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「ラグビーの街」として再び輝きを。W杯開催地・釜石の可能性と未来[PR]

“トライアル期間”を経て本番へ。思わぬ形で釜石の名が世界に知れ渡る

ラグビーW杯までの1年間は“トライアル期間”として、使用料は無償で運営し、730件の事業を請け負い。2018年9月に行った「kamaishi kids try」では、台湾とオーストラリアの子供たちを招待し、タグラグビーで国際交流を図った。

また、小学館監修のもとで、釜石の美しい景観や、地元の人々の想いなどを掲載した“スタジアムブック”を制作。中には英語の文章も記載されており、増田氏は「海外の人にお土産になるようなものが作りたかった」と制作の背景を明かしている。

そのほかにも様々なイベントを開催し、W杯本番まで精力的に活動を続けた。結果的にラグビー熱は子供たちにも伝わり、釜石シーウェイブスのジュニアの選手数は過去最多に。増田氏は「子供たちの記憶にも残したかったので、W杯までは駆け抜けるしかないと思っていた。この波を将来的に少しでも伝染させてくれれば」と想いを語っている。

増田久士さん

そして、W杯本番ではフィジー対ウルグアイが開催。この試合は日本ラグビーフットボール協会の森重隆会長と清宮克幸副会長も観戦した。協会の“トップ2”が足を運ぶほど、釜石で試合を行うことには大きな意義があったのだ。

残念ながらナミビア対カナダは開催中止となったが、当日にカナダ代表は、市街地で土砂を片付ける清掃ボランティアに参加した。この行動は日本だけでなく、カナダでもニュースとして取り上げられ、結果的に釜石の名が世界に知れ渡ることとなった。

周囲からは「再び2カ国を釜石に招へいして、試合を開催してほしい」との声もあるという。実現に至るかは定かではないが、その案も含め、ファンの熱量が冷めないうちに次の一手を打ちたいところだ。

釜石鵜住居復興スタジアムは、釜石が震災を乗り越えてきた証であり、今後の釜石にとって希望の灯りでもある。街の人々はもちろん、日本のラグビーファンにも広く愛され続ける場所となることを願いたい。

街の景観、国際交流…。釜石のブランディングに必要なことは?

増田氏の登壇後には、増田氏と参加者による(※)フィッシュボウル方式のダイアログが行われた。

ノーサイド・ダイアログ

(※)内側の円が対話をする人々、外側の円は対話を聴く人々。内側には一つ空席が用意されている。外側の人は対話に参加したくなったらその席に座り、代わりに内側の一人が外側へ入って対話を進める。

まず話題に挙がったのは、街の景観について。W杯開催時には、釜石はスタジアムを中心に街がラグビー一色に染まった。その色を今後も継続させていくために、積極的に投資していくべきではないか、という意見が述べられた。

これに対して、カナダにゆかりのある参加者は、カナダのアイスホッケーチーム「カルガリー・フレームス」を例に出した。カルガリー・フレームスは、アイスホッケー界の最高峰リーグであるNHL(ナショナルホッケーリーグ)に所属している。試合開催時には、街がチームカラーである赤一色に染まり、お祭り騒ぎになるという。

「試合を見る目的がなくても、街の雰囲気を楽しむためにカルガリーまで行きたくなる。釜石も同じように、街が釜石シーウェイブス一色に染まっていれば、遠くても足を運びたくなるのではないか」(参加者)

また、景観だけでなく、他国との交流によるブランディングの提案も。W杯によってフィジー、ウルグアイ、ナミビア、カナダと4カ国とのコネクションが生まれたため、今後も交換留学やスポーツを通して国際交流を図っていくのはどうか、という内容である。

「例えば、毎年4カ国のいずれかの代表チームを招待して、釜石シーウェイブスや日本代表との交流試合を開催する。こういった取り組みを継続すれば、将来的に釜石が国際的な窓口にもなれるのではないか」(参加者)

釜石鵜住居復興スタジアムでは、オープニングイベント、W杯前哨戦の日本対フィジー、そしてW杯のフィジー対ウルグアイと、3つの大規模イベントを成功させた。しかし、これはW杯の波に乗った結果でもある。

ラグビーの街としての景観づくりや、国際交流によるブランディングは理想にあるが、増田氏からは「釜石の人々だけで一から成し遂げるのは、なかなか難しい。プライドを持った“協力者”がいれば実現に近づける」との本音もあった。

増田久士さん

「ラグビーの街」の熱気を再び世界へ

W杯を通して、釜石の“シビックプライド”を感じた参加者は「釜石の人々には心の豊かさがあるように感じる」と羨ましげに語った。

釜石の人々について、増田氏は「やり始めたら最後までやるし、方向性も変わらない。失敗してもネガティブに捉えないし、人間的な深さを持っている」と印象を述べる。その上で「今あるこのパワーを次に繋げていかなければいけない」と今後を見据えた。

また、ダイアログに参加したラグビーの記者は「世界が日本のラグビーを知りたがっている」と語気を強める。10月21日(月)には、W杯での戦いを終えた日本代表が総括会見を行ったが、英訳はなし。会見に出席した外国人記者は、不満を漏らしていたとのことだ。

「こういったチャンスを逃したのは、私たちにとっても悔しいこと。世界が日本のラグビーを受け入れてくれているうちに、情報を出していきたいところではある」(前述の記者)

震災からの復興や、W杯の開催を通して、釜石はようやくラグビーの街としての熱気を取り戻し始めた。この勢いを日本、さらには世界に伝えるためにも、足を止めてはいけない。

「今までと同じやり方だけではなく、新しいやり方も模索していく。今後はスタジアムをもっと大きくするのか、それとも次にW杯が来る時に向けて備えるのか。目標に向かってやり続けていれば、またその次の目標が生まれる。そういった気持ちで挑戦を続けていきたい」(増田氏)

何度倒れても立ち上がり、恐れず前に進み続ける。そんな釜石の姿勢は、W杯で躍進を見せたラグビー日本代表の勇姿に重なるものがあった。

グループ全員に参加権があるフィッシュボウル形式のダイアログの中では、聞き手と話し手という棲み分けが良い意味でなくなり、参加者全員がフラットな状態で意見を活発に交換した。

ラグビー知識の有無を問わず、様々な層が増田氏とともに釜石の未来を考えることで、数多くのユニークな提案が生まれていたのが、外から見ていても印象に残っている。

増田氏も「こういった機会がないと、なかなか先には進めない」と語っており、この“対話”は釜石が次に進むための足がかりとなったのではないだろうか。

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