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千葉ジェッツで5千人沸かせたショーから分かる、栗瀬裕太の凄さとは

ファンと握手をする栗瀬裕太

提供 YBP PROJECT / Motoyoshi Yamanaka

2月18日に船橋アリーナで行われたB1リーグ第20節2戦、千葉ジェッツ対アルバルク東京。この試合のハーフタイムショーで、自転車に乗った男達が宙を舞い、観客そして両チームの選手を沸かせた。

Bリーグのハーフタイムショー

この日行われたショーの様子

提供 FINEPLAY / May Nagoya

この男達の正体は、プロのBMX ライダーだ。BMXは自転車競技の一種でレースとフリースタイルの2種類に分けられる。レースは主に速さを競い、フリースタイルでは技を競う。今回、登場したライダーはフリースタイルのプロライダー達だ。ショーの名は「AIR TRICK SHOW(エアトリックショー)」。このエアトリックショーは一般社団法人YBP PROJECTとイベント団体JumpersStoreの2つの団体がコラボして誕生したBMXジャンプショーのこと。2017年より全国展開しており、国内外で活躍するライダーが大迫力のトリックを決めるというものになっている。

試合後にはライダー達によるサイン会が実施され、そこには長蛇の列ができていた。試合が始まる前はバスケを目当てにきた観衆はBMXの魅力に取り憑かれ、大会や競技のことに関心がいくなどイベントは大成功に終わった。

佐々木元

ショーで観客を沸かせる佐々木元

提供 YBP PROJECT

そんな今回のショーに参加した1人の佐々木元というライダーに話を聞いた。佐々木氏は2年連続で世界王者に輝いた国内屈指のライダーで、ショーが行われた船橋市は初めて自転車を買った思い出のある場所だという。

数々の大舞台で戦ってきた佐々木氏が今回、今まで味わったことのない初めての経験をしたと話す。

「お客さんの盛り上がりが凄すぎたので、テンションが上がりすぎてそれを抑えなければいけないというのが初めてで。葛藤をしましたね」

それだけ盛り上がった今回のイベントはさぞかし満足のいくものだったと思ったが、佐々木氏はここで「悔しい」という思いがけない言葉を口にした。

「今日、5,000人もの観衆が集まった中、(BMXを)初めて観たと言う人がたくさんいたというのはプロとしてどうなのかなと。有名なスポーツだったらもっと認知されているはずなので、そこはプロとして失格ですよね」

これがライダー達の今回のショーに対しての本音なのだろう。確かに今回のショーでBMXの認知度が高まったが、同時にこれまでメジャーでなかったという現状を肌で感じることにもなった。

しかし、東京オリンピックでBMX フリースタイルのパークが追加種目となったことを始め、かつてないほどBMXが大きな盛り上がりをみせていることは確かだ。日本ではBMXを始めとしたストリートスポーツやエクストリームスポーツと呼ばれる競技や種目はなかなか市民権を得ることができなかった。だが、今回のショーでは試合後のサイン会に長蛇の列ができたりするなど、そうした流れが変わってきていることが分かった。

サインに応じるBMXライダー

試合後にはライダーのサインを求めて長蛇の列が

提供 FINEPLAY / May Nagoya

そして今回のショーを見てこう呟いた男がいた。

「多くの人の人生の1ページに少しでもBMXというものが残って欲しいなと思ってるんです。その中から僕らのショーを見てBMXを気になってくれてさらにやってみたいと思ってくれたら最高ですけどね。そういう思いを持った人たちが僕をサポートしてくれているんです。」

栗瀬裕太という不思議な魅力を持った男

こう呟いた彼の名は、今回の話の主人公である栗瀬裕太という日本では珍しいBMXとMTB(マウンテンバイク)の二刀流として活躍しているプロライダーだ。それぞれ合わせて5種目をこなしており、5種目それぞれをスポンサーのサポートを受けながら行っている。こういう体系でプレーをしているのは日本で唯一、彼だけだ。

そんな栗瀬は現在、プロライダーとして活動する傍、国内のプロライダーを育成すべく様々な活動を行なっている。今回のショーも彼の思いに賛同した同志が形にしたものだった。そんな中、ライダーとしてではなく、黒子として支えた。

栗瀬はこれまでの人生で様々なミラクルを起こしてきた。その中で特筆すべきは山梨県にある国内唯一のバイシクルテーマパーク「YBP (Yuta’s Bike Park)」の造成だ。YBPはアジアでは初となる8メートルのスタートヒルが設置されており、世界レベルの環境が整った練習場だ。

YBPを作るきっかけとなったのは栗瀬がBMXワールドカップに初めて出場した際に日本との環境の違いに衝撃を受けたからだった。

「ジャンプの大きさからしても海外は日本よりどんどん先に行っていました。それはどの種目もそうです。環境とセクション(構造物)のレベルの差がすごかったですね。なので日本代表としてワールドカップに出場した時びっくりしましたよ。同じ種目とは思えなかったですね。その時『スキルも度胸も足りないので僕はここで飛べない』と感じました」

そして世界に通用する選手を育てたいという思いを胸に栗瀬の新しい夢がここから始まる。

YBPを作る際、栗瀬は重機を借りるなど貯金を全てはたき、所持金はゼロになった。しかし、もう先に進むしか道がなくなったそんな中、彼の元に続々と仲間が集まってきた。山奥で重機を動かしている姿は怪しさしか感じないがなぜ栗瀬という人間に仲間が集まったのか。栗瀬は当時をこう振り返った。

「僕なんて社会を知らないですし、若い時はバイト地獄で苦労していたと言ってもこの業界でしか生きてきたことがない。そんな男がひたすら腹を括ってやっているのを終わらせてはいけないと思う人が山奥に集まってきたんですよ」

栗瀬が山奥で何かをしているというのは、彼のことを古くから知る友人から少しずつ広まって行った。

無一文の中、冬には雪が吹雪く標高1,000メートルを超える山奥で作業するということは一歩間違えればいつ死んでもおかしくない。さらにYBPがある八ヶ岳は石が多い土質でその上、古くからの木の根っこが多く存在し作業はより一層困難を深めた。そんなギリギリの状態に仲間が集まるというのは奇跡というべきだろう。

そうしているうちにYBPは見事完成した。

栗瀬裕太

栗瀬裕太の周りには自然と人が集まる

提供 YBP PROJECT / Motoyoshi Yamanaka

“思い”と“熱”でタブーに挑んだ

BMXやMTBでプロになれるのは一握りで、プロになったとしても生活を安定させるのは難しい。そんなシビアな世界で栗瀬は何人もの仲間が辞めていくのを見送ってきた。中には競輪選手へと転向したものも多く、いまでも活躍をしているという。

そうした仲間が時折、YBPに遊びに来てこんな言葉を栗瀬にかける。

「僕らは途中でリタイアしたけど、裕太は今でも残って踏ん張っていることは凄いと思う。だから今日もここに来る。」

この言葉の重みはその場にいた人間しか分からない。しかし、栗瀬という人間の存在が多くの人間の道しるべとなっていることは分かった。

YBPはプロコースの他に子どもたちが走れるコースなど、一般の方も楽しむことができ、地元民が気軽に来れる施設となっている。さらに今では県外からの観光客も訪れるスポットとなり、地域活性化にも一役かっている。こうした理由も大きく、地元からも強い共感を得る現状がある。

「最初は地元ではない山梨で穴を掘っていたので近隣の方達が不安がっていました。でも、少しずつ理解を得たら手を差し伸べていただいて色々なコミュニティに入れて貰えるようになりました。今では差し入れを持って遊びに来てくれます」

見知らぬ土地で計画性がほぼない状態から始めた栗瀬の“世界に通用する選手を育てたい”という夢は多くの人を巻き込んで、様々な困難を乗り越えて来た。そんな栗瀬は現在、山梨の観光大使を務め県民にも受け入れられている。

そんな栗瀬は自分の性格についてこう話した。

「僕は駆け引きが嫌いなので弱みの部分だとしても正直に話してしまうんです。ただ、強い部分もはっきりと言う。そうするとそれを認めてくれる人は離れないんですよね。僕に力はないですけど、“思い”と“熱”だけでここまで来てるのでそれに賛同する人たちがたくさん集まってくれたことは僕にとってと言うより、今のライダー達にはすごいプラスになっていると思います」

栗瀬は現在、2020年に行われる東京オリンピックに出場するライダーを支えることを目標とし、YBPの維持に努めている。こうした姿勢を見て、これから世界へ挑戦する者、プロを目指す者といった多くの若手ライダーは栗瀬を慕って集まるのだ。東京オリンピックで有力候補となっているライダーはYBPに大きな恩恵を受けている。

栗瀬が次世代ライダーに与えている影響はこれだけではない。今回、ハーフタイムショーで行われたエアトリックショーでは日本のトップライダーが集まったが、これは少し前までは考えられないことだった。

BMXではライダー同士のライバル意識が高いため、異なるスポンサーのライダーが集まるということはタブーとされていた。しかし栗瀬は日本のBMXを盛り上げるためにはそれではダメだと感じ、スポンサーに一緒にプレーすることを認めてもらうよう掛け合った。結果、栗瀬のここまでの活動を見続けて来たスポンサー関係者達から快く賛同してもらうことが出来た。

これは少し考え過ぎかもしれないが、今回のショーがただ盛り上がったのは1人の男が起こした奇跡の連続が5,000人の気持ちを動かしたからではないだろうか。そしてこれこそスポーツが人々に与える感動の根源であり、可能性なのかもしれない。

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