスポーツをする事自体は嫌いではありませんでした。それで進学した高校にたまたまラクロス部がありました。でも当時の私はラクロスがスポーツだということすら知らなくて(笑)母にスポーツだということを教えてもらって、初めて知りました。でも、それがきっかけになって興味を持ち、練習を見に行きました。

実際にそこでラクロスをやらせてもらったら、すごく楽しくて、私はこれをしなかったら、絶対に後悔するとまで思いました。

しかし、母は勉強に支障が出るという考えで私がラクロスをすることに反対していました。中学の吹奏楽部の時も部活で遅くなって、家に帰ってきたらすぐに寝てしまう生活をしていたからですね。

でも、私はこっそりラクロス部に入部届けを出しました。母には登校する時に最寄り駅まで送ってもらう車の中で、初めて「ラクロス部に入ったからね」と伝えました (笑)

2人のポジションが決まるまで

-**宮沢さんは大学からラクロスを始めることになるわけですが、どういった経緯があったのでしょうか。**

宮沢:大学で何のスポーツをやろうかなと思っている時に、高校時代バスケ部で一緒だった、河内さんに「ラクロスだったら日本一を目指せるし、日本代表にもなれるから、一緒にやろう!」と言われました。日本代表や日本一を目指せるというその言葉に惹かれて、ラクロスを始めることにしました。

-**ラクロスはカレッジスポーツと言われるほど、大学から始める人も多いです。そのような中で、ポジションはどのように決まっていったのですか。**

宮沢:私の出身校である慶應義塾大学は高校にもラクロス部があるので、たくさんの経験者がいました。その中でまずは皆、ミッドフィルダーをやるんです。そこから適正を見て、アタッカー、ディフェンダーなど段々とポジションが決まっていきます。

ただ、ゴーリー(サッカーで言うところのキーパー)はテストがあります。慶應には、しっかりしたゴーリーのコーチがいるので、その人が選考をし、可能性のある選手を絞っていきます。でも、最後は自分の意志でポジションを決めます。私は一応、ゴーリーの選考にも残っていたのですが、実はあまりやりたくないなと思っていて (笑) そう考えているうちに、違う子に決まりました。

宮沢明日香

ディフェンダーを務める宮沢選手。

-**一方で岩田さんはゴーリーを務めています。そのポジションを選んだ理由を教えてください。**

岩田:私も当初はゴーリーをやる気など全くなくて、クロスを持って走りたいと思っていましたし、そこに憧れて入部した部分はありました。その当時、ゴーリーはかっこ悪いイメージが強くて、誰もやりたがりませんでした。でも私の代からどうしても2人、ゴーリーを出してほしいと言われました。それで話し合いをしていたら、1人の子が『私がやる』と言ってくれたんです。私は「良かった!」と心の中で思っていました (笑)

そうしたらもう1人、すごく嫌そうな顔をしながら挙手した子がいました。でもそんな気持ちでプレーしている人がいたら、一緒にやる先輩にも失礼ですし、試合にも勝てないだろうな、と思いました。だから私がやろうと決めたんです。

実は1つ上にすごく可愛い先輩がいて、「これはゴーリーを選べば仲良くなれるぞ!」と思ったというのもあります (笑)

-**ゴーリーは非常に特殊なポジションですよね。**

岩田:今でこそラクロス界の中でもポジションに対する考え方が変わってきていますが、私達が学生の頃だとそこまでゴーリーは重要視されていませんでした。

それでも私はただ本当にラクロスをプレーするのが楽しくて。家に帰っても、母や妹を相手にパスキャッチの練習をしたりしていました。

一度高校1年生の時の夏合宿に、副顧問の先生が来られなくなって、代わりに全然ラクロスの経験が無い、野球上がりの先生が引率に来たことがありました。まだラクロスを始めたばっかりでコートの中にも入れなかった私は、外でその先生が投げる速いボールをひたすら受け止めていました。あれでだいぶ上手くなりましたね。

岩田麻衣子

ゴーリーを務める岩田選手

-**岩田さんは、大学でもラクロス部に入ろうと思っていたのですか。**

岩田:元々受験の段階でラクロスの強い大学を選ぶというのが基準にありました。

でも、私はフィールドプレーヤーになりたいと思っていました。そうしたらゴーリーとしてU-19日本代表に呼ばれてしまって (笑) そこで私は一生ゴーリーでやるんだと腹をくくり、頑張っていくと決めました。

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