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ケガの功名で飛ばし屋に変身 連続出場記録も樹立した宮本勝昌の原点【高校ゴルフ部監督回顧録】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

今年50歳になる宮本勝昌の強靭な体は高校時代にヒミツがあった(撮影:米山聡明)

プロゴルファーの原点ともいえるのが高校時代。多くの有望選手を輩出する名門高校のゴルフ部監督は、その原点を知っている。有名プロとなった今では語られない、知られざるエピソードも数多い。高校ゴルフ部監督の回顧録をお届け。今回は夏の全国大会・団体戦男の部で6度の優勝を誇った水城高校(茨城県)を1977年の創部から休部となった2016年まで40年率いた石井貢氏(現・明秀学園日立高校ゴルフ部総監督)。「練習は試合のように、試合は練習のように」をモットーに、高校ゴルフ界の名伯楽は多くのプロを育てたことでも有名だ。(取材・文/山西英希)

このマスクマンの正体は…【写真】

■高校入学当時は飛ばない生徒だった

多くのツアープロを送り出してきた水城高校ゴルフ部。同期の片山晋呉とともに、89、90年の“緑の甲子園”と呼ばれる全国大会の団体戦の連覇に貢献したのが宮本勝昌だ。95年にプロ転向して97年に初シードを獲得。それ以来、第一線で戦い続け、国内男子ツアーで12回の優勝を挙げている。昨シーズンも賞金ランキング35位ととても今年の8月で50歳を迎えるとは思えないほど元気だ。

プロの世界では飛距離を武器に活躍していたが、高校入学時当時はどちらかといえば飛ばないほうだった。高校時代に飛躍的に飛距離を伸ばして高校3年時にはジュニアゴルフ界でもトップクラスの飛ばし屋として有名になったが 、“ケガの功名”だったという。2006年から11年にかけては151試合連続出場の記録もつくっている鉄人だが、その基礎は高校時代に作られたのかもしれない。

静岡県熱海市出身の宮本が進学先に選んだのは茨城県の水城高校だった。87年の全国中学ゴルフ選手権個人の部で5位タイに入り、高校ではさらなら成績を残そうとした宮本だったが、思わぬ壁にぶち当たる。

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