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透明感は随一 日本で苦労したアジア女王ナ・ダエ【記憶に残る海外選手列伝】(No.167003) | ツアーニュース | ツアー情報 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net|GOLF情報

透明感が話題となったナ・ダエ(撮影:米山聡明)

創設から50年以上が経過した日本の男女ゴルフツアー。これまで多くの海外選手が海を渡り日本ツアーにやってきた。そこで、記憶に残る名プレーヤーたちを写真で振り返る。今回はイ・ボミキム・ハヌルよりも先に韓国賞金女王の肩書きを引っ提げて日本ツアーに挑んだナ・ダエ

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済州島出身で1987年に生まれたダエは、12歳からゴルフを始めるとメキメキ成長。2006年に韓国でプロ転向すると、07年にアジアンツアー、欧州ツアーとの三者共催となった韓国ツアー開幕戦で初優勝。同年、アジアンツアーの賞金女王にも輝いた。そして08年のファイナルQTで49位に入り、日本ツアーの門を叩く。

だが、道のりは険しかった。09年は17試合に出場したものの賞金ランキング66位でシード獲得ならず。さらに10年は痛めた左手首の影響でレギュラーツアー出場はなし。ツアー復帰した11年も賞金ランキング137位、12年は惜しくも同52位と思うような結果を出せなかった。

ようやく実力を発揮できたのが13年。開幕2戦目の「ヨコハマタイヤレディスPRGRレディス」で4位タイに入る幸先のいいシーズンスタートを切ると、8月の「meijiカップ」でうれしい日本初優勝。同時に日本に参戦してから初めてとなるシードも獲得した。

翌14年も賞金ランキング42位で2年連続となるシードを獲得したが、15年は55位とシード陥落。16年は3月に2試合に出場したものの成績を出せず、4月以降は母国のツアーに専念。そして18年を最後に、ツアー引退を表明した。

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