【卓球】平野美宇、栄光と挫折を経た23歳の“ハリケーン” 悲願のパリ五輪シングルス出場へ歩む道程
2024年に迫ったパリ五輪へ向けて、熾烈な争いが繰り広げられている卓球の選考会。なかでも女子のシングルス出場2枠を巡る争いは、首位を独走する早田ひなの次に誰がつけるかが今後の焦点となってきた。そんな中、現時点で選考ポイント2位につけるのが平野美宇。伊藤美誠、早田と同じ2000年生まれである23歳は“黄金世代”として彼女らと切磋琢磨し、若くして日本卓球界をけん引してきた。
2016年リオ五輪では補欠、2021年の東京五輪ではシングルスの選考に敗れるなど紆余曲折も経験してきた平野が、悲願のシングルス五輪代表入りへ向けて歩みを続けている。(文・井本佳孝/写真提供:ITTF)
対中国へモデルチェンジで飛躍
幼少期から数々の大会で結果を残し、注目を浴びてきた平野は、伊藤との“みうみま”ペアとしてシニアでも脚光を浴びる。2013年2月にITTFワールドツアーの表彰台に最年少で立つと、同年3月のドイツオープンでは平野は13歳224日、伊藤は13歳160日で同大会を制し、当時の最年少優勝を果たすとともに、ギネス世界記録にも認定される快挙を成し遂げた。その後もWTTツアーのグランドファイナルの女子ダブルスで、日本勢男女を通じて初優勝を最年少で飾るなど飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する。しかし、伊藤が2016年のリオ五輪代表に選ばれ、平野は補欠メンバーに回ったことでペアは一時解消し、その後平野は石川佳純、伊藤は早田とペアを組むようになった。
平野がシングルスでも飛躍するのは2017年のこと。1月に行われた全日本選手権では2年連続決勝進出を果たすと、石川を4ー2で下し16歳9カ月で最年少優勝を達成。さらに、中国勢に対して無類の強さを発揮すると、4月のアジア選手権では団体では準優勝に終わったものの、シングルスでは準々決勝では当時世界ランキング1位の丁寧、準決勝では同2位の朱雨玲を撃破し決勝進出の快挙。同5位で後の五輪女王となった陣夢にも3ー0のストレート勝ちで日本勢では21年ぶりのアジア制覇を達成。同年の世界卓球でも銅メダルに輝くなど、世界ランキングでは自身最高位で日本人トップの5位を記録した。
“ハリケーン・ヒラノ”と名付けられた平野のスタイルだが、もともとは安定性を重視してのラリースタイルでプレーしていた。しかし、2015年に指導を始めた中澤鋭コーチの元で、「格上の選手にいかに勝つか」を模索した結果、自ら攻撃を仕掛けていく攻撃的なスタイルへとシフトチェンジ。フォアハンドの威力を増すため筋力トレーニングを積極的に取り入れ、打点の速い高速スタイルへと変貌を遂げた。2017年の飛躍は“対中国”を見据えたスタイル変更が一つの実を結んだもので、中国側からも警戒され始めるなど、選手として一つのステップを踏んだ年であったのは間違いない。
石川佳純と繰り広げた史上最も過酷な争い
日本女子陣の中でもエース格に成長していた平野にとって、2020年に迫っていた東京五輪(後に2021年に延期)でのシングルス出場権獲得はノルマであった。2016年のリオ五輪では代表入りを逃し補欠メンバーに。その悔しさも糧に挑んだ五輪選考レースは過去2大会連続出場とメダルを獲得していた石川との“史上最も過酷な五輪代表争い”となった。最終的にこの戦いを制したのは石川。2019年12月に行われたノースアメリカンオープンで平野は直接対決に敗れ、逆転でシングルスの五輪出場権を逃すことになった。壮絶な戦いを終えた両者はともに試合後に涙を流すという決着であった。
それでも、平野は2020年1月に発表された団体戦メンバーには選出され自身初の五輪出場を決めた。新型コロナウイルスによる1年の延期を経て臨んだ2021年の東京五輪では、伊藤、石川というこれまで凌ぎを削ってきた面々とタッグを組んだ。シングルス、石川と組んだダブルスそれぞれで結果を残し、決勝進出へ貢献を果たすと、中国と対戦したファイナルではダブルス、シングルスでそれぞれ敗れ銀メダル。これまで取り組んできた“中国超え”は初挑戦となった五輪の舞台で果たすことはできなかったが、リオ五輪から選手としての山と谷を越えてつかみ取った五輪の景色と銀メダルであった。
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