【テキスト版】CROSSOVER「スポーツコンピテンシー」深堀圭一郎×潮田玲子

「スポーツコンピテンシー」とはビジネスで用いられる「コンピテンシー=成功者に見られる行動特性」をスポーツに当てはめたもの。

そんなトップアスリートが兼ね備えたスポーツで結果を残す秘訣や人生を成功に導くヒントに迫ります。

第4回のゲストは潮田玲子さん。

※敬称略

人気だけではなく実力を証明したい。全日本5連覇の快挙を生んだ二人の想い

深堀:今回は、バドミントンの女子ダブルス元日本代表の潮田玲子さんにお話を伺います。潮田さんがバドミントンを始めたきっかけは、何だったのでしょうか。

潮田:友人に誘われてバドミントンのクラブに入部しました。小学生のころは、基礎練習は辛かったですが試合をするのがすごく楽しかったですね。

深堀:小学生のおきに、後にダブルスでペアを組む小椋久美子さんと対戦していたそうですが。

潮田:はい、その試合中に停電のアクシデントがあって、停電は覚えていたのですが、小椋さんと対戦したことは忘れていました(笑)。

深堀:小椋さんとは、高校2年のときにアジア遠征のための強化合宿で、偶然ダブルスを組むことになったと伺ったのですが。

潮田:先輩ペアの練習のために、余った私と小椋さんがペアを組んだら、正規のダブルスペアに勝ってしまったんです。小椋さんと初めてペア組んだとき「阿吽の呼吸」といいますか、攻撃など自分の動きのリズムに「こんなにマッチする人がいるのか」と衝撃を受けましたね。それで、ダブルスの面白さに気付いたんです。

深堀:高校卒業後は、02年に小椋さんの誘いでバドミントンの強豪チーム、三洋電機へ入社。ここから「オグシオ」の大躍進が始まりましたよね。お二人は高校時代の活躍もあって、04年のアテネ五輪の「特別強化指定選手」にも選ばれましたが、日本代表はどうでしたか。

潮田:日本代表監督の朴柱奉(パク・ジュボン)さんに最初にいわれたのが、日本人はメンタルが弱いという点でした。そこで、自信を持ってプレーするために「追い込んだ練習」を取り入れたんです。戦うための準備として「これだけ練習したのだから」というものがあれば、強い気持ちで大会に出場できますから。

深堀:アテネ五輪は怪我の影響などもあり、出場は叶いませんでしたが、次の北京五輪に向かっては、どんな点を意識されたのでしょう。

潮田:コンビネーションも含め、二人で再び話し合い「自分たちに何が足りないか」を確認しました。そして、戦術についても「共通意識」を大事にするようにしたんです。

深堀:実力が上がるほど「オグシオ」ペアの注目度は上がっていったと思います。そのような状況下で、練習も含めて生活のバランスはうまく取れていたのでしょうか。

潮田:正直、大変でした(笑)。なかなか自分の時間が持てなくて。オフに取材が入るなど、自分たちを取り巻く環境が大きく変わりましたから。当時はさまざまなことが知らないうちに進んでいくような不思議な感覚がありました。ただし、注目されることで、モチベーションは高くなりましたね。例えば、二人の中では全日本の優勝はマストみたいな。「日本一になってオリンピックに出場する」という強い気持ちがありました。

深堀:人気だけではなく「実力が大切」という意識を強く持つことが、成長につながると感じますね。北京五輪の前年の2007年には、世界選手権で銅メダルを獲得され、大きな自信にもなったと思うのですが。

潮田:確かに自信にはなったのですが、結果的に私たちの注目度も一気に上がったので、不安も大きくなったんです。こんなに応援されて「北京五輪でメダルが取れなかったら」みたいなマイナスな気持ちが生まれたんですね。だからこそ、悔いが残らないように、ハードな練習を繰り返しました。

深堀:北京五輪は、結果からいえば5位で惜しくもメダルには届きませんでしたが、04年から08年にかけて、全日本5連覇を成し遂げられているのはすごいと思います。

潮田:今だからいえるのですが、北京五輪が開催された08年は、調子がよくなかったんです。オリンピックで「メダルを取りたい」と強く思っていましたが、コンディションが上がらない時期が続いたんですね。ですから、結果は妥当だと思います。全日本については「勝つこと」が私たちのプライドでした。「オグシオは実力もある」というのを証明したいと思っていたので。

深堀:アスリートは試合に勝つことも負けることもあると思いますが、潮田さんは成長するために必要な目標設定は、どのように感じますか。

潮田:競技を続けていくうえでのモチベーションだと思います。ですから、目標設定がないと先に進めません。自分の現状を把握し目指す方向性を決めることはすごく重要です。

深堀:トップアスリートの方々は、みなさん同じ考え方だと感じます。

北京五輪でメダルを逃し、引退も視野に。周囲の言葉で心が動き混合ダブルスで再スタート!

深堀:潮田さんは北京五輪が終わったタイミングで一度、現役引退も考えられたと聞いたのですが本当でしょうか。

潮田:はい、燃え尽き症候群といいますか、私のなかで気持ちが落ちていたんですね。北京五輪でメダルに手が届かなかったことで疲れてしまい、4年後のオリンピックを見据えられなくて。そのような状況下で、今後について話し合ったのですが、小椋さんには別のパートナーと「ロンドン五輪を目指したい」という意向があったんです。そこで、仮に私が現役を続行するにしても、一度「ペアは解散しよう」という流れになりました。

深堀:しかし、最終的には怪我の影響で小椋さんは引退されて、潮田さんが現役を続行する形になりました。

潮田:私が「現役を続けよう」と思い直したきっかけは、「オグシオ」ペアとして出場するラストマッチとなった全日本総合選手権で、5連覇目を決めたときでした。この大会の決勝戦で、ベストパフォーマンスを出せた。このときに周囲から「すごく勇気をもらえました」などの言葉をいただいて「まだ競技者として、やれることがあるのかもしれない」と感じたんです。北京五輪で一度落ちていた気持ちも回復しました。

深堀:そこから、新しい選択肢として男子選手とペアを組む混合ダブルスという道に進まれましたが、何か理由はあったのでしょうか。

潮田:まず、現役を続けることを考えたときに「小椋さんとライバル関係にはなりたくない」という気持ちがあったんです。しかも、当時の日本は混合ダブルスの選手層が手薄だったので「挑戦してみよう」と考えました。

深堀:男女のペアで戦う混合ダブルスでは、男子選手から打ち返されることもあるわけですよね。シャトルのスピードなどに、戸惑うことはありませんでしたか。

潮田:いろいろな面で難しかったですね。最初の2年間ぐらいは「どうして混合ダブルスを選んだのだろう」と思う日々でしたから(笑)。同郷で高校の先輩でもある、パートナーの池田信太郎さんと一緒に、トップ選手の映像を見ながらイメージトレーニングなどを繰り返し行いました。まさにゼロからのスタートでしたね。

深堀:一度頂点に立ってから、混合ダブルスという新しいジャンルに挑戦されたわけですが、そこには成功体験による「勝負への執着心」みたいなものがあったのでしょうか。

潮田:まず全日本総合選手権での優勝が目標になりましたね。実は2年連続で決勝戦で敗退するなど、この目標がクリアできずに悔しい思いをしていたんです。そのため、混合ダブルスで「全日本を獲るまでは絶対引退しない」と決めていましたね(笑)。

深堀:09年、10年と準優勝に終わった全日本総合選手権ですが、2011年に見事優勝されています。この結果は、やはり勝利への執着心から生まれたのでしょうか。

潮田:「諦めず逃げない気持ち」と「目標に向かってブレない取り組み」が優勝につながったと思います。自分が決めたことに対して、納得できるまで挑戦するといいますか。私は「混合ダブルスでロンドン五輪を目指す」という目標を設定したときから、達成するために必要なことに取り組んでいきました。

深堀:12年には、実際に混合ダブルスでロンドン五輪にも出場。結果は1勝2敗で予選敗退でしたが、オリンピック開催前に同年での引退も発表されましたよね。

潮田:私のなかでは、ロンドン五輪が最大の目標でした。大会の結果が出てから先のことを考えるというより、そこで「競技人生をやり切る気持ち」が強かったんですね。自分のなかで、ひとつの区切をつけるといいますか。

深堀:潮田さんは、シングルス、ダブルス、混合ダブルスとさまざまなジャンルに挑戦されていますが、状況に合わせて「分析することの大切さ」についてはどう思われますか。

潮田:私は分析とイメージがすごく重要だと考えています。自分を分析した結果、理想のイメージとの距離感が「どのぐらいあるのか」を把握し、そこに少しでも近づくように努力すると、いいプレーにつながるからです。また、自分だけではなく対戦相手を分析することも必要だと思いますね。

深堀:分析により自分に足りない点を見出し、目標を達成するために必要なものを身につけていく、これはアスリートはもちろん、人生全般においても重要なことだと思います。数多くの経験を重ねてきた潮田さんの言葉だけに説得力を感じますね。

悔しい気持ちをバネに逆境を跳ね返す。引退後も資格取得などでスキルアップ!

深堀:潮田さんは、小学校のころからバドミントンをやられて、現役時代にさまざまな苦労もされたと思います。おそらく挫折しそうになった経験もあるのではないかと。

潮田:そうですね。例えば、ミックスダブルスを始めたときなども「なにくそ根性」でしたね(笑)。転向したばかりのころはプライドもズタズタになって。今までの女子ダブルスなら勝てた相手に負けてしまうなど、全然上手くいきませんでしたから。それまでの実績などは関係なくて、まさに「ゼロからの始まり」でしたね。しかし、自分が選択したことなので「とにかく負けたくない」という気持ちが強かったんです。

深堀:アスリートですから、負けず嫌いな気持ちはありますよね。潮田さんは女子ダブルスで一度日本のトップ選手にまで上り詰めて、混合ダブルスで苦しい状況になられた。しかし、成功への執着心を持っていたことで復活できたと思うのですが。

潮田:そうですね。自分が決めたことや目標を達成できないときは、すごく悔しい気持ちになります。その思いが、タイトルを獲るなどの執着心につながったと思いますね。

深堀:ちなみに、女子ダブルスと混合ダブルスでは練習方法は全然違うのでしょうか。

潮田:まったく違いますね。本当にイチから学び直す感じでしたから。でも、諦めたり逃げ出したら、そこで終わりですし、絶対に「後悔だけはしたくない」という気持ちで頑張りました。

深堀:その強い意思が、ロンドン五輪出場につながったのですね。ロンドン五輪終了後、20代で現役を引退されましたが、当時は「やり切った」という想いが強かったのでしょうか。

潮田:「やり切った」というよりは、「決めていた」というほうが、しっくりきますね。私は北京五輪が終わった後にも、一度引退と向き合っていますが、このときは「まだ競技者としてやれる」という思いがあり、ロンドン五輪まで頑張る決意を固めたわけです。しかし、当時からロンドン五輪が終わってから先のことについては、競技者としての自分の姿を描けませんでした。つまり、引退は4年前に決めていたように思います。そのために「4年間苦しもう」と。仮に引退して次のステージに進むにしても、4年間努力して苦しんだ時間により「人としても成長できる」と考えていましたね。

深堀:「4年間苦しもう」と思えるのはすごいですね。苦しむ道を選ばずに辞めるほうが楽ですから(笑)。現役を引退してからは、どんな活動を考えていたのでしょうか。

潮田:引退後すぐに結婚したので、流れに身を任せるといいますか、あまり具体的なことは考えていませんでした。2年後には出産もしましたので、自分の感覚のまま生きているかも知れません(笑)。

深堀:ご出産後、家庭を支えるなかで「育児セラピスト」や「野菜ソムリエ」などの資格を取得されていますよね。食育にも力を入れられていると伺いました。その辺にも常に自分を磨いていくアスリート魂を感じます(笑)。

潮田:結婚後、最初に取得した資格が「ジュニア野菜ソムリエ」(現在は野菜ソムリエに名称変更)でした。理由は、自分がアスリートの夫(プロサッカー選手)に食事を提供する立場になってプレッシャーを感じたから(笑)。もちろん、現役時代に栄養士さんから話を聞いて、ある程度の知識は持っていました。例えば、栄養価が高い旬の野菜を「どう調理するのが一番いいのか」などを考え始めたときに、しっかり勉強しようと思ったんです。また、「育児セラピスト」の資格も妊娠したときに、子供を育てるには知識が必要と考えて取得しました。ですから、私の場合は状況に合わせて学んできた感じですね。引退して、初めて自分の時間が持てるようになってから「いろいろチャレンジしよう」という気持ちもありました。暇になるのが嫌だったのだと思います(笑)

深堀:生活環境の中でも「ここをクリアすればよくなる」など、アスリート時代から身についていた考え方が活かされているのだと感じます。いろいろお話を伺い、潮田さんは「環境を豊かにすること」を大切にされるように思ったのですが、いかがでしょう。

潮田:私が一番大切にしているのは「ワクワク感」です。現役時代に混合ダブルスを選択したときも「ワクワクするか」という部分を重視して決めました。これは、引退後に取得した資格なども同じです。反対に、自分が興味を持てないものは続きません(笑)。

深堀:「ワクワク感」というのは、重要なキーワードですよね。人は、それがあるから色々なことに挑戦するんだと思います。今回は貴重なお話をありがとうございました。

▼潮田玲子/しおた・れいこ

1983年9月30日生まれ、福岡県出身。バドミントン女子ダブルス、混合ダブルスの元日本代表。2000年代にペアを組んだ小椋久美子さんと“オグシオ”旋風を巻き起こした