業界を渡り歩いた柏崎健太が語る、スポーツビジネスの基礎

転機となった金メダリストとの出会い

この会社でのもう1つの軸として大きかったのが、誰もが知る体操の五輪金メダリストの存在です。彼が入社するとなった時に、「子会社のスポーツ事業に戻れ」と言われたんですよ。断りたいのが正直でしたが、選手広報を知っている人間を探しているときに、自分に白羽の矢が立ったと。

結果として僕は本体にいながら、古巣に戻ってオリンピックプロジェクトの仕事をすることになりました。会社のスポンサーシップというとサッカー日本代表、野球日本シリーズなどがある中で、もう1つ、オリンピックがあったんです。彼が入社して来て、ロンドンで金メダルを獲る時まで、自分がプロモーション、マネージメント周りに尽力しました。

当時、選手との信頼関係を大事にしようと、休日返上で多くの大会にプレスIDを取ってもらって、行っていました。練習会場や懇親会にも参加し尽くしました。会社からは「勤務じゃない」と煙たがられたこともありましたが、形振り構わず行っていました。自分が好きだったこともありますが、これがスポーツ業界で言われる「Passion for Sports」という概念だと今も思っています。結局この活動が後のキャリアではは通常業務として当たり前のようにありました。言わずもがなですが、必要だと思った活動はやった方がいい。

そして、その選手のブランディングの分析も行いました。“北島康介選手とコカ・コーラ”、“吉田沙保里選手とALSOK”は関連づいているのに、その選手にはイメージが浮かぶ会社がなかった。だからこそ、その選手の力を借りて、ブランドの価値を向上させることにターゲットを絞りました。確かマクドナルドやコカ・コーラの値を目指した気がします。彼のCMを撮ることから始まって、試合と連動型のリアルタイムアドバタイジングを行いました。

オリンピックの選手が決まった瞬間に新聞に広告を出すとか、その瞬間にCMを出すとかプロモーションを打つとか、断続的にイベントを実施してメディアと接点を持つなど、そういうことをやりました。

メディア露出以外の価値とはそんな中、様々な理由からスポーツスポンサーシップを減らす流れが出てきました。メディア露出は良いのだけど、結局事業への紐づきが弱いと。スポーツビジネスの難しさを感じましたね。
例えば飲料や食品メーカーは「五輪缶」とかラベルを巻き替えれば事業に紐づくことになるのですが、ゲームの場合は肖像権をはじめ様々な権利があり、製作に時間のかかるゲームコンテンツに、開催期間中に入れ込むのは当時は至難の業でした。5年ほどたった今できるのかもしれませんが。

その後、スポーツの現場から離れ、着地したのがデジタルエンタテインメント側の広報です。少年誌やアニメ、ゲーム媒体の広報に近い仕事をすることになったんです。これだけスポーツに注力して来たのに、こういう形でスポーツフィールドでのキャリアを諦めるのは勿体無いなと思ったのと同時に、自分がどのようにキャリアを積んでいきたいのか、ぼんやりですが輪郭が見えてきた時期でもありました。また、僕がファーストキャリアで憧れた先輩方は全員、外部からのキャリア組(中途入社)で、企業に出入りできる魅力や強さを持っていました。“外に出る必要性”を悟る経験でもありましたね。

【後編に続く】

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