石井宏司に聞く、日本の女性スポーツの可能性

「この人はカッコイイな」と率直に感じたリーダーの方たちは、やはり、外から実際にスポーツの世界に飛び込んでいっているんです。あとは自分が飛び込むかどうかだと感じていました。(日本女子プロ野球機構 理事・石井 宏司)

2016年、侍ジャパン女子日本代表はW杯で5連覇を達成しました。女子プロ野球からもコーチ1人、選手5人が選出され、優勝に大きく貢献しています。

2010年に開幕し、7年目のシーズンを終えた女子プロ野球に昨季から参画したのが、石井宏司氏です。

現在、日本女子プロ野球機構で理事を務める彼ですが、実はスポーツ業界は初体験。

リクルート、野村総研と渡り歩いてきた石井氏が40代も半ばに差し掛かったこのタイミングで自分自身をもう一度見つめ直し、誰もが羨むキャリアを捨てて、新興リーグ・女子プロ野球の世界に飛び込んだ理由とは何なのか。そして女子プロ野球、女子スポーツが持つ可能性を語って頂きました。

転職先で考えることになった“今本当に人を熱狂させるもの”

私は大学院まで進学して、最初はリクルートで働いていました。リクルートではインターネットのビジネスや、新規事業、人材系の仕事をしておりました。

元々リクルートは“卒業”というカルチャーがあり、ある程度働いて経験を積んだら、新しい分野にチャレンジするという風習があります。ちょうど本格的な経営やコンサルティングという分野をやってみたいなと思い始めた時に、

たまたま海外で知り合った野村総合研究所の方に相談したところ、お声がけ頂き、最初の転職を決めました。本当にご縁ですね。

野村総研では経営コンサルタントとして働いていたわけですが、どこの企業もモノが売れなくて困っていました。新規事業などを仕掛けてもなかなか成功せず、何年か仕事をしているうちに、正直このままコンサルタントしての立ち位置だけで関わるのは苦しい、と感じ始めました。

そこで考え直したのは“人々は今一番何に熱狂しているのか”ということ。その時私は自身が住んでいる海浜幕張の街を思い返しました。その年は2010年で千葉ロッテが優勝して、ものすごい盛り上がりを見せていました。幕張メッセでは音楽フェスが人気を集め、若い人が決して安くはないチケットを購入し、熱狂している姿が新鮮でした。

このデフレの時代に高いお金を払って、スポーツや音楽を楽しむ人がいる。その光景を見て、これからはこういった人々を熱狂させるものを中核としてその周りに様々な事業を行っていくことで経済は動いていくと思いました。

それで2013年ごろからスポーツビジネスのセミナーや外部の社会人講座などを時間を作っては多数受講するようになります。

野村総研の最後の方になると企業に対してスポーツを活用した提案が多くなっていきましたし、2020年の東京五輪も決まり、それに向けて人々の関心もより高まっていきました。

アドバイザーから“プレーヤー”として業界に足を踏み入れる

スポーツに関わる機会が増えていくと、この産業はまだまだ未熟だということに気づき始めました。スポーツ業界はそもそも中に人が足りていない実情もあります。ただ、あくまでコンサルティングは外側から事業を指南する役割です。いくら私がコンサルタントとして事業発展の絵を描いても中の人は増えません。むしろそれをすればするほど、世間から『だったらお前が行って、自分でやれよ』と言われている気がしていました。

その気持ち悪さがスポーツ業界に足を踏み入れることを考えるようになったスタート地点でもあります。外側から指示をするだけでは不誠実だとどこかで思っていたんです。

そして様々なスポーツビジネスセミナーに足を運ぶ中でお会いして、自分が「この人はカッコイイな」と率直に感じたリーダーの方たちは、やはり、外から実際にスポーツの世界に飛び込んでいっているんです。あとは自分が飛び込むかどうかだと感じていました。

石井宏司氏

イベントやセミナーの講師・モデレーターなども積極的に行っている石井氏。

転職にあたってはありがたいことにスポーツ界の中でもいろいろな方面から声をかけて頂きましたが、頭の片隅にどうしても野球から始めたいという気持ちがありました。

息子が野球を始めたことで少年野球のチームを見るようになっていましたし、日本における野球という競技が持つ“強さ”を感じていたのも1つの理由です。コンサルタント時代に、企業に提案をしに行く中で、肌が日に焼けていると『もしかして、野球やっていますか?』と聞かれることがあり、そういった会話を切り口に仕事に発展するケースを体験していたんです。野球というものがここまで社会で影響があるスポーツなのか・・・と強く感じていました。

同時にBリーグの立ち上げの話なども聞き、リーグそのものの新しい仕組みや仕掛けが今は試されていると感じていました。私もリーグの新設や立て直しという仕事に携わりたいという考えを持つようになっていきました。

その時点で私は45歳。そろそろ自分の経験値を加速して積む必要があるとも思いました。既にプロ野球(NPB)は人数も組織もしっかり出来上がっていて、成功事例やパターン、伝統などもある中で自分がそれを大きく変えることは難しい。そうなると自分にはベンチャーのようなところが向いているだろうという結論に至りました。

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