
スポーツの歴史には、溢れるほど伝説というものがある。NBAも同様にさまざまな伝説が起き、それらは今もなお人々の記憶の中に色褪せずに残っている。
NBAでは誰もがマイケル・ジョーダンの名を知り、彼が残したレガシーを知る人は少なくないはず。ジョーダンで止まっているあなたならば尚更。
今回は、ジョーダンの引退後、2000年以降に起きたNBAの伝説的なプレーについて、いくつかピックアップして紹介したい。
きっとこの記事は、あなたを再びNBAの世界に引き込んでくれるはずだ。
35秒で13得点し逆転:トレイシー・マグレディ
ジョーダンの時代にNBAを見ていたあなたなら、おそらくジョーダンのライバルだったインディアナ・ペイサーズのレジェンド:レジー・ミラーが創った「8.9秒で8得点」という伝説を知っているだろう。
マグレディの「35秒で13得点」は、その伝説に匹敵するものである。
8.9秒で8得点を記録したレジー・ミラーの伝説
ミラーに匹敵する、35秒で13得点を記録したマグレディの伝説
そもそもマグレディは「才能と怪我の戦い」とそのキャリアを称されるほど過酷なものであった。怪我さえなければ伝説的なプレイヤーになっていただろうと語り継がれることが多いが、彼が怪我をする前に見せた最高のプレーが、この「35秒で13得点」である。
マグレディの怪我は2000-01シーズンから腰痛を訴えたことから始まる。当時は「違和感」程度だったためケアしながら出場していたが、その後に膝、そして背中と広がっていく。それでも2002-03と03-04シーズンで2年連続得点王に輝き、ロケッツに移籍した初年度で起こしたこの「35秒で13得点」の奇跡が、今もなお伝説として語り継がれるのは、このプレーをした翌年からマグレディは背中の怪我でまともにプレーできなかったからである。
結果論にはなるが、このプレーがマグレディにとっては最後の輝きとなった。
このプレーは2004年の12月。マグレディが所属するロケッツとサンアントニオ・スパーズによる一戦に起きた。そもそもロケッツはこの試合までで7連敗をしていて、第4Q残り35秒で8点差(76-68)で負けていた。ホームのトヨタセンターに来ていたお客さんは「今日はもう負けた」と帰る人もいたそう。
そんな中でいきなり輝いたマグレディは、スリーポイント→スリーポイントのAND1で4点プレー→スリーポイント→相手からボールを奪い残り1秒を残して最後のスリーポイント!という流れで全て決め切った。実に33.3秒で13得点を決め、試合を81-80でひっくり返し、8連敗を阻止。この試合を最後まで見ていたお客さんや観客は「unbelievable!」と声を荒げたと言う。
試合後のインタビューでマグレディは「バスケットの神様が俺を後押しした。もう一回やれと言われても絶対無理だね」と語っていたが、それほどまでに彼の集中力も異次元であった。
Today @PackerShoes will release the @Real_T_Mac #TMac3 from the 2004 All-Star Game. Details: http://t.co/JCEGtXQGKz pic.twitter.com/oGjXYrrZl4
— adidas Basketball (@adidasHoops) March 1, 2014
adidasから出ていた「T-macシリーズ」は今も人気である。
1試合で81得点:コービー・ブライアント
2006年に背番号を「8」から「24」に変えたコービーは、番号を変えた理由として「「8」は高校時代に付けていた。野心家の自分で居続けるために選んだが、「24」は高校入学のときに付けた番号。初心に返るために、新しい自分になるために選んだ」と語っていた。もちろんそのほかにも、ジョーダンの「23」の1つ上をいく「24」や、「24」時間バスケに没頭する、など、さまざまな理由があった。
ただ、コービーが番号を変更する節目になったとも言われているのが、この「81得点の試合」である。
81得点を記録した試合のコービーのハイライト
この試合は2006年の1月のトロント・ラプターズ戦で起きるが、そもそもこのシーズンのレイカーズは、コンビを組んでいたシャキール・オニールが抜けて完全にコービーのワンマンチームになっていた時期で、大袈裟ではなくコービーが点を取らなければ誰も点を取れないようなチーム編成だった。コービー自身も「俺が点を取らないと確実に負けるから、あの時期はマジで死ぬ気でプレーしてた」と語るほど。
孤高の存在としてチームを牽引してきたコービーは、この試合で大きく覚醒する。
このシーズンはコービーの自己最高となる平均得点35.4得点を記録した年だった。当然ながら得点王を取った年であったが、このことからもわかるように、とにかく点を取りまくっていた。81得点を取る約1ヶ月前には、第3Qまでで62得点を記録したこともあったため、短期間で2回も歴史的な得点を記録したのはコービーくらいのもの。
81得点を記録した試合に関して言えば、前半を18点差で折り返した。後半だけで55得点を記録し、122-104でレイカーズを勝利に導いた。コービーは試合後に「100点を取れなかったことが悔しい」とも語ったことが、今も伝説として語り継がれている。こうして、81得点という歴史的記録にも関わらず、それでも上を見て努力を続ける精神を、コービーの愛称であるMambaとかけて「Mamba Mentality」という。
Still hard to believe we lost Kobe, Gigi, and seven others five years ago today...
We miss you 🤍 #MambaForever pic.twitter.com/noH4QqSbiY
— ESPN Los Angeles (@ESPNLosAngeles) January 26, 2025
2020年1月にヘリコプターの墜落事故でなくなったコービーと娘のジジ。今も2人には追悼の意が表される。ちなみに事故は1月26日で、81得点はその14年前の1月22日
1Qだけで37得点:クレイ・トンプソン
2015年の1月に、ゴールデンステイト・ウォリアーズのクレイ・トンプソンが後に「37点クォーター」と呼ばれる、1つのクォーター(第3Q)だけで37得点を記録した伝説が起きる。37点の内3PTは9本決めたが、1Qだけで37得点も、1Qだけで3PT9本も、いずれもNBAレコードで現在も塗り替えられていない。
第3Qに爆発し37得点を記録。ちなみにこの日クレイは合計で52得点をした
結果的には、このシーズンのウォリアーズは67勝15敗で40年ぶりの優勝を果たす。この年はヘッドコーチとして新たにスティーブ・カーを招聘した年であり、彼にとってはキャリア初のヘッドコーチ就任であった。
スティーブ・カーと言えば、ジョーダンとともに優勝をしたときのメンバーであるが、カーがカリー中心のオフェンスを構築した張本人でもある。そこに2011年のドラフト11位で獲得したクレイの成長が相まったことや、2011-12シーズンにモンタ・エリスとトレードで獲得したビッグマンのアンドリュー・ボガットの活躍も優勝の背景にはある。
カリーとトンプソンのコンビは、2人とも入り出したら止まらないスリーポイントを象徴するように「スプラッシュブラザーズ」と呼ばれた。このあとにウォリアーズは、この年も含めて4回の優勝を勝ち取り、まさしく王朝を築いた。そんな王朝の始まりを告げるような試合が、このクレイの37点クォーターとも言われている。
クレイはこの試合のあとの会見で「夢のようで信じられなかった。まだあの感覚を味わいたかった」と語ったが、クレイはこのあともカリーの相棒として、長年スリーポイントの雨を降らせ続けた。
クレイは怪我の影響もあり、34歳となった今はかつてほどのパフォーマンスは影を潜めているが、ダラス・マーベリックスに移籍した今も、いつ爆発するかわからないポテンシャルがあるため、未だ対戦相手からは恐れられているシューターだ。
KLAY THOMPSON MADE 72 STRAIGHT SHOTS 🔥👀
(via @Cbrickley603)pic.twitter.com/0I87dPKSEJ
— NBA (@NBA) July 18, 2025
今年のオフに72本連続でスリーポイントを決めたクレイ。まだまだ戦えることを示している
60-20-10のトリプルダブル:ルカ・ドンチッチ
最後に、2022年12月にダラス・マーベリックスのルカ・ドンチッチが達成した60点・20リバウンド・10アシストの伝説について紹介したい。
「神童」という愛称を持ち、そもそも高校に行かずにヨーロッパのプロリーグで16歳でプロデビュー、18歳でリーグMVPを獲得した。そしてNBA入りをするという、あまりにも異色すぎるキャリアを歩み続けている。
そんなドンチッチは1年目からNBAを席巻していたが、問題になったのがこの試合である。
NBAに限らずバスケットは、得点とリバウンドなどの2つの項目で2桁を記録すると「ダブル・ダブル」と言う。ダブル・ダブルの上に、3つの項目で2桁を記録すると「トリプル・ダブル」と言うが、トリプル・ダブルを記録するということは、ほぼ1人で試合を支配していたこととほぼ同義である。ただ、ドンチッチの場合は支配のレベルが違い、60点を記録した上で20リバウンドと10アシストを残すという、NBA史上初の記録を叩き出したのだ。
60-20-10という歴史に残る記録を打ち立てたドンチッチ
もっとも、このときドンチッチは若干23歳。プレースタイルはスピードではなくスキルで全てをこなすタイプであるために、若くしてここまで落ち着いてプレーできることに対して賞賛の声が非常に多い。
第4Q最後の頭脳プレーからの奇跡のシュートを決め延長戦で勝利に導くなど、20代前半とは思えない落ち着きとゲームメイクでチームを勝利に導いた。
試合後にドンチッチは「さすがにクタクタだよ。回復用のビールがほしいね」と冗談まじりに話したことも有名であるが、そんなドンチッチでもNBAで優勝した経験はまだない。現在は八村塁やレブロン・ジェームズと同じロサンゼルス・レイカーズに所属しているが、まだ26歳の彼が、チームを優勝に導き王朝を築き上げるのは、もしかすると時間の問題なのかもしれない。
FIRST LOOK 👀
Luka Doncic and Jordan Brand officially unveil the Luka .77, his upcoming signature team shoe. pic.twitter.com/8947zpMZeS
— Nice Kicks (@nicekicks) March 17, 2025
ドンチッチのシグニチャーシューズ「ルカ」シリーズは、ジョーダンから発売されている人気モデルだ
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