44年の空白に終止符を打ったバーティー。異変を感じた天才はプランBを実行し憧れの恩師と共に表彰台へ<SMASH>
彼女が大きなタイトルを取る度に、必ず、ソーシャルメディアに流布する写真がある。ぶかぶかのワンピースを着た少女が、背の丈ほどのラケットを右手に持ち、左手にはトロフィーを握っている一枚。
試合中にスコールに見舞われたのだろうか、コートは水浸しで、濃紺のウェアにも水滴の跡が残る。だが少女が、雨も気にならぬほどうれしいことは、口角を上げて目を光らせる、無垢な笑みに明らかだ。見る者を思わず笑顔にする写真の少女は、当時6歳の、アシュリー・バーティーである。
それから19年経った今年の1月。25歳になった写真の少女は、第1シードとして、母国開催のグランドスラム制覇に挑んでいた。ジュニア時代には、スポーツ大国を自負するオーストラリアの過剰な期待を背負い込み、心を壊しかけテニスを離れたこともある。
2年間の“準引退”を経て、「テニスがしたい」と心から思えた後は、今も師事するコーチのクレイグ・タイザーと共に、文字通りゼロから新たなキャリアを歩み始めた。
「復帰した時の彼女は、グランドスラムで優勝できるとは考えていなかったと思う。ただ彼女は、テニスが好きだった。挑戦できることにワクワクしていた」。約6年前の日を、タイザーは回想する。
その「ワクワク」を推進力に、彼女はテニス少女がそのまま大人になったかのように、復帰後は楽しそうにコートを駆けていた。
2019年の全仏オープンで初のグランドスラムを取った時も、そして“44年ぶりのオーストラリア人全豪オープン制覇”の期待が掛かる今大会でも、その風情は変わらない。テレビ解説をつとめたジム・クーリエが「フェデラー以上」とまで絶賛した変幻自在のスライスを操り、相手を手玉に取る姿は、テニスボールと戯れるよう。一つのセットも落とすことなく、日々高まるファンの声援を追い風にして、彼女はデニエル・コリンズが待つ決勝まで駆け上がった。
決勝のバーティーが微かな“異変”を示したのは、最初のゲームで、得意のスライスが大きくラインを割った時だったろうか。もっともその兆しは、完璧に近いサービスによって隠され、すぐに表面化はしない。
だが第1セットを6−3で奪った後の第2セットで、様相が変わり始めた。準決勝までの鋭さや精度が削がれたスライスは、バックの強打を最大の武器とするコリンズの餌食になる。瞬く間にゲームカウントは、コリンズの5−1リードと広がった。
後にバーティーは、「今日はストロークの感覚が良くなかった」と認めている。だが「天才」と称された彼女には、“プランB”を選択する冷静さとスキルがあった。
「足を使い、フォアを多く使おうと思った。ミスすることは気にせず、攻撃的に行くことを考えた」。はたして試合展開は、劇的にまで反転する。
バックサイドのボールに回り込み、逆クロスとストレートに自在に打ち分けるバーティーの前に、コリンズは劣勢に回った。
突破口を見つけ、軽快さを増すフットワーク。走り出したストローク。1ポイントごとに沸きあがる、割れんばかりの大歓声——。この時に生まれた潮流を、止める術を持つ者はいなかっただろう。
タイブレークでのバーティーは、彼女がなぜ世界1位か、そして44年という歴史の溝を埋めるにふさわしい選手かを証明する。ドロップショットで相手を誘い出し、中ロブで再び後方へ揺さぶり、それでも追いすがるコリンズが必死に返したロブを、下がりながら豪快にスマッシュで叩き込む。ボールと戯れるような彼女の魅力が、凝縮されたシーンだった。
44年の空白に終止符を打ったのは、この日を象徴するかのような、鮮やかなフォアのパッシングショット。
刹那、いつもは勝利の瞬間も穏やかなバーティーが、吠えた。ネット際の握手を終えると、ラケットをベンチへと軽く放り、身体の内の感情を全て吐き出すかのように、二度、三度と両手を振り下ろし、身体を折り曲げて叫んだ。
「私にしては、ちょっと珍しいことだよね」。後にバーティーは、少し照れ臭そうに栄光の瞬間を振り返った。
決勝の熱が冷めやらぬセンターコートで、行なわれた表彰式。オーストラリアを象徴する青い照明が照らすステージ上で、司会をつとめるトッド・ウッドブリッジが、うやうやしく言った。
「実はトロフィープレゼンテーターとして、サプライズを用意しました。全豪オープン4度の優勝を誇る、イボンヌ・グーラゴング・コーリーです!」
驚きの喚声に沸く、スタジアム。もっとも、幼少期から憧れた “恩師”の登場に誰より驚いたのは、外ならぬ優勝者だったろう。
声を上げ、目を輝かせ、口角を上げて顔中に幸福感をみなぎらせる——。その無垢な笑みは、19年前の写真の中の少女、そのままだった。
現地取材・文●内田暁
【連続写真】内側にしぼる動きでパワーアップする、バーティーのバックハンドスライス
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