三木田龍元。北大卒の左腕は、なぜ新球団の職員になったのか?

「ワイルドラプターズの1年目を経験できるのは、そのときしかなかったんです。自分自身がお世話になったBCリーグに恩返しができますし、少人数だからこそ何でもできるところもあります」

(福井ワイルドラプターズ球団広報 三木田龍元)

2019年に解散した福井ミラクルエレファンツを引き継ぎ、2020年から新チームとして船出を切ったルートインBCリーグ(プロ野球の独立リーグ)の福井ワイルドラプターズ。そのチームを支える球団広報は、BCリーグで3年間プレーし、2019年に引退した三木田龍元さんです。ピッチャーとしてNPBを目指していた彼はなぜ、新球団のスタッフに就任したのでしょうか。

大学院に合格も、後悔しないために野球の道へ

私は学生時代から、地元の北海道で野球に親しんできました。高校では甲子園を目標としていましたが、最後の夏は南北海道大会の初戦で敗退。大学では1部リーグでプレーして、六大学中4位が最高成績でした。個人としてもチームとしても、輝かしい結果は残せていません。

大学には5年間いました。私には重度の知的障がいを持つ兄がいて、小さい頃から医療が身近にあったので、作業療法士を目指して勉強していました。4年生になると、その実習が4カ月くらいあります。しかも、大学の近所とは限らず、遠くに飛ばされることもあって。普通に進級してしまうと、最後の年なのにリーグ戦に出られないんです。

最後までやりきりたかったですし、私の代にはピッチャーが自分しかいない。作業療法士という進路に疑問を感じていたこともあって、3年の前期が終わった時点で休学しました。

3年の後期からは部活に専念していました。そして4年前期までにリーグ戦を終えて、後期から復学。ただ、復学した後に社会人チームから誘いを受けたんです。最初は実習があるので断っていたものの、すごく熱心に誘っていただいて、ウイン北広島というチームに加入しました。

休学中には、ふらっと立ち寄った本屋で気象予報士に興味を持って、参考書を買って本気で勉強していました。医療と気象を絡めた生気象学という分野を学びたくなり、北海道大学の大学院に進んで、権威ある先生のもとで研究しようと。そうして、試験勉強と実習と野球を同時進行していました。

しかし、実習中にその先生から異動の連絡がきたんです。その頃には、大学院はどこも願書を締め切っていました。作業療法士になるか、調べ直して他の大学院に行くしかない。そう考えていたときに、社会人チームの先輩から独立リーグに挑戦すると聞きました。

その方に独立リーグについて教わるうちに、次は野球の道に興味を持ち始めました。新たに志願した大学院試験を受けましたが、その翌日には大阪でトライアウトに参加し、幸運にもどちらも合格という結果でした。どちらを選ぶか考えましたが、大学院は30歳や40歳になっても行けますよね。スポーツ選手は寿命が短いので、後悔しないために野球の道を選びました。

引退後、リーグの代表に“直談判”

独立リーグでは3年間プレーしました。1年目は香川オリーブガイナーズ、2年目の後半は徳島インディゴソックスと、いずれも四国アイランドリーグのチーム。3年目はBCリーグの新潟アルビレックスBCに行きました。そして26歳で引退しています。

金銭面では苦しかったですが、活躍すればNPBに行けるチャンスもあったので続けられました。1シーズン目と2シーズン目は良い兆しがあって、3年目が勝負というか。ただ、思うような結果は出ませんでしたね。

年齢を重ねるにつれて、求められるレベルも上がります。その中で上に行くには圧倒的な成績を残さないといけません。それなのに結果が伴わなくて、NPBを目指すモチベーションを失いかけていました。このままでは周りの選手にも失礼ですし、十分やりきった感覚もあり、引退を決意しました。

引退後、まずはお世話になった方々に連絡をしました。その中でも特に感謝したかったのが、BCリーグの代表を務める村山哲二さん。私の人間性の部分を評価していただいていて、進路も気にかけてもらっていたので、東京にあるリーグの事務局で直接会ってお話しました。

当時は、知り合いの多さとビジネスの活発さから、東京での就職を考えていました。しばらく東京に居座って、就活しようかなと。ただ、泊まる宛はあっても生活費がなかったんです。働きたいけど、ただのアルバイトは…と思っていたところで、村山さんに「事務局でインターンとして働けないか」とお願いしました。

そのときはシーズンオフということもあって、事務局では仕事がありませんでした。ただ、当時事務局にいた小松原さんがワイルドラプターズの立ち上げに動いていて、かなり忙しいと。その手伝いで、リーグの有給インターンとして、新球団の立ち上げに参画しました。

その仕事はすごく楽しかったです。立ち上げのプロセスに関わることで、経営やビジネスについて学べますからね。就活も並行していましたが、球団社長を務めることになった小松原さんからのお誘いもあって、この球団のスタッフとして働くことを決めました。

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