個性豊かな選手たち、PGAツアーの魅力【舩越園子コラム】

ひさびさの勝利を手にしたジョナサン・ベガス。そのもとに長男が駆け寄ってくる最高のフィナーレを迎えた(撮影:GettyImages)

PGAツアーの3Mオープンは、全英オープンとパリ五輪の狭間での開催ということもあり、ビッグネームの姿は皆無。しかし、優勝争いには選手たちのユニークなストーリーが溢れ返り、見どころ満載だった。

最終日を単独首位で迎えたのは、ベネズエラ出身の39歳、ジョナサン・ベガス。1打差の2位には米国の熟練選手、46歳のマット・クーチャー、さらに1打差の3位には米国の28歳、マーベリック・マクニーリーが続いていた。しかし上位陣が足踏みしているうちに、8アンダーの「63」を叩き出して一気に単独首位へ浮上したのは、米国出身の29歳のルーキー、マックス・グレイザーマンだった。

8バーディでボギーなしというラウンドは実に見事だった。とりわけ、72ホール目の18番(パー5)でティショットを左に曲げながらも、木々の合間を抜きながらグリーンを捉えた第2打にはドキドキさせられた。上位陣は一転してクラブハウスリーダーとなったグレイザーマンを追う形に。そして、後続選手たちのホールアウトを待つ形になったグレイザーマンの「待ち方」が、なんとも愉快だった。

グレイザーマンはスタンフォード大出身。2017年にプロ転向し、コーンフェリーツアーを経て、今季からPGAツアーにデビューしたルーキーだが、サドンデス・プレーオフにもつれ込む可能性もあった状況下、新人らしからぬ落ち着きを見せていた。

TVインタビューを笑顔でこなし、「ジョナサンはいいプレーをしているけど、僕にも運が向きますように」と微笑んだ。スコアリングエリアに戻ると、TVモニターの画面を見つめ続け、プレーオフに備えてウォーミングアップを行なう素振りは皆無だった。

挙句の果てに、そばにあった卓球台でピンポンに興じ始めるという意外な行動に走った。このタイミングでピンポンをした選手を目にしたのは初めてだったが、ラケットを握った手は、クラブを握る手とは逆の左手だった。

グレイザーマンの両親は旧ソ連からの難民で、父親はコロンビア大で数学の教授を務めた後、ヘッジファンド・マネージャーを経て、現在はポートフォリオ戦略家として活躍。母親は大学時代からのテニス選手という家系だ。グレイザーマン自身は米国で生まれ育ったが、ロシア語も堪能という異色の存在。彼の言動がユニークなことは、そうした彼のバックグラウンドと無関係ではないだろう。

しかし、ベガスが15番のバーディでグレイザーマンに追いつき、2打目で巨大なグリーンの左端をなんとか捉えた18番では、30メートルから1メートルに寄せる見事なイーグルパットを披露。そして、バーディパットをしっかり沈め、勝利を決めた。

ベガスのバックグラウンドも実にユニークだ。幼いころはホウキで石を打ってゴルフらしきことを始めた。単身渡米し、テキサス大に留学した当時は、英語もわからず、米国生活のあらゆることに驚かされ、「ただただ右往左往していた」。ひたすら頑張って2008年にプロ転向。夢のPGAツアーにたどり着き、2011年のアメリカン・エキスプレスで初優勝、2016年と2017年にはRBCカナディアン・オープンを連覇し、通算3勝を挙げた。

だが、「右肩を痛めたまま、我慢してプレーしていたら、右ひじも痛めてしまった」。故障と手術を繰り返し、戦線離脱。勝利からも試合からも遠ざかったが、今季は公傷制度に助けられて出場することができた。そして世界ランキング321位で臨んだ今大会で、7年ぶりの復活優勝を果たした。

喜び勇んで駆け寄ってきた愛妻と長女、長男に囲まれながら、ベガスはこう語った。

「この7年は、とてもハードな日々だった。再び勝つことができて、スーパー・スペシャルな気持ちだ。初めて僕の優勝に立ち会った長男に、この勝利を捧げたい」

すっかり上達した流暢で早口の英語と、夫となり父親にもなった現在のベガスの立場と環境が、彼の歴史を物語り、バラエティ豊かなPGAツアーの選手層の厚さを示していた。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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