
前回は、NBAのハーフタイムが「休憩時間」ではなく、収益を生む"設計された時間"だという話をした。
では、その設計は誰のためにあるのか。
答えはシンプルだ。ファンのためにある。そして同時に、ファンから収益を得るためにある。
どれだけ優れた演出を用意しても、毎回アリーナを埋めてくれるファンがいなければ、そもそも意味がない。NBAがここまで観戦体験にこだわる背景には、「ファンを育てることが、そのままビジネスの成長につながる」という考え方がある。
今回は、NBAチームがファンをどう定義し、どう育て、どう離さないのか。BリーグとNBAの違いを入口に、その仕組みをビジネスの視点から紐解いていく。
BリーグとNBAのファンクラブ、その「定義」の違い
そもそも「ファンクラブ」とは何か。この問いから始めたい。
日本のBリーグでは、ファンクラブは「年会費を払って特典を受け取る仕組み」として設計されているチームがほとんどだ。例えば千葉ジェッツの公式ファンクラブ「6TH MAN CLUB」では、プレミア・ゴールド・レッドといった有料グレードに応じて無料観戦チケットやグッズが付与される。アルバルク東京も同様に、プラチナ・ゴールド・レッドなどのグレードを設定しており、最大6,000円相当の観戦チケットや限定グッズがもらえる内容になっている。
構造はシンプルだ。「入会する→特典をもらえる→チームを応援しやすくなる」という流れである。会費は数千円〜数万円と幅があり、上位グレードになるほど特典も豪華になる。選手のサイン会やファンクラブイベントへの参加権なども含まれることが多い。
一方、NBAに「ファンクラブ」という概念はほぼ存在しない。正確に言うと、NBAでファンクラブに相当するのは「シーズンチケットメンバーシップ」である。これはBリーグのような年会費制とは全く性質が異なる。NBAのシーズンチケットとは、そのシーズンのホームゲーム全試合(44試合)への観戦権をまとめて購入するものだ。席によっては年間数千ドルから数万ドル(数十万円〜数百万円規模)の投資になる。グッズや特典目当てで入る日本のファンクラブとは、まったく別物である。
さらに特徴的なのは、このシーズンチケットメンバーシップに「在籍年数(テニュア)」という概念が組み込まれている点だ。例えばミルウォーキー・バックスでは、シーズンチケットメンバーの特典が在籍年数と累計投資額に基づいて段階的に増加する仕組みになっており、長く続けるほど選手への裏側アクセスや限定体験など、一般には公開されない特典が積み上がっていく。
ヒューストン・ロケッツは「Forever Red(フォーエバー・レッド)」というメンバーシップを設けており、毎シーズン自動更新するファンにはプレーオフチケットの優先購入権や、ポイントを飲食・グッズ・追加チケットに還元できる仕組みが提供されている。「一度なったら離さない」という設計思想が、名前にまでにじみ出ている。
まとめると、BリーグのファンクラブはNBAで言えば「入門パッケージ」に近い。特典をフックに、まずチームを好きになってもらうためのきっかけ作りだ。一方NBAのシーズンチケットメンバーシップは、すでにチームを好きなファンが「もっと深く関わるために投資する」ものである。ファンクラブの目的が、そもそも出発点から違うのだ。
Lakers season-ticket price increase for section 300 nosebleeds
2024-25 $5,494
2025-26 $6,192
2026-27 $9,035 pic.twitter.com/VObVqMQAgj— LakeShowYo (@LakeShowYo) February 22, 2026
八村塁が所属するロサンゼルス・レイカーズのシーチケが年々異常なまでに高騰していることを紹介する投稿
NBAでシーチケを買うまでの「観客成長ルート」
シーズンチケットを持つNBAファンは、ある日突然そこに辿り着いたわけではない。チームとの関係性を少しずつ深めていった結果として、シーチケの購入という行動に至る。NBAはその「育てる道筋」を、実に丁寧に設計している。
まずは「無料」から始まる
NBAがファンを育てる最初の入口は、驚くほど低いハードルから始まる。「NBA ID」だ。
NBA IDとは、NBAが公式に提供する無料のメンバーシップである。登録するだけで、チームや選手の限定コンテンツへのアクセス、チケット抽選へのエントリー、「Member Days」と呼ばれる期間限定のリーグパス(全試合視聴サービス)の無料開放など、様々な特典が受け取れる。2024年11月に実施されたMember Daysでは、NBA ID会員向けに2日間・最大15試合の無料視聴が提供された。
重要なのは、これが完全に無料で、世界中のほぼどこからでも登録できる点だ。NBAの言葉を借りれば、「ファンであることへの報酬」として設計されている。
つまりNBA IDは、チームグッズもチケットも買っていない段階の人間を、NBAのエコシステムに引き込むための最初の仕掛けなのだ。ここで「NBAって面白いな」と思ってもらうことが、すべての始まりになる。
子どもの頃からファンにする
NBA IDよりもさらに手前に、もう一つの入口がある。Jr.NBAだ。
Jr.NBAは、NBAが公式に運営する6歳〜14歳向けの育成プログラムである。バスケットボールの基礎技術を教えることを目的としているが、その本質はバスケを通じて「NBAを好きな子ども」を世界中に増やすことにある。フランスだけで過去10年間に25万人以上の若者にリーチしたとされており(※4)、現在は世界130以上の国と地域で展開されている。
参加した子どもたちは、NBAやWNBAのチームロゴが入った公式ジャージを着てプレーする。要するに、子どもの頃から特定のチームのロゴに親しみを持たせる仕掛けである。これが5年後・10年後に「あのチームのグッズが欲しい」「試合を見に行きたい」という行動につながっていく。「今は1円も使わないが、20年後の上客になる」という長期投資の発想だ。
アプリ・SNSで「日常」に溶け込む
無料会員になったファンを次のステップへ引き上げるのが、NBAアプリとデジタルコンテンツだ。
NBAのアプリはInstagramやTikTokのUIを参考に設計されており、ショート動画「Moments」のシェア、チームや選手のフォロー、トリビアやリーダーボードなどのゲーミフィケーション、マルチアングルでのライブ視聴などが一つのアプリに集約されている。NBAの担当者はこの戦略を「スナック(ハイライト)を無料で提供することで、ミール(試合観戦)への食欲を育てる」と表現したこともある。
ここで重要なのは、このアプリがファンの行動データを集積しているという点だ。どの選手が好きか、どのコンテンツをよく見るか、いつアプリを開くか。そのデータをもとに、チームはファン一人ひとりに合わせたアプローチができるようになる。
「1試合」から「複数試合」へ
デジタルで関係を深めたファンの次のステップは、「実際にアリーナへ足を運ぶこと」だ。
NBAはここでも段階を用意している。フルシーズンのシーチケだけでなく、10試合パックや20試合パックといったパーシャル(部分)シーズンチケットが各チームで用意されており、アトランタ・ホークスのように「スタック・パック」と呼ばれる好みの試合を選べる柔軟なプランも存在する。
1試合来場→複数試合来場→部分シーズンチケット→フルシーズンチケット、という段階的なルートが設計されているのだ。そして、この「複数来場の経験」こそが、シーズンチケットホルダーになるための最も重要なステップだと言われている。
前章で触れたレイカーズのウェイティングリストも、このルートの到達点だ。通常6〜8シーズン待つとされているレイカーズのシーチケは、待ってでも手に入れたいと思えるほどファンとしての関係が深まった人だけが辿り着く場所である。コートサイドに至っては「数十年単位のウェイティングリスト」とも言われ、もはや世代を超えて受け継がれる"資産"のような扱いになっている。
NBAはファンを「育てて」「慣れさせて」「深みにはまらせる」仕組みをシームレスに設計している。その入口は無料で、出口にはウェイティングリストが存在する。この設計の巧みさが、NBAビジネスの根幹を支えているのだ。
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買った後に「離さない」仕組み ── ロイヤル化の設計
シーズンチケットを買ってもらうことは、ゴールではない。NBAにとって、それはむしろスタートラインだ。
2023-24シーズン、NBAのアリーナ稼働率は史上最高の98%を記録した。2年連続での記録更新である。これほどの数字が出せる背景には、試合の強さや選手の魅力だけでなく、「買った後に離さない仕組み」が機能していることが大きい。
在籍年数が「資産」になる設計
NBAチームがロイヤル化において最も力を入れているのが、「テニュア(在籍年数)」を価値に変える仕組みだ。
代表例がサンアントニオ・スパーズの「Loyalty Access Program(ロイヤルティ・アクセス・プログラム)」である。このプログラムでは、シーズンチケットの在籍年数に応じて5段階の称号が与えられる。1〜4年目が「6th Man」、5〜9年で「All-Star」、10〜19年で「MVP」、20〜29年で「Hall of Fame」、そして30年以上続けたファンは「Legend」と呼ばれる。
単なるニックネームではない。段階が上がるにつれて、選手やフロントスタッフとの限定イベントへの参加権、チームショップの割引、アリーナ内の「Wall of Fame」への名前の掲載、そして記念品が積み上がっていく。「長く続けるほど報われる」という設計が、解約のハードルを自然に上げているのだ。
ボストン・セルティックスに至っては、40年以上シーズンチケットを保持するホルダーが120名以上存在する。この最上位層「Hall of Famers(39年以上)」には、かつての名選手であるトミー・ハインソーンとのプライベートランチという特典がついてくる。もはやファンクラブの枠を超えた、「人生を共にしてきた関係」の域である。
ミルウォーキー・バックスも同様に、在籍年数と累計投資額に基づいてポイントが積み上がる仕組みを導入している。そのポイントはグッズ、飲食クレジット、追加チケットなど好みの特典に交換でき、5・10・15年といった節目ごとには記念ギフトも贈られる。
チームが「離脱リスク」を予測する時代
NBAで注目すべきは、チームがロイヤル化をデータで管理し始めているという点だ。
ポートランド・トレイルブレイザーズは、AIを活用した「チャーン(解約)予測モデル」をいち早く導入したチームとして知られている。
このシステムは、シーズン中を通じてリアルタイムでシーズンチケットホルダー一人ひとりの「更新しない確率」を算出し続ける。そのスコアはフロントのサービス担当者全員が確認できる状態になっており、離脱リスクが高まっているファンへ、更新の時期を待たず先手を打って働きかけることができる。
ブレイザーズがこのシステムを導入した結果、シーズンチケットの更新率が20%改善したというデータも出ている。更新させるのではなく、「離れさせない」ための働きかけを年間を通じて続けるという発想は、完全にビジネスの世界のそれだ。
「辞めると失うもの」を積み上げる
ロイヤル化の本質は、「続けることで得られるもの」を増やすのと同時に、「辞めることで失うもの」を大きくすることでもある。
ヒューストン・ロケッツの「Forever Red(フォーエバー・レッド)」メンバーシップは、その名の通り"永遠に赤"であり続けることを前提に設計されている。自動更新を選ぶと、プレーオフチケットの優先購入権、ポイントの蓄積、飲食・グッズへの還元特典が継続されるが、一度辞めるとすべてがリセットされる。
ポートランド・トレイルブレイザーズも同様で、早期更新したホルダーにはバーシティジャケット、チケット代金の1%分のアリーナクレジット、選手との写真撮影権などが付与される。が、これらは「更新し続けていること」を条件としており、途切れた瞬間にリセットされる。
「積み上げたものを失いたくない」という人間の心理をうまく利用した設計だ。10年分の在籍実績、蓄積したポイント、Hall of Fameという称号。それらを手放してまで辞めようとは、なかなか思えない。
結局、NBAのアリーナはなぜ埋まり続けるのか
NBAのホーム平均稼働率が長期にわたって高水準を維持できているのは、チームが「ファンを維持するために何をすべきか」を常に考え、その仕組みを精緻に整え続けているからだ。
「試合に勝てばファンは来る」という考え方もある。確かに間違いではないが、それだけでは不十分だ。チームが低迷しても離れないファンを作ること、そして低迷期を乗り越えた後に戻ってきてもらえるほどの関係性を築いておくこと。それこそが、ロイヤル化の真の目的である。
第二章で見た「育てる仕組み」と、この第三章の「離さない仕組み」。この2つが機能して初めて、NBAというビジネスは安定して回り始めるのだ。
We love spending the day with our Season Ticket members! 🤩
'24-25 Season Ticket Memberships ➡️: https://t.co/RGS3m0Crhv pic.twitter.com/YsTbYJAVlP
— San Antonio Spurs - x (@spurs) April 20, 2024
スパーズが行っているシーチケメンバーへの特典の一例
ファンを育てることが、なぜ客単価に直結するのか
3章にわたって見てきたことを、最後にビジネスの数字でまとめたい。
2024-25シーズン、NBAの総収益は30チーム合計で約125億ドル(約1兆8,000億円)、チームあたり平均4億800万ドルに達した。この規模を支えているのは放映権やスポンサーだけではない。
アリーナを埋め続けるファンの存在そのものだ。ファミリー4人でNBAを観戦した場合、チケット・駐車場・飲食・グッズを含めた平均支出は約450〜500ドル(約7万円)とされている。だがシーズンチケットホルダーになると、年間41試合への投資に加え、グッズ購入やイベント参加、プレーオフの追加チケットが積み重なる。カジュアルファンとロイヤルファンの生涯価値(LTV)の差は、何十倍にもなると指摘されている。稼働率98%のアリーナはスポンサーへの露出を保証し、スポンサー収益は2024-25シーズンに史上最高の16億ドルを超えた。
さらにNBAは2025-26シーズンから、ESPN・NBC・Amazonとの11年総額760億ドルという史上最大の放映権契約をスタートさせた。それだけの金額を引き出せる背景に、熱量の高いファンベースの存在がある。
Jr.NBAで子どもにチームを好きにさせ、NBA IDで無料から関係を作り、来場体験で感動させ、シーチケへと引き上げ、在籍年数が積み上がるほど離れられなくする。この設計はすべてつながっている。ファンを育てる意味とは何か。答えはシンプルだ。育てたファンが、ビジネスのすべてを動かすエンジンになるからだ。
【参考】
https://www.nba.com/rockets/season-ticket-members
https://www.alvark-tokyo.jp/fanclub/2024-25/
https://am.ticketmaster.com/bucks/Member_Benefits
https://www.nba.com/news/nba-id-member-days-holiday-season-2024
https://pr.nba.com/france-nba-expanded-youth-basketball-development-programming/
https://www.customercontactweekdigital.com/social-mobile-web/articles/nba-marketing-taking-customer-experience-to-the-next-level
https://www.nba.com/news/nba-sets-records-for-attendance-sellouts-2023-24
https://www.nba.com/blazers/renewals
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