<NBA名場面>NBAは、まずここから知るべし!年代別優勝チーム解説【NBA講座vol.5】

前回の記事「優勝回数から見る、NBA勢力図」では、あくまで全体の勢力図や歴史をベースに少しだけNBA FINALSにまつわるドラマを紹介した。今回の記事では、NBA FINALSの歴史的試合をいくつかピックアップして、その時の名場面やそれにまつわる物語と共に深掘りをしていく。明日6/20(金)にGAME.6を迎える今年のNBA FINALSも、きっと名場面が生まれるシリーズであるだろう。

「ジョーダン」で止まっているあなたが、改めてNBAを好きになるキッカケになれれば非常にうれしく思う。今回は、前編。

▼これまでのシリーズ
▶もしジョーダンが今のNBAにいたら?コアファン編集部員に聞くNBA講座 vol.1
▶︎NBA選手ってお給料いくらなの?コアファン編集部員に聞くNBA講座 vol.2
▶「Gリーグ」の“G”は○○の頭文字!? コアファン編集部員に聞くNBA講座 vol.3
▶︎ジョーダンのブルズがやっぱり最強?優勝回数から見る、NBA勢力図【NBA講座 vol.4】

1979-80年/ロサンゼルス・レイカーズ vs フィラデルフィア・76ers

1979年のNBAドラフト1巡目1位で指名を受けたマジック・ジョンソンが、ルーキーながらに伝説を作る。「ドラフト1巡目1位」は、世界最高峰のNBAにとっては全チームが欲しいと思っていた逸材、と考えても良いいわば金の卵である。活躍できなければ”ハズレ”と言われることもあるが、マジック・ジョンソンは2025年の今でも「歴代最高のポイントガード」としばしば評される。

前述の通りマジック・ジョンソンはポイントガードであるが、身長が206cmもある大型ポイントガードであった。(ポイントガード=スラムダンクの宮城のポジション。基本的には身長の低い選手が担う。B.LEAGUEの富樫勇樹選手や、河村勇輝選手らがポイントガード)

そもそも、後にも先にも206cmのポイントガードで大成した選手はいない。当時も「206cmのポイントガードなんて前例がない」と散々言われていたし、マジックはアウトサイドシュートが苦手だったこともあり「ガードで成功できるはずがない」と酷評されていた。
しかし、彼のプレーを見て一瞬で観客は沸いた。今では花形プレーのひとつである「ノールックパス」や「また抜きパス」など、マジックは「パス」で人々を魅了していったのだ。パスの受け取り手も「スカイフック」で有名なカリーム・アブドゥル・ジャバーらを筆頭に優秀なフィニッシャーが多かったため、彼らは「ショータイム・レイカーズ」とも呼ばれていた。

ショータイム・レイカーズの快進撃は続き、1979-80年のNBA FINALSでは優勝を勝ち取る。ただ、この優勝を勝ち取った最後の試合のGAME.6、ジャバーが怪我で欠場したことで、マジックは「センター」として起用された。
(センター=スラムダンクの赤木のポジション。基本的には身長が高くドッシリとした体格の選手が担う。B.LEAGUEでは外国籍選手などが担うことが多い)

センターとしての起用だったにも関わらずマジックは42点/7アシスト/15リバウンドという数字を残して優勝に導きFINAL MVPに輝いた。2025年現在でも、ルーキーでFINAL MVPを受賞した選手はマジックだけであるから、この試合はマジック・ジョンソンの伝説の幕開けであると現代も語り継がれている。

1997-98年/シカゴ・ブルズ vs ユタ・ジャズ

NBAの名場面を語る上でマイケル・ジョーダンについて触れないわけにはいかない。
1984年の NBAドラフトで1巡目3位でシカゴ・ブルズから指名を受けたジョーダン。超人的なジャンプ力が武器であり、長い対空時間の中で相手を3人、4人避けてシュートを決めるのは日常的であった。だからこそジョーダンは「空中を歩いているようだ」としばしば言われたことで「AIR JORDAN」とも呼ばれた。
またジョーダンは、NIKEから販売された自身初のシグニチャーシューズの「JORDAN 1」が、NBAの規定に違反していたため、罰金を払いながら試合に出場していたことでも有名である。その後、この規定は解除されたものの、もしジョーダンが「JORDAN 1」を履き続けていなかったなら、今もNBAでは「白か黒のバッシュ」しか認められていなかったかもしれない。

マイケル・ジョーダンはキャリアの中でNBA FINALSで6度の優勝を果たしているが、6回の内訳は「3連覇を2回」である。ちなみに、ジョーダンは2回、現役を引退している。1度目の3連覇を達成した後に1回目の引退をし野球に挑戦した。3連覇のことを「スリーピート」と言うが、NBAではこのジョーダンの歩みを「前期スリーピート」「後期スリーピート」と称している。今回は、後期スリーピートの話をしていこう。

「THE LAST SHOT」や「THE SHOT」と呼ばれるジョーダンの有名なシュートがある。
これは、1997-98年のNBA FINALSのユタ・ジャズ戦で決めたシュートだ。試合終了間際に相手からボールを奪ってそのままボールを運び、1on1で相手を転ばせて決めたジャンプシュート。このシュートが決勝点となり、残り5.2秒で逆転し6度目の優勝を決めたのだ。

ちなみに、ジョーダンは6度目の優勝を決めたこの年に2度目の引退をする。そしてヘッドコーチだったフィル・ジャクソン、相棒のスコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンも退団したことで、1998年にシカゴ・ブルズの王朝は終わりを迎えた。

ジョーダンの名場面は語りきれないほどあるため、動画はいくつか以下に残しておく。

▼1989年にPLAYOFFSで決めた初代「THE SHOT」

▼1997年のNBA FINALSで食中毒による脱水と発熱の中で38得点を決めた試合

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