【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×松田丈志

一人で戦い敗れたアテネ五輪…そこからチーム力の大切さ学び4つのメダルを獲得!

深堀:オリンピックについてお伺いしていきます。初出場したオリンピックのアテネ五輪はどうでしたか?

松田:正直どうしたらいいか分かりませんでした。準備などのイメージが一切わかなかったんです。4月に代表が決まるのですが、8月の大会まで全部が手探りでしたね。どうやってオリンピックにコンディションのピークを持っていくのか、合宿期間中や選手村での過ごし方など、すべてが初体験でしたから。そのため、レースをするころには疲れていましたね。車の運転でたとえるなら、地図を一生懸命見ながら走っている感じです。

深堀:周囲にオリンピック出場の経験がある選手もいたと思うのですが。

松田:そこが当時の僕は下手でした。分からなければいろいろな人にアドバイスをもらえばよかったんですが、自分の中だけで処理しようとしたんです。当然ミーティングなどもあり、情報も入りましたが、感覚的には「一人で戦っていた」というのが、最初のオリンピックでした。ある意味ストイック過ぎて大事なレースで疲れてしまうというか。実際に、200mのバタフライではメダルを狙える位置にいたのですが、準決勝で敗退。自己ベストから2秒ぐらい遅れ、全然力を出し切れませんでしたから。実は失敗の理由はもうひとつ。メダルを獲りたい気持ちが強過ぎて4月の選考会から8月の大会までの間に泳ぎ方を少し変えたんです。それでバラバラな泳ぎに陥り、結果が出ませんでした。

深堀:アテネ五輪では、北島康介さんの金メダルも印象的でしたが。

松田:康介さんの二冠ですね。当時、僕はオリンピック前のミーティングで「チームで戦うんだ」とよくいわれていました。実際に、コミュニケーションを取る機会やチームの絆を深めるプログラムなども数多くありましたが、正直「そんなの意味ない」と思っていて。水泳は個人競技なので、チーム戦にピンこなかった。しかし、オリンピックでの戦いで、僕は結果を残せなかった。その辺から自分の中で気づき始めたんです。きっかけは、康介さんが金メダルを取った映像を帰国して見たとき。100m平泳ぎで自身初の金メダルを獲得してガッツポーズする映像が流れた後、応援するスタンドが映ったんです。その瞬間に「ドキッ」としましたね。日本代表チームの選手、コーチ、スタッフが涙を流し、抱き合って喜んでいた。まさに、自分に足りなかったのは「これかも」と感じました。やはり、勝つ選手は周りから応援されてサポートを自分の力に変える人なんです。次の北京五輪に向けて、まずは日本代表に毎年入り「そこを自分の居場所」にしていく。そしてチームメイトをはじめ、自分のコーチ以外のスタッフさんやトレーナーさん、栄養士さんらと数多くコミュニケーションを取り「自分を成長させていくポイント」を教えてもらおうと考えました。「松田は頑張ったから結果が出て欲しい、サポートしたい」と思われる選手になると決意しましたね。

深堀:松田さんはその後、北京、ロンドン、リオ五輪でメダルを獲得していますが、各々喜びや意義などに違いはあるのでしょうか?

松田:オリンピックではメダルを4つ獲得しましたが、北京五輪は初めだったので大満足の銅でした。しかし、ロンドン五輪のバタフライの銅は、金を狙って0.25秒及ばずに負けたのですごく悔しかった。そんな気持ちを救ってくれたのがリレーでした。4×100mのメドレーリレーで日本初の銀メダルを獲得したんです。ここでも「チームメイトに救われた」という思いが芽生えましたね。

深堀:ロンドン五輪では、松田さんはチームのキャプテンとしても活躍されましたが、他の選手への接し方などで変わった点はありましたか?

松田:まずは「自分の最初のオリンピックがなぜダメだったのか」など、失敗談を話すことから始めたんです。そして、過去にオリンピックに出場した代表選手にも経験を語ってもらいました。これは若い選手に学んで欲しいという気持ちからです。アテネで僕は一人で戦おうとして、周囲に知識が豊富な先輩がいるのに、その経験を共有できていなかった。そこで、キャプテンになったときは「一人で戦うわけではない」と、ミーティングで、何度もしつこく話しました。初代表の選手は、それが分からないですから。「個人競技」という感覚を変える努力をしたんです。そうしなければ僕のように疲れて、プレッシャーに負けてしまうことになりますから。

深堀:負ける痛みを知り、「どうすれば解決できるか」自らの成功体験から導き出せる松田さんがキャプテンに就任して、競泳の日本代表の活躍が生まれたんでしょうね。貴重なお話をありがとうございました。

▼松田丈志/まつだ・たけし

1984年6月23日生まれ、宮崎県出身。アテネ、北京、ロンドン、リオと4大会連続で五輪に出場。合計4つのメダルを獲得しているレジェンドスイマー。2016年に現役を引退。

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