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“ハニカミ王子”誕生の瞬間 14年前の舞台裏を実況アナが回顧【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

石川遼がハニカミ王子になった日(撮影:佐々木啓)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

ハニカミ王子の目に涙 14年前、偉業を達成した石川遼

第12回は、2007年マンシングウェアオープンKSBカップ。高校生になったばかりのアマチュア、石川遼が、15歳245日という世界最年少(ギネスレコード)優勝を飾ったのは、ちょうど14年前の5月20日。その現場を、テレビ中継の実況を務めた多賀公人さん(現ユイ・コミュニケーションラボ代表。キャスター兼プロデューサー)が証言する。

「ハニカミ王子」。新語・流行語大賞にまでなったこの名付け親が、ほかならぬ多賀さんだ。当時、大会主催者でもあるKSB瀬戸内海放送のアナウンサーとして、実況を担当した。優勝が決まる少し前まで、石川の情報がほとんどなかったことを打ち明ける。

「(石川遼の)出場は、直前に決まったものでした。ジュニア育成というスポンサー推薦の枠があって、先に3人出場が決まっていた。石川くんは大会2週間前に特別推薦で出場が決まったんです」。通常、スポーツの実況アナウンサーは、事前に出場選手全員分の資料を作る。しかし、そんな状況だから石川遼の情報は『杉並学院高校1年』くらいしかない。パンフレットにも、プレスリリースにもない。

石川が決勝ラウンドに進んだ時、資料を探そうとする多賀さんに、中継に携わるプロたちは口々に言った。「たぶん資料はいらないよ」。一足先に、ジュニア時代の宮里藍や横峯さくらがプロのツアーで活躍し、高校生のアマチュアがどんどん力を発揮していた女子とは違い、男子ツアーではまだまだプロとの差は大きかった。プロたちがそう言うのも無理はないのが当時の状況だった。

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