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高卒1年目から3年連続最多勝のフル稼働が故障の遠因にも…“平成の怪物”松坂大輔の歩みを振り返る<SLUGGER>

“平成の怪物”と呼ばれ、プロ入り当初からあまりにも鮮烈な印象を残した松坂。短かった全盛期がよりイメージを強くしている。写真:産経新聞社
今季限りで現役を引退した松坂大輔は、周囲の度肝を抜いた一軍デビュー戦を皮切りに、プロ入り直後から強烈なインパクトを残した。高卒選手では初の1年目から3年連続最多勝獲得と急ぎ足でスターダムに上り詰め、成長を繰り返しながら最多奪三振を4回、最優秀防御率も2回受賞。さらに、タイトルの対象ではない指標まで掘り下げると「平成の怪物」がマウンドで示した凄みはより鮮明になる。

■剛腕から完成度の高い投手へ進化

松坂はメジャー挑戦までの西武在籍8年間で、長期離脱した2002年以外は毎年2ケタ勝利を挙げ、防御率と奪三振は必ずリーグ4位以内に名を連ねた。当時の打高投低傾向を考慮すると、1999~2006年に残した通算防御率2.95は、近年で同水準の数値を残すよりも価値が高い。

リーグ全体の奪三振数も現在より少なく、振り返ればシーズン200奪三振以上を4回も記録した能力はより際立っている。ちなみに、99~06年の間に松坂以外で200奪三振の大台をクリアした投手はソフトバンクの杉内俊哉(05年)と斉藤和巳(06年)だけだ。
当然、松坂は奪三振率でも常にリーグ上位(1位→3回、2位→3回、4位→1回)を維持。被打率はそれ以上の水準(1位→4回、2位→3回)で、力強い投球動作から繰り出す速球と代名詞の鋭いスライダーに、年々レパートリーを増した変化球とのコンビネーションも身につけている。

剛球の一方で、プロ入り当初は制球が不安定で、3年目までの与四球率は毎年4~5台と明確な課題だった。それでも、5年目からは徐々に改善(2.92→2.59→2.05)し、メジャー挑戦直前の06年にはリーグベストの1.64までダウンした。

1イニング当たりに許した走者の数を示すWHIP0.92や、奪三振と与四球の比で算出するK/BB5.88でもリーグトップに立つまで支配力を高めた。同年オフにはメジャーの名門レッドソックスからポスティング料含む総額約120億円もの契約を引き出し、日米で狂騒曲を巻き起こした。■甲子園での熱投からプロでも頭抜けたスタミナを披露

何より、松坂は投球の「質」以上に「量」が頭抜けていた。連投連投で伝説となった98年夏の甲子園(その中には延長17回で250球投げた日もあった)に続き、プロ1年目から180.0投球回をこなし、シーズン終盤にはシドニー五輪アジア最終予選にも登板。2年目は167.2回にとどまったが、シドニー五輪本大会での登板分を単純に足せばリーグ最多を上回る。3年目に達した240.1回は、今のところ21世紀の最多記録だ。99~06年に積み上げた1402.2回は12球団の全投手で誰よりも多い。

最終回のマウンドで150キロ台半ばの球速を計時していた姿も印象強い。投手の分業制が加速していた時代に抗うように、プロでも「先発完投」の美学にこだわり、リーグ最多の完投と完封もそれぞれ4回ずつ記録した。8年間で190先発したうち、169試合で自身に白黒がついたのも、「最後まで投げ続ける」姿勢をよく表している。

一方で、高校時代から続いた異常なまでのフル回転が全盛期を縮めたのも事実。11年にトミー・ジョン手術を受けて以降はメジャーでも日本でも年間を通して稼働したことはなく、“怪物・松坂大輔”としてのキャリアは、実質的には30歳までに終焉を迎えた。
同じように甲子園で活躍して高卒でプロ入りし、圧倒的な成績を残して海を渡ったダルビッシュ有(1268.1回、55完投)や田中将大(1315.0回、53完投)と比較しても、松坂の労働量は一回り上だ。彼らも渡米後にヒジへメスを入れているのだから、松坂の負担は推して知るべしだろう。

今年、高卒2年目で大活躍した奥川恭伸(ヤクルト)、佐々木朗希(ロッテ)はいずれも中10日前後の長い登板間隔を与えられるなど、球団側のケアに守られていた。高校野球でも、限定的とはいえ投球数の制限が導入されている。こうした流れが生まれたのも、松坂の野球人生が球界に残した教訓と決して無関係ではないはずだ。

今後は松坂のように、高卒プロ入り直後からアクセル全開が許される投手は現れないかもしれない。それだけに、“平成の怪物”が魅せた投球の凄まじさや比類しがたいタフネスは、球史の中でも希少性を増しそうだ。今ではほとんど見られなくなった、気高いワインドアップと同じように。

文●藤原彬

【著者プロフィール】
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『スラッガー』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。

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