スペシャルコンテンツ 鷹野祐菜 YUUNA TAKANO Vol.2「『東京ヴェルディ』の広報担当です」
総合型スポーツクラブ・東京ヴェルディで広報を務める鷹野祐菜さん。現在は、15競技、18チームあるクラブを全般的に網羅しながら、サッカーチームを中心に広報業務を担当する。兄妹の影響で、小・中学生時代にバスケ、高校時代にサッカーを続けながら、将来は“裏方”を志してきた。彼女はどのような道のりをたどって“あこがれの仕事”に就いたのか。どのような苦悩や葛藤があったのか。そして、総合型クラブとして生まれ変わろうとしている“ヴェルディ”のブランドをどのように支えているのか。稀有なビジョンと実行力をもつ若き広報ウーマンの、ありのままの生き様とメッセージとは。 「Smart Sports News」の独占インタビューを3回に分けてお届けする。
縁とタイミングが重なり念願のサッカー広報へ
──鷹野さんは、ヴァンフォーレ甲府のインターンも経験されていますよね?
山梨学院大学がVF甲府と提携していて、大学での授業や男子サッカー部にコーチが派遣で来てくれていたことなどもあって、試合運営のお手伝いをする機会がありました。そのつながりからインターンの相談をして、受け入れてもらいました。
──そのままVF甲府で働くことはできなかったのでしょうか?
残念ながら新卒採用がありませんでした。その年によって採用枠が決まるのですが、大学3年生の終わりくらいには、次の年は採用がないことを聞いていました。
──それでヴェルディにはどのように入ったのでしょうか?
それもありがたいご縁がありました。実は、大学4年生の夏にFC東京のインターンを受け入れてもらったこともあるのですが、山梨学院大男子サッカー部で主務をしていた3年上にいた原(直之)さんが当時現場のマネージャーをされていました(現在は広報)。それでインターンの相談をしたところ、FC東京には年間数人のインターン採用枠があったので、なんとか受け入れてもらい、1カ月ほど採用していただいていました。
──FC東京ではどんなことをされていたのでしょうか?
広報と運営でしたが、広報でのインターンがメインでした。当時はFC東京U-23があったので、トップのJ1とU-23のJ3でそれぞれ異なる広報担当さんからお仕事を学んでいました。特に、今はFC町田ゼルビアで運営・広報部長をされている岡田(敏郎)さんにはいろんな想いを伝えて「広報をやりたいです!」と熱烈アピールしていました。
──それで、FC東京で働き始めて……。
いないですね(笑)。インターンの受け入れ窓口となってくださった総務の方ともお話ししたのですが、やはりビジネス部門では新卒採用がありませんでした。ですから、山梨に戻って部活動に取り組んでいたのですが、半年後くらいに、また岡田さんから連絡をもらいました。でも、もうすでに就職先が決まっていて……。
──どこですか?
自動車販売や車検、板金など車を扱うお仕事です。
──え?
実は、サッカー業界がダメかもしれないと思って就活をして受けた1社が夏ごろに決まっていました。私は車も好きで、内定が決まっていた企業はアウディやボルボのディーラーも扱っていたので選びました。特にアウディの正面からのフォルムが好きです(笑)。
──フォルム(笑)。
でも、やっぱりサッカー業界があきらめきれなくて。内定先には採用面接の段階でサッカー業界を目指していることも伝えていたのですが、正式な回答をできていなかった11月くらいのタイミングで岡田さんから「あるクラブが人材を探しているから、インターンでもいってみないか」と連絡をいただきました。それが東京ヴェルディでした。ちょうどJ1をかけたプレーオフの前くらいの時期で「可能性があるなら行きます」と、2週間ほど行くことにしました。実際にはそれが採用試験? というような位置付けだったようです(笑)。
──もちろん、広報をやりたいとアピールを。
しました(笑)。「広報やりたいです」って。私としては仕事の中身もある程度は理解していましたし、華やかな業種だとは思っていなかったので、泥臭くてもやりたいです、と。12月初旬に山梨で内定していた就職先に最終決定の連絡をしないといけない時期だったので、ヴェルディの採用担当の方に連絡をして、「ヴェルディで採用させてください」という正式な通知をいただきました。こうして、晴れて広報の仕事に就くことができました(笑)。
──すごい意志と縁を感じますね。入社何年目ですか?
今、4年目です。
──その間、ずっと広報ですか?
いえ、そうではありません。広報から始めて、公式サイトやSNS担当だったのですが、3カ月くらいで体調を崩してしまい2カ月ほど休職しました。復帰してからは経営企画部に配属となり、東京ヴェルディ創設50周年企画のプロジェクト担当として、記念誌制作のためのクラウドファンディングを準備・実行したり、記念誌制作を進めたりしていました。それと同時に、2018年8月8日に設立した「一般社団法人東京ヴェルディクラブ」の広報も担当するようになりました。そして、創設50周年を機に東京ヴェルディは新たなブランディングとしてエンブレムを一新し、私は正式に「東京ヴェルディ株式会社」から一般社団法人に出向して、改めてヴェルディクラブ全体の広報として携わっていくことになりました。
総合クラブ全体を巻き込んで情報発信していく
──今は「ヴェルディクラブ」と、J1のトップチームの広報も担当されていますよね?
はい。今季からは再び「東京ヴェルディ株式会社」に戻って来ました。でも、クラブ全体の精神は一緒ですね。他のクラブがやっていないことを、総合型クラブを目指してやっていこう、と。先導役でもあるサッカーで情報発信をして、他の競技もそこに続いていくというイメージで、パイオニア精神を大事に取り組んでいます。
──クラブ全体として発信できることでブランドメッセージを強く届けられそうですね。
実際に、昨年新型コロナウイルス対策支援の一環として企画された『FIGHT TOGETHER』チャリティTシャツの販売もそうですが、サッカー主体だけではなく、各競技団体がそれぞれの取り組みや情報発信を続けていきました。日本には他にも総合型スポーツクラブがありますが、競技を横断して一緒に何かに取り組むことが見受けられないなかで、私たちは競技全体が一体となって発進することで、他のスポーツの方にも届くような情報発信を目指しています。
──ファンの方も、他競技の活動を通して初めて知る競技がありますよね。
まさに、たとえば野球ファンの方にサッカーを知ってもらったり、サッカーファンの方に、ホッケーやセパタクローなど、いろんな競技を知ってもらえるきっかけになると思っています。
──競技数がすごく多いですが、どのように増やしていったのでしょうか?
現在の経営母体でもあるゼビオホールディングスさんともともとつながりがあるチームに対して、日本体育の現状やスポーツ業界の課題、それからヴェルディの進むべきビジョンを一から説明して、納得して加わってもらいました。
──同じユニフォーム、エンブレムというインパクトはすごいですよね。
ブランディングの一つですね。スポーツビジネスからブランドビジネスへと軸足を移してビジュアルイメージを現代の必需ツールであるデジタル領域で映えるように一新することもそうですし、各競技がそれぞれ同じヴェルディのエンブレムをつけて、一緒に歩んでいく。広範囲の表示でブランド認知を広めていくという想いを表しています。これは日本だけの発信ではなく、世界一の総合クラブを目指すという決意でもあります。ヴェルディのブランドページ(https://www.brand.verdy.co.jp)には、選手が並んでいる画像がありますよね。あらゆる競技の選手が横並びになっていて、なおかつそこには男子も女子もいる。ヴェルディが掲げるバリューにもダイバーシティとありますが、常にオープンな姿勢で多様な価値観を求め、進化し続けるというコンセプトです。
──すごいインパクトです。と同時に、広報の方は調整が大変そう……。
はい、難しいです(笑)。サッカーを含めて15競技あるのですが、チーム内でどのような活動をしているかは、選手やチームスタッフの方々とコミュニケーションを取らないとわからないので話をしますし、実際に現場にも行くことがあります。ブランドを統一していますが、ブランディングにそぐわないアクションを起こしてしまうチームもあるので、SNSなども随時チェックして、担当者の方とはできるだけ齟齬なく連携することを心がけています。
──東京ヴェルディのブランドを発信していく上で、これ以上ないほど重要な仕事ですよね。
責任がありますね。それに、ヴェルディはスポーツだけでなく、ヴェルディカレッジというビジネススクールもあります。高校生・大学生が主な生徒になりますが、ヴェルディを通してアスリートだけではなく、ビジネス人材も育成、輩出していけることを目指していて、そこから、ヴェルディのOB・OGが活躍できる場所がつくれたらいいなと思っています。
──一方で、厳しい部分に直面することもあるのではないでしょうか?
私は今季からサッカーチームに戻ってきたのですが、ヴェルディクラブの広報も兼任しているので、全体を見渡すことには正直不安も感じています。すべての競技を横断している分、ヴェルディのブランドがどう進んでいるか客観的に見ることができると思っています。サッカーのなかにいながらにして、どれだけサッカーのコンテンツを生かして、他のクラブの情報発信につなげていけるかが課題ですね。サッカーチーム側は多くのフォロワーさんを抱えていますから、ヴェルディクラブの認知を広げるために大きな情報打ち出しが必要だと感じています。
──クラブ全体を巻き込んでいくところですね。
サッカー側が抱えていることが多い分、企画発信はヴェルディクラブ側が考えないといけないと思っています。たとえば、女子セパタクローチームが、ベレーザの選手を呼んで競技を体験してもらったら面白そうとか。可能性はものすごくありますし、ポテンシャルしかないと思います。だからこそ、まだまだ仕掛けていかなきゃいけないですね。
Vol.1「私は今、夢だった“サッカーを支える仕事”をしています」
■プロフィール
鷹野祐菜(たかの・ゆうな)
山梨県出身。総合型スポーツクラブ・東京ヴェルディ広報部マーケティングコミュニケーショングループ。山梨学院大学を卒業後、東京ヴェルディ株式会社に入社。中学時代からの夢だった「サッカー業界」「裏方の仕事」を始めると、クラブの総合型スポーツクラブへの変革過程で、あらゆるスポーツを兼任する広報などを歴任。現在も職務を務めつつ、サッカーチームを主軸に広報業務を担当する。
Twitter
https://twitter.com/yu8218
東京ヴェルディクラブ公式サイト
https://www.verdy.club
総合クラブ・東京ヴェルディ
https://www.brand.verdy.co.jp
■クレジット
取材・構成:北健一郎、本田好伸
写真提供:東京ヴェルディ
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