都市対抗野球で起きたミラクル 「大人の甲子園」で泣ける本当の理由
(Photo by slinscot)
2022年夏の甲子園出場校が続々と決まる傍らで、都市対抗野球は決勝を迎えた。
都市対抗野球の歴史はプロ野球より古く、1927年に第一回大会が開催されている。都市対抗野球はその名の通り国内の各都市を代表するチームを競わせる大会として発足しており、「都市名・チーム名」という独特のチーム表記となっている。企業がスポンサーしていることもあり、「大人の甲子園」と呼ばれることもある。都市対抗野球からプロが生まれることも珍しくない。2021年のドラフトに目を向けても、14選手がドラフトを経て球界入りしたことを考えると、その影響の大きさが伝わるだろう。
社会人野球での入団は高校生のドラフトとは異なり、即戦力であることが求められる。プロに入り、華々しい活躍をしている代表格と言えば、三菱自動車岡崎から阪神に進んだ中野拓夢だろう。阪神でショートのレギュラーを獲得すると、135試合に出場して打率.273を記録。また盗塁王に輝き、守備でもチームを大きく支えた。ドラフト6位入団での大活躍は、球団やファンにとってもポジティブサプライズとなった。遡れば名捕手古田敦也や野茂英雄もそれぞれ社会人野球から名選手へと飛躍を遂げていった。
ここまで語れば社会人にとっての甲子園である「都市対抗野球」の魅力は伝わっただろう。ちなみに、都市対抗野球には、1つユニークなルールが存在する。それが、大会中の補強が認められている点だ。同地区で敗退したチームから選手を3人まで補強することができる。つまり、予選の好敵手の中から、補強することで“エースが2枚、4番も2枚”という「地区最強」の布陣で臨むことができるのだ。
(Photo by 33ft)
「ミラクルを起こせ」
2022年の決勝戦は前年度優勝の東京都代表東京ガスと古豪・横浜市代表ENEOSのカードだった。試合は中盤まで2年連続優勝を目指す東京都代表が4−0と一方的に試合を進めつつあった。だが、試合が動いたのは6回、ENEOSが1イニングで3ホームランというビッグイニングを叩き出し、4−5で横浜市代表が逆転優勝を収めたのだ。
試合自体は劇的だったといっていい。ただ、私が着目したのは、試合終了後にENEOSの大久保秀昭監督の目から涙が溢れていたことだった。監督だけではなく、選手たちも一様に泣いていたのだ。誰かの引退がかかった試合でもなければ、今シーズン最後の試合でもない。まだ秋にも大会もあり、今年のこのチームの試合は続く。地方大会の決勝で勝って甲子園を決めた高校球児と監督が優勝インタビューで感極まるシーンはよく目にする。だが、これは社会人がプレーする都市対抗野球である。
だが、この涙が珍しいのには社会人野球ならではの特殊性・理由がある。それは社会人野球が「アスリートとしての崖っぷち」のリーグであるからだ。高校球児たちはドラフトにかからなくても、大学や実業団で野球を続けることができる。大学生も同様だ。
しかし社会人には文字通り「後がない」。ここでドラフトにかからなければアスリートとしての野球人生は終わってしまうのだ。だからこそ、社会人野球にはどこか切実さが宿る。例えば都市対抗野球を見ていても、チームとしての団結力よりも「いかに個人がアピールするか」に重きが置かれているように感じる。ここでアピールしなければ、ここでスカウトの目に止まらなければ“終わり”だと。もちろん、団結力が足りないように感じるのは「他チームから補強が可能」という社会人野球の独特のルールも関係しているだろう。
試合に目を向ければ、終始、東京都代表の東京ガスのペースで進んだ。4点取られてしまった横浜のピッチャーはスカウトへのアピールは失敗したことになる。それでも試合には勝たなければならない。
横浜ENEOSの監督もその雰囲気を察したのか、一言だけ選手達に声をかけたという。
「ミラクルを起こせ」
きっと負けを覚悟していたのかもしれない。でなければこんなに曖昧で無茶な指示は出さないからだ。それでも監督は祈っていたのかもしれない。野球人生最後になるかもしれない試合で、野球の神様の気まぐれが起きることを。
果たして、ミラクルは起きた。1イニング3ホームランでの大逆転を起こしてみせた。
(次のページへ続く)
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