
写真:髙田真希(デンソーアイリス)/提供:西村尚己・アフロスポーツ
練習中、当時高校一年だった髙田真希に、突然の声が飛んだ。
「自信、って大きい声で10回言え」。
桜花学園高校の故・井上眞一コーチからの激だった。
髙田は戸惑いながらも声に出して、言った。自信、自信、自信、自信...。
中学時代は県大会出場も叶わないほど実績のなかった髙田が、井上コーチに声をかけられ、高校バスケットボールの名門・桜花学園高校に進学した。
先輩にも同級生にも中学時代から全国で名を轟かせた有望選手が、一学年に7、8人もいた。
でも、自分が自分を信じなくて、どうして良いプレーができるだろう。私が自信を持つためには、どんな練習すれば良いんだろう。
日本女子バスケットボール選手、髙田真希。
2021年東京五輪で日本バスケ初の銀メダル獲得を牽引し、36歳の今も日本代表としてチームを鼓舞し続ける。
燦然と輝くキャリアの始まりは、名将・井上眞一コーチからの激だった。(第2回/全5回)
桜花学園を率いた名将井上眞一『お別れの会』に約600人が参列、ともにバスケットボール界を牽引する大神雄子の決意表明(BASKET COUNT)#Yahooニュースhttps://t.co/D336dTaheu
— 桜花学園高校バスケットボール部【公式】 (@ohka_basketball) July 8, 2025
▶【第1回】なぜ髙田真希は輝き続けられるのか 36歳女子バスケットボール日本代表選手の秘密
県大会にも出られなかった中学時代
── 昨年末に他界された、桜花学園の井上眞一コーチはどんな方でしたか。
髙田: そうですね、井上先生との出会いは、私にとって本当に大きかったです。
自分は中学までは実績が全く無くて、県大会出場できるかできないかというレベルでした。強豪校ではなく、地元の中学校に通ってそこのバスケ部でやっていたので。ご縁があってたまたま井上先生に知ってもらい、桜花学園に呼んでいただいた。
桜花学園は、同級生はもちろん先輩も、後から入ってくる後輩もそうですが、みんな全国で中学時代に活躍した選手が、一学年7人8人くらい入ってきます。
最初は練習のレベルの高さについていけませんでした。
井上先生からの突然の激「自信って10回言え」
── 意外です。最初からエリート街道かと思ってました。
髙田: 全然です(笑)。たぶん、その環境で私が自信なさそうにプレーしていたんでしょうね、ある日の練習中、突然、「自信、って大きい声で10回言え」と井上先生から言われたんです。
今までそんなこと一度もなかったんですけど。
── ユニークな言葉ですね。
髙田: そこで10回連続で“自信”って大きな声で言って、その後もずっと“なんで言わされたんだろう”と考えていくと、自信って、読んで字のごとくですが、自分が自分自身を信じてあげないと、良いパフォーマンスに繋がらないんだと気づかされたんです。
それまで、練習でやってきたこともいざ試合になると“できるかな”と不安になったり、緊張したりして、自分の持っているパフォーマンスを出せていませんでした。
このときを境に、自分自身を信じてあげることが一番大事で、もう本当にできるかわからないけど、取り組んできたこと、練習してきたことを試合でもまずやってみようと思えるようになり、そこから少しずつ、大きなチャレンジができるようになったんです。
自信を持つためには
── でも、ただ自信だけを持つ、ということも難しくないですか。
髙田: その通りです。“自信を持つためにはどうしなきゃいけないか”と考えると、日々の練習を頑張って、できないことを少しでもできるようにしていくことです。
“あ、じゃあ練習でもっと頑張ろう”と、思えました。そのために先生がかけてくれた言葉だと、自分は解釈しています。“自信を持てるために今日頑張ろう”と、毎日取り組めました。
── バスケットボール選手・髙田真希にとって、大切な契機だったんですね。
髙田: 今でも、サインするとき“何か書いてください”と言われたら「自信」と書くことが多いです。井上先生からたくさんの言葉をいただいたわけではないですが、あのとき“自信”という言葉を授けていただいたのは、大きなきっかけとなっています。
もちろん今も、試合前に不安になったり、緊張することはあります。それでも“よし、できるかできないかわからないけど、しっかり自信をもってやろう”と心がけています。
恩師が先に気づいた「貧血」
髙田: あと、実は体調管理の面でも、井上先生がいなかったらバスケを辞めてたかもしれないと思っていて。
── と、いうと?
髙田: 桜花学園に入ってから、全く練習についていけなくて、それは単純に自分がレベルに追いついていない面もあったんですが、すぐに息が上がって疲れてしまうんです。
自分では、自分のレベルが低いからだと思っていたんですが、練習中に井上先生から“貧血じゃないのか、病院行って来い”と言われて、病院で血液検査をすると、すごく血中のヘモグロビンの値が低かったんです。
私は、貧血は“学校で先生の話を聞いていて倒れてしまう”みたいな症状のイメージだったので、スポーツで身体を動かしているときに起こる症状と結びついていませんでした。
── それは彗眼ですね。いろんな選手を見てきたからなんでしょうか。
髙田: そう思います。
それから、点滴を打ったり、食事も見直しました。鉄分を摂るだけではなく、吸収を良くするためにビタミンCと一緒に摂って吸収率を上げたり、カフェインは控えたり、少しずつ栄養についても、勉強しながら身につけていきました。
徐々に血液数値が改善してくると、本当に走れるようになって、あ、うまくなれる、バスケがすごく楽しいっていう状態になっていきました。
「バスケを辞めていたかもしれない」
── 高校一年生が、自分では気づきにくいかもしれませんね。
髙田: 10代の女子選手を長く指導してきた井上先生だからこそ、バスケ以外の体調管理のこともよく知っていたんですよね。
あのとき、自分では貧血を疑わず、ただ体力がないだけだからと、より走らされていたら、結局もっと走れなくなって、バスケが嫌いになって辞めていたかもしれない。
少なくとも、一年生のときに貧血が改善されてなかったら、その後も芽が出なかった選手だったのかなと思っています。
そう考えると、本当に人との出会いは大切で、井上先生にはいろんな分野でも感謝しています。
── ちなみに、今はもう貧血症状は出ないんですか。
髙田: いや、今も隣り合わせなので、疲労が溜まってくると数値が落ちる実感があるので、食事に気をつけたり、栄養補給もしています。
“その日の疲れはその日に取る”を意識しています。
アスリートが良いパフォーマンスを出すには、最高のコンディションでいることがとても大事なことだと感じますね。
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