永久欠番入りを控えるガーネットがボストン時代を回顧「あそこにはバスケットボールの歴史がある」<DUNKSHOOT>
昨年8月21日(日本時間22日、日付は以下同)、ボストン・セルティックスはケビン・ガーネットが着用した背番号5を永久欠番にすることを発表し、今年3月13日のダラス・マーベリックス戦でセレモニーが開催されることとなった。
ガーネットは2007年夏にミネソタ・ティンバーウルブズからトレードで加入。公称211cm・109kgの恵まれた肉体と高い身体能力を兼備し、04年にはシーズンMVPにも輝いたスーパースターだ。
ポール・ピアース、レイ・アレンとビッグ3を形成した加入1年目には、ディフェンスのリーダー、精神的支柱として貢献し、自身初の最優秀守備選手賞を獲得。セルティックスにとって22年ぶり17回目となるNBA制覇の立役者となった。
ガーネットが在籍した08年から13年までの6シーズン、セルティックスはいずれもプレーオフへ進出。初年度の優勝のほか、10年にもNBAファイナル進出、12年もカンファレンス・ファイナル第7戦で敗退と、タイトルコンテンダーであり続けた。
20年にバスケットボール殿堂入りを果たしたレジェンドは先日、ボストンの熱狂的なファンについて言及。その内容を『Yahoo! Sports』が報じている。
「ラリー・バード(元セルティックス)がキャリア最初の頃に、どうしてボストンのファンの前でプレーするのが大好きか話していたと聞いた。それはあそこのファンの前では(ハードにプレーする)振りをすることはできないからだった。
ファンを馬鹿にすることはできないし、だますことだってダメなんだ。彼らは俺がこれまでハードにプレーしてきたことを知っているから、自分の全てを持ち込まないといけなかったのさ」
ウルブズ時代からリーグ有数のハードワーカーとして知られたガーネット。バスケットゴールの支柱にこれでもかと頭部をぶつけて気合いを入れ、試合に臨む姿はトレードマークのひとつだった。
ボストンでプレーする上で、ガーネットは「あそこにはバスケットボールの歴史という価値があり、彼らには高いバスケットボールIQがある。それはこれからも忘れない。ボストンへ加入した時、アントワン・ウォーカーとも話したんだが、彼もそういう経験をしたと言っていた。ラリー・バードの言葉とともに、最高のアドバイスになったんだ」と振り返る。
そこでガーネットは、新天地で新たなマインドセットを持って臨んだという。
「俺は自分に言い聞かせたんだ。『たぶん、俺は毎晩コート上でベストプレーヤーにはなれないだろう。だが自分が1000%を出し切ったと思えるようにプレーしてやる』とね」
連覇がかかった09年のプレーオフこそヒザのケガため全休したガーネットだが、6シーズンで計480試合(レギュラーシーズン396試合、プレーオフ84試合)に出場して平均31.0分、15.7点、8.3リバウンド、2.7アシスト、1.16スティール、0.99ブロックをマーク。ヴォーカルリーダーとしても貢献し、その数字以上のインパクトを残した。
「俺はケガをしていようとプレーできるんだと皆に見てほしかった。(ファンだけでなく)チームメイトたちやコーチングスタッフたちにもね。俺はメンタル面が強靭だったし、忍耐力もあったから、一生懸命に練習して、自分の能力を磨き続けてきた。スタミナもあった分、長い時間をプレーすることもできた。コートの両エンドでね」
懐かしそうにセルティックス時代を振り返ったガーネット。在籍期間こそ他の永久欠番入り選手たちと比較すると短く感じられるかもしれないが、この男が名門球団へ残したレガシーは、その栄誉に十分ふさわしいはずだ。
文●秋山裕之(フリーライター)
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