
先日、河村勇輝選手がシカゴ・ブルズと2way契約を結んだ。2way契約とは今回を例にすると、NBAのシカゴ・ブルズとGリーグ所属の下部組織ウィンディシティ・ブルズの両方でプレーできる契約のこと。河村は昨年メンフィス・グリズリーズと同じ2way契約を結んでいたため、今回の契約によってNBAで2シーズン目を送ることとなった。
そもそも、NBAで2シーズン目を送ってるのは日本人史上3人目である。1人目は現ロサンゼルス・レイカーズの八村塁。2人目は現千葉ジェッツの渡邊雄太。もっとも、NBAに挑戦しているものの残念ながら生き残れなかった日本人はたくさんいる。今回はそんな選手たちにスポットライトを当ててみよう。彼らがその時に日本でどのくらいの存在感を発揮していたかも合わせて紹介する。ジョーダンの時代では考えられないほど、今、NBAに挑戦する日本人は非常に多い。
NBA入りを勝ち取った日本人選手
名前 | 所属年 - チーム名 - 契約内容 |
田臥勇太 | 2004-2005 フェニックス・サンズ(保証なしのNBA本契約) |
渡邊雄太 | 2018-2020 メンフィス・グリズリーズ(2way 契約) 2020-2022 トロント・ラプターズ(2way 契約) 2022-2023 ブルックリン・ネッツ(キャンプ契約→完全補償のNBA本契約) 2023-2024 フェニックス・サンズ(2年契約→2年目はOUTして千葉ジェッツへ) |
八村塁 | 2019-2023 ワシントン・ウィザーズ(NBA1巡目指名による新人契約 2023-現在 ロサンゼルス・レイカーズ(複数年契約) |
河村勇輝 | 2024-2025 メンフィス・グリズリーズ(2way 契約) 2025-2026 シカゴ・ブルズ(2way 契約) |
日本人初のNBA選手:田臥勇太
今回の趣旨とは少しズレるが、日本人のNBA選手を語るためにはまず田臥の存在を語らずにはいられない。また、もしかすると最近バスケットボールを好きになった人は、田臥がどれだけ凄い選手だったかを知らない可能性がある。少し厚めに紹介していこう。
日本人初のNBA選手は、現在44歳で宇都宮ブレックスに所属している田臥勇太選手。そもそも田臥は秋田の能代工業高校で活躍し全国大会で3年連続3冠(インターハイ・国体・ウインターカップ)の計9冠を勝ち取った唯一無二の伝説を持っている。そんな彼が日本を発つことは自然で、大学からはアメリカに拠点を移した。ただ、173cmしかない田臥がNBAの舞台で活躍することは非常に難しく、なかなかオファーはなかった。2003年にデンバー・ナゲッツでサマーリーグに参加し活躍するも契約はなし。その翌年にフェニックス・サンズでサマーリーグに参加し活躍したことで、当時のサンズの早いペースのバスケットにもハマると思われ本契約を結んだ。ちなみに当時は、冒頭の河村のような「2way契約」というものが存在していなかったため、ロスターの15人の中の1人として契約されたことも今となっては本当に素晴らしいことである。日本人初のNBA選手誕生を多くの人が喜び、また2004年の10月に、初の日本人NBA選手としてそのコートに立った瞬間は、バスケットに関わる多くの日本人の胸を打った。
華々しいデビューを飾ったわずか1ヶ月後の2004年12月、あまりにも短い時間で残念ながら田臥は解雇となってしまった。当時のサンズは身長のある選手の補強が必要となっていたこともあり、173cmの田臥をなくなくカット。これにより実際に田臥がNBA(フェニックス・サンズ)にいたのはサマーリーグを含め約100日程度で、公式戦もたった4試合だけの出場に留まった。当然、この4試合もプレータイムを多く得ることができたのはほぼデビュー戦だけで、あとは1〜2分程度だった。その後、2008年に日本へ帰国して現在の宇都宮ブレックスに加入し、現在も現役選手として活躍中だ。
ちなみに田臥が持つ高校時代の9冠という記録は、八村塁も渡邊雄太も、そして河村勇輝も破ることができなかった。それほどまでに凄まじい実績を引っ提げてアメリカ入りをしたが、壁は高かった。ただし田臥がNBA入りしたことで「自分もNBAに行きたい」と夢見る若者が増えたことは事実である。
(2004) Happy birthday to Yuta Tabuse, the first ever Japanese-born NBA player.
Here's his NBA debut with some amazing commentary. pic.twitter.com/buwgkT0bcL
— Timeless Sports (@timelesssports_) October 6, 2017
田臥が初めてNBAコートに立った瞬間。2004.11.03 / vsアトランタ・ホークス
NBA入りを目指して挑戦した日本人選手
▼NBAに挑戦をした日本人選手
選手名 | NBA挑戦年 | サマーリーグ参加チーム | 契約有無 | 契約先所属チーム |
川村卓也 | 2009年 | フェニックス・サンズ | 非契約 | - |
竹内公輔 | 2010年 | ミネソタ・ティンバーウルブス | 非契約 | - |
富樫勇樹 | 2014年 | ダラス・マーベリックス | 保証無し契約 | テキサス・レジェンズ |
馬場雄大 | 2019年 2022年 2025年 |
ダラス・マーベリックス ゴールデンステイト・ウォリアーズ ニューヨーク・ニックス |
保証無し契約 非契約 未定 |
テキサス・レジェンズ - - |
比江島慎 | 2019年 | ニューオリンズ・ペリカンズ | 非契約 | - |
富永啓生 | 2024年 | インディアナ・ペイサーズ | 2way契約 | インディアナ・マッドアンツ |
2009年:川村卓也
川村卓也は193cmの身長がある、爆発力があるシューター。高卒でJBL入りを果たしたスターである。2005年にFIBAとNBAが共催し19歳以下の若手選手だけを集めた第1回バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ(Basketball Without Borders)で、川村はコーチをしたNBA選手から高い評価を得たが、このことも後に彼のNBA挑戦を後押しした。
サマーリーグに挑戦した2009年当時の川村は24歳。挑戦する前の年にはJBLで日本人として初の得点王にも輝いた。その結果からNBA入りを目指しフェニックス・サンズのトレーニングキャンプに参加できることとなり、ラスベガスで行われたサマーリーグにも出場した。
だが、結果的には1試合だけ・約4分の出場で得点やアシストなど記録を残すことはできなかった。その後もNBAに限らず海外挑戦を試みるもなかなか上手くいかず、再び日本でプレーすることを決意。39歳になった現在も新潟アルビレックスBBでプレーを続けているが、まだまだシューターとして活躍中だ。
RT @InsideHoops Japanese guard Takuya Kawamura has been added to the Phoenix Suns Las Vegas Summer League roster
— NBA Summer League (@NBASummerLeague) July 10, 2009
2010年:竹内公輔
207cmの双子の兄・竹内公輔は、日本代表としてのナショナルチームでの活躍と海外選手とも互角に戦える体格が武器。ジャンプシュートの精度も非常に高いことがミネソタ・ティンバーウルブスの目に留まり、正式にサマーリーグ出場への招待を受けて参加をした、
サマーリーグでは3試合に出場し、総出場時間14分46秒、2得点、3リバウンドという結果を残したが、残念ながらティンバーウルブスに入ることはなかった。「もう少しフィジカルとスピードがあれば」といった評価もあった一方で「バスケットIQやスキルは素晴らしい」と太鼓判だったそう。40歳の大ベテランは、昨年宇都宮ブレックスで優勝にも大きく貢献したが、まだまだ貴重な日本人ビッグマンとして活躍しそうだ。
2014年:富樫勇樹
そもそも富樫は高校から単身でアメリカに留学している。当時のことを自身のラジオで「周りに日本人が誰もいなかったから言語には本当に苦労した」と語っていたが、高校卒業時の2012年にはNCAAには進学せず日本に戻ってプレーすることを決めた。戻って入団したのが秋田ノーザンハピネッツであるが、2年間秋田で過ごした後、2014年にダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加した。
マーベリックスのサマーリーグでは4試合に出場し全ての試合で10分程度のプレータイムを獲得し、持ち前の得点能力も存分に発揮。その後、マーベリックスの下部組織でありDリーグに所属する「テキサス・レジェンズ」への所属を目的とした無保証契約をマーベリックスと結ぶが、契約6日後に解雇され、同時にレジェンズと契約をした。富樫はレジェンズで25試合に出場するものの、シーズン後半に足首の捻挫をしてしまったためその後の出場はなく、翌2015年に千葉ジェッツに加入。以降、現在に至る活躍を見せているが、167cmという田臥よりも低い身長ながらアメリカでも活躍した彼の姿は、田臥に続き多くの人の夢や憧れになったはずだ。
2019年:馬場雄大
日本人選手で今年で3度目となるサマーリーグに出場している馬場。今年はニューヨーク・ニックスの一員として出場しているが、初めて出場した2019年はダラス・マーベリックス、2022年はゴールデンステイト・ウォリアーズの一員として出場しプレータイムを得た。
もっとも、最初のダラス・マーベリックスで出場した2019年のサマーリーグで活躍したことが馬場の未来を創ったといっても過言ではない。4試合に出場し平均12分のプレータイムを獲得。得意の速攻からのダンクなども見せてポテンシャルの高さを披露した。これらによって、マーベリックスの下部組織の「テキサス・レジェンズ」に入団することになる。
その後の馬場は2チームの往復を繰り返す。レジェンズを1年で退団しオーストラリアのメルボルン・ユナイテッドに移籍し、その後レジェンズに出戻り、その後メルボルンへ出戻った。GリーグとNBLで自分を暖かく迎えてくれるホームがあることは、馬場の人柄あってこそ。その後はウォリアーズのサマーリーグを経て日本に帰国することになったが、今年再びニックスの一員としてNBAに挑戦をしている。彼の性格上、挑戦せずにはいられないのだろう。
2019年:比江島慎
今でこそ、2年連続スリーポイント王になり、W杯でも勝負強いスリーポイントでチームを勝利に導いた比江島。スラムダンクの三井寿と比較されるほどにまで、彼の代名詞がスリーポイントであると認識されているが、そもそも比江島はスリーポイントが昔から得意だったわけではない。比江島は元来、変幻自在なステップとドライブが最大の武器であった。
2019年。29歳の比江島はニューオリンズ・ペリカンズの一員としてサマーリーグに出場していた。前途の通り、当時はそこまでスリーポイントが得意な選手ではなかったことや、初めてのアメリカでのフィジカルの違いやメンタル面で上手く活躍ができなかったと当時の記事でも語られている。結局、3試合に出場して6本のシュートを放ったが0得点で彼のサマーリーグは終わりを迎えた。シューターとしての役割を求められていたこともあり、当時の彼では上手くフィットできなかったと話もしていたが、今のスキルセットを持って同じ役割を求められたならば、もしかするとNBAに行けたかもしれない。
比江島慎ペリカンズのサマーリーグのチーム練習に参加!
@Hiejima_m6#SummerPelicans @NBAJPN pic.twitter.com/ELLTfydiWS
— New Orleans Pelicans (@PelicansNBA) July 4, 2019
2024年:富永啓生
富永に関しては2025-26シーズンのレバンガ北海道入りが決定している。ネブラスカ大学という、アメリカの大学バスケで「D1(ディビジョン1。最高レベルのこと)」でスタメンだったため、NBAドラフトで呼ばれることも予想されていた。
ドラフト前にはサクラメント・キングスやロサンゼルス・クリッパーズでワークアウトを行ったものの、蓋を開ければドラフトで呼ばれることもなかった。唯一、Gリーグの「インディアナ・マッドアンツ」に入ることを前提としてインディアナ・ペイサーズと契約を結んだため、2024-25シーズンはインディアナで過ごした。
インディアナ・マッドアンツでは14試合に出場。なかなか出場機会に恵まれず、自身もシュート以外の武器を身につけるために様々なワークアウトに取り組んだ。ただ、このまま試合に出ないよりも一度日本で活躍をすることでNBA入りを目指すという方向に切り替えたため、2025-26シーズンはレバンガ北海道でプレーすることになっている。彼の場合はあくまでNBAに入るという夢を叶えるためのBリーグであるが、チームもリーグも富永の考え方に賛成し応援をしている。今年もインディアナの一員としてサマーリーグに参加しているが、長年アメリカで培ったことを今年日本でどう表現できるかが、きっとターニングポイントになるはずだ。
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