「最後のホンダ・クラシック」を飾った素敵な勝利【舩越園子コラム】
1982年以来、40年超もの長きに亘り、「ホンダ・クラシック」は日本企業の名が冠されたPGAツアーの大会として親しまれてきたが、ホンダは今年の大会を最後にタイトル・スポンサーから降板することを昨年11月に発表した。
今週は「ザ・ホンダ・クラシック」の名に別れを告げる最後の開催となったが、最終日の優勝争いは、フェアウェル大会にふさわしい素敵な展開だった。
終盤は、単独首位でスタートした37歳のクリス・カーク(米国)と、2打差の2位から追撃をかけた34歳のエリック・コール(米国)の一騎打ちのような形になった。
カークは、すでにPGAツアーで通算4勝を挙げていたが、2015年を最後に勝利から遠ざかり、ほぼ8年ぶりの復活優勝を目指していた。
2019年頃からはアルコール依存症に陥ってツアーを休みがちとなったが、禁酒に努めたカーク自身の努力と公傷制度に救われ、戦線復帰。地道にツアー生活を続けてきた。
2023年はすこぶる好調で、「ソニー・オープン・イン・ハワイ」でも「ザ・アメリカンエキスプレス」でも優勝争いに絡み、それぞれ単独3位と3位タイ。そして今週、「今回こそは」と復活優勝に王手をかけた。
対するコールは34歳にしてルーキーという異色の存在だ。2009年のプロ転向後、全米各地のミニツアーや下部ツアーで10数年間の下積み生活を経験し、ようやくPGAツアーに辿り着いた苦労人だが、実を言えば彼は優秀な「ゴルフDNA」を受け継いでいるサラブレッドだ。
南アフリカで生まれ育った父親は、1966年の「全英アマチュア」を最年少の18歳で制し、1977年にPGAツアーの「ビュイック・オープン」で勝利を挙げたボビー・コール。そして母親は、かつて米女子ゴルフ界を席捲した“フェアウェイの妖精”ローラ・ボーだ。1971年に最年少の16歳で「全米女子アマチュア」を制し、1973年にはLPGAルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた彼女は、その後、ひどいアルコール依存症に苦しんだ。
だが、家族の支えで立ち直り、ティーチングの道へ方向転換。今ではフロリダ州内に自身のゴルフスクールを開いている。
そんな両親の下でゴルフの腕を磨いてきたコールだが、彼自身は糖尿病と闘いながらのプロゴルファー生活ということもあり、PGAツアーへの道は想像以上に長く険しかった。
米国の深刻な社会問題の1つであるアルコール依存症と深いかかわりを持つカークとコールが、それぞれの苦労の日々を経て、「最後のホンダ・クラシック」で勝利を競い合った展開には、運命的なものを感じずにはいられなかった。
終盤は2人の接戦となったが、16番でバーディを奪ったカークが単独首位の座を奪還。しかし、2オンを狙った18番パー5はグリーンの淵の木枠に打球が当たり、運悪く後方へキックして池に落とし、ボギー。勝敗はサドンデス・プレーオフに委ねられた。
その1ホール目の18番。カークのティショットは再び不運なキックでフェアウェイ右サイドの木の後方へ。2打目はレイアップを余儀なくされた。
だが、アンラッキーなキックが2度も続いたカークに最後の最後に幸運が訪れた。ピンまで108ヤードの3打目は、もう少しでカップに吸い込まれそうな好打を披露。カップ40センチに止まった。
カークのミラクルショットを見たコールが親指を立てるサムアップで戦いの相手を讃えた場面は、ゴルファーなら「こうあるべき」「こうありたい」と思わせてくれる素敵な1シーンだった。
そして、グリーン左奥のバンカーからピン4メートルにつけたコールのバーディパットは無情にもカップに蹴られ、40センチのバーディパットをしっかり沈めたカークが通算5勝目を挙げた。
2015年以来、7年9カ月2日ぶりの復活優勝だったが、カークは開口一番、「この4年間を支えてくれた家族や友人知人に感謝の気持ちでいっぱいです」と涙をこらえながら言った。
勝利から遠ざかったのは、ほぼ8年前からだったが、勝てない苦しさからアルコールに依存した4年前から今日までの日々こそが「本当の苦しみだった」。
しかし、大勢の人々の励ましで立ち直り、再びチャンピオンに輝いた。
「人生、いいときもあれば悪いときもある。そう自分に言い聞かせ、今日まで来た」
18番グリーン脇に選手仲間がたくさん集まってきて、カークの復活優勝を讃えた場面には、思わず涙を誘われた。
「最後のホンダ・クラシック」にふさわしい素晴らしい勝利、いい試合だった。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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