“行動力”で茨城から仙台へ。ベガルタ仙台サポ・峰麻美のクラブ愛[PR]
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「サポーター」が、そのチームを選んだ理由は人それぞれ。生まれた時から地元愛を貫く人がいれば、特定の選手に惹かれてサポーターになる人もいます。そんな愛するチームを応援する人々のストーリーに迫るのが本企画「チームを支えるサポーターの“応援”の話 powered by HEAT-X/WIND-X」。
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第1回は、ベガルタ仙台サポーターの峰麻美さんにフォーカスします。
茨城県出身の峰さんは、幼少期からサッカーに親しみ、様々なJクラブとの接点がありました。しかし彼女が選んだのは、学生時代には縁もゆかりもなかったベガルタ仙台。
今ではベガルタ仙台サポーターとして広く知られている峰さんですが、なぜ茨城から仙台へ通うほどの価値をクラブに感じたのしょうか。
写真・撮影:高木創
初めて見たのはジェフ千葉
サッカーとの最初の接点は小学生のときで。男子と混ざってサッカーをやっていました。私は茨城県出身なので県内には鹿島アントラーズがありましたし、読売新聞を取っていたので東京ヴェルディ(読売サッカークラブとして1969年に創設)のグッズをもらうことも良くありました。学校にも2クラブのグッズを持って行っていましたし、Jリーグもテレビで見ていたので、サッカーはいつでも身近にありましたね。
家族はあまりサッカーに関心を持っていなかったのですが、小さい時の写真を見ると、弟がジュビロ磐田のキャップを被っていました。実家に帰ると、今でもJリーグ創設当初のグッズがたくさん。今のJリーグはクラブ数が多いので、クラブごとにグッズショップが存在していますが、当時はデパートやスーパーで、いろんなクラブのグッズが普通に買えたんです。だから、家にも色々あったのかなと。
実はバスケットボールも好きで、レイカーズでコービー・ブライアントやシャキール・オニールが活躍していた時は、NBAを良く見ていました。弟はバスケ部に入っていて、シクサーズが好きだったんですが、私はペイサーズが好きで、レジー・ミラーに魅了されていて。野球も好きで。地元の古河市が埼玉県に近かったので、西武ライオンズも応援していました。
もちろんサッカーを生で見に行きたかったんですが、茨城県にあるカシマサッカースタジアムは家からかなりの距離があるんです。なので、小中学校では見に行く機会はほとんどありませんでした。高校に入ってからアルバイトを始めて、貯めたお金でまず見に行ったのがジェフユナイテッド千葉(当時はジェフユナイテッド市原)の試合。
ジェフではトップ下で活躍する阿部勇樹選手(現 浦和レッズ所属)が好きだったんです。私はそこまで本気でサッカーをやってこなかったので、あまり知識はなかったですが、パッと見で阿部選手が目立っていたので。
その阿部選手がボランチをやっていたこともあって、一番好きなポジションがボランチになりました。“職人” “縁の下の力持ち”という印象が強いです。
持ち前の“行動力”で茨城から仙台へ
それからベガルタ仙台のサポーターになったのは、(※)関口訓充選手の影響があります。関口選手は私と同い年で、帝京高校でプレーしている時から注目していました。その後はあまりプレーを見る機会がなかったんですが、2009年にベガルタがJ2を優勝した時に「そういえば関口選手ってベガルタにいたんだ」と気づいたんです。
※関口訓充・・・元日本代表。2004年に帝京高校からベガルタ仙台へ加入し、8シーズンに渡ってプレー。その後は浦和レッズ、セレッソ大阪と渡り歩き、2018年にベガルタ仙台へ6年ぶりの復帰を果たした。
私はもともとバンギャ(ヴィジュアル系バンドのファン)だったのですが、仙台にはライブで何回も行っていました。その経験から遠くは感じていなかったんです。「だったら関口選手を見るためにベガルタの試合を見に行こう」。そう思い、2010年から仙台に足を運ぶようになりました。
もともと行動力はあるほうだったので、1人で行くことには何も抵抗がなかったです。自分の見たいもの、やりたいことがそこにあるなら、迷わず行動するタイプだったので。
それに当時はTwitterが流行り始めた時だったので、現地に足を運んでいると、同じように遠方から1人で来ている方が連絡をしてくれたんです。少しずつ繋がりが増えていって、いわゆる“関東組”の方々と一緒に応援するようになりました。
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