「NBAの八村塁」を日本で見るチャンス 「NBAジャパンゲーム」の歴史と魅力
(Photo by efks)
2022年9月30日と10月2日にさいたまスーパーアリーナで「NBA Japan Games 2022 presented by Rakuten & NISSAN」が開催される。2019年以来3年ぶりとなる『NBAジャパンゲームズ』は過去7回実施。NBAが世界中でエキシビジョンマッチや公式戦を行いグローバル展開をする中でも、日本は重要な役割を果たしてきた。今回はその歴史を振り返るとともに、来日するゴールデンステート・ウォリアーズとワシントン・ウィザーズについて注目ポイントを挙げていきたい。(文・井本佳孝)
日本のバスケ人気とともに開催
初めて日本でジャパンゲームズが行われたのは1990年のこと。フェニックス・サンズとユタ・ジャズが来日を果たし、初めてアメリカ以外で公式戦が開催された。その後マイケル・ジョーダンらの影響でバスケ人気に火がついた日本では、1992年にシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)とヒューストン・ロケッツが来日。その後も1994年、1996年、1999年、2003年にそれぞれ開催し、16年ぶりに行われた2019年にはヒューストン・ロケッツとトロント・ラプターズが今回と同じさいたまスーパーアリーナにて、プレシーズンマッチを行った。
1990年から1996年まで週刊少年ジャンプで連載された『SLAM DANK(スラムダンク)』や1992年バルセロナ五輪でのドリームチーム結成、ナイキ社のシューズ「エア・ジョーダンブーム」など、1990年代の日本には、NBAブームのきっかけが数多く存在した。現在は国内ではBリーグが2015年に創立され、国外では八村塁、渡邊雄太という2人の日本人選手がNBAチームに所属するなど、新たな変化が生まれつつある。今回のジャパンゲームズは楽天、日産をはじめ13社が協賛するなど大きな盛り上がりを見せている。
NBAが誇る“最強シューター”カリー
今回来日を果たすウォリアーズはオークランドを本拠地にし、ウエスタン・カンファレンスのパシフィック・ディビジョンに所属している。1946年創設のチームは古豪として君臨していた時代があったが、1995年から13年連続プレーオフ進出を逃すなど低迷期も経験してきた。しかし、2010年代に入ると復活の兆しをみせ2014-15年には40年ぶりとなる優勝を果たすと、2016-17、2017-18、2021-22シーズンでそれぞれファイナルを制するなど強豪チームとして復権した。経済誌『フォーブス』が2022年に発表したスポーツチームの資産価値ランキングでは、56億ドルでNBAのチームとしてはニューヨーク・ニックス(6位)に次ぐ、8位にランクインした。
そんなチームを支えるのがNBAきってのスター選手である34歳のステフィン・カリーだ。2009年にウォリアーズから全体7番目でドラフトされたカリーは、生え抜きとしてチームで存在感を発揮してきた。2010年代中盤からのウォリアーズの黄金期到来は、カリーの台頭も大きな要因といえる。2011年にドラフト1巡目(全体11位)で入団したクレイ・トンプソンが加入すると“スプラッシュ・ブラザーズ”と呼ばれるシューティングデュオを結成。さらに、2016年には“史上最高のスコアラー”の1人とされるケビン・デュラント(現ブルックリン・ネッツ)を獲得するなど、2015年、2016年にMVPを獲得したカリーを中心に、チームの上昇とともにスター軍団が誕生した。
そんなカリーの選手としての最大の特徴は、シュート精度の高さとそれを活かすためのボールハンドリング能力にある。身長は188cmとNBAの中で体格に恵まれてるとはいえないカリーだが、“歴代最高”とも評される決定力はNBAの歴史上でも随一を誇っている。なかでも3ポイントシュートの技術が高く、2016年には1試合13本の3ポイント成功、シーズンでは402回の成功というNBA記録を樹立。また、2021年には通算3ポイント成功数を史上初の3000の大台に乗せるなど、シューターとしてNBAの歴史を塗り替える偉業を成し遂げてきた。トンプソン、デュラント、ドレイモンド・グリーンらスーパースターを擁して黄金期を到来させたウォリアーズにおいてもカリーは別格とも呼べる存在で、チーム史に名を刻む選手である。
(次のページ「NBA4年目を迎える八村のプレーに注目」へ続く)
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