ヒップホップの“その後”。拡張するNBAカルチャーの現在地【-音楽から見るNBA vol.3-】

ジョーダンが第一線を退いた2000年代のNBAでは、アレン・アイバーソンという存在が、NBAとヒップホップ、さらにはファッションまでも一気に融合させた。観客の応援そのものが“音”だった時代から、音楽が“音”として受け入れられ、会場の熱を作る装置へと変わっていった時代でもある。

アイバーソンが体現したヒップホップのカルチャーは、当時こそ「異端」として扱われていた。しかし、時代の流れとともにそれは異端ではなくなった。彼の象徴だったコーンロウも、タトゥーも、同じようにリーグへと溶け込んでいった。

では、ヒップホップが“あって当たり前”になったNBAは、その後どのように変化していったのか。あるいは、何も変わらなかったのか。
今回は、2010年代以降のNBAの音楽カルチャーを深掘りしていく。

前回記事:
アリーナDJの登場とNBAの"異端児"アレン・アイバーソン。NBAと音楽が共鳴した2000年代【-音楽から見るNBA vol.2-】

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ヒップホップが“当たり前”になったNBA

もはや説明不要となったヒップホップカルチャー

2000年代、アレン・アイバーソンが体現したヒップホップは「異端」だった。
しかし2010年代に入る頃には、それは説明すら必要のない前提へと変わっていた。

かつて議論の対象になったコーンロウも、タトゥーも、ストリート由来のファッションも、もはやリーグの日常風景である。実際、NBAとヒップホップが半世紀にわたって共に歩み、相互に影響を与えてきたことは多くのメディアで振り返られている。NBC Sportsは「NBAとヒップホップは50年間、共に成長してきた」と特集し、その関係が一過性の流行ではないことを明確にしている。もはやヒップホップは“NBAに入り込んだ文化”ではない。NBAそのものの文化の一部なのだ。

アリーナDJは“盛り上げ役”から“演出家”へ

2010年代に入ると、アリーナDJの役割も変わっていく。
2000年代は試合のテンションを上げる存在だった。しかしSNSとハイライト文化が浸透した2010年代以降、音楽は「その瞬間を象徴する装置」へと進化する。『Forbes』では、ヒップホップがNBAの試合演出やブランド形成において重要な役割を果たしてきたことを紹介している。音楽は単なるBGMではなく、試合体験そのものを構成する要素となった。

ダンクの瞬間、クラッチショットの直前、タイムアウト明け。
流れるビートが、その場の空気を決定づける。音楽は観客の熱量を後押しするだけではない。試合の物語を編集する“見えない演出家”へと進化した。


アイバーソンが、Iverson Classicで、JeezyとBankroll Freshに合わせて観客と一緒にノリノリでバイブ

ストリートからグローバルへ

ヒップホップ一強ではない時代へ

そしてもうひとつの変化。ヒップホップは消えなかったが、唯一の主役でもなくなった。
2010年代、NBAは急速にグローバル化する。これは自然発生的な広がりではない。NBAは90年代以降、海外開催試合や国際放送網の拡大を続け、2010年代には明確に“グローバルリーグ”としての立ち位置を確立した。公式発表によれば、NBAの試合は200以上の国と地域で放送され、60以上の言語で配信されている。このようにヨーロッパ、アフリカ、アジア出身のスターが増え、リーグは世界規模のエンターテインメントへと拡張した。

さらに近年は、開幕ロスターに100人以上の国際出身選手が名を連ねる状況が続く。スターが増えたから世界化したのではない。世界に売る準備を進めていたから、スターが“世界的存在”になった。グローバル化は結果ではなく、戦略であり、それに伴って音楽も多様性を増していった。

デジタル時代が拡張した“NBAの音”

この戦略を決定的に加速させたのが、デジタル時代の到来である。

SNSと動画プラットフォームは、ハイライトを一瞬で国境の外へ運んだ。『Forbes』は、NBAが北米主要リーグの中でも特に国際的なデジタル影響力を持つ存在であると話す。重要なのは、映像だけではない。そこに乗る“音”も同時に拡散されたことだ。

ダンクの裏で鳴るビート。選手入場の楽曲。アリーナDJが刻むリズム。

ストリートのサウンドは、SNSによって世界へ届く。ヒップホップは消えない。だがそれだけでもなくなる。
ラテン、アフロビーツ、ポップス。

アリーナのプレイリストは自然と多様化していく。ストリートから始まったNBAの音楽文化は、選手のグローバル化に伴って国境を持たなくなっていく。


今年のNBAオールスター・セレブリティーゲームでハーフタイムにパフォーマンスをした、K-POPボーイズグループ『CORTIS』

選手は“カルチャーの担い手”になる

音楽を消費する側から、文化を拡張する存在へ

2010年代後半から2020年代にかけて、NBA選手の存在は単に“試合で活躍する人”ではなくなった。彼らはスポーツを越えてカルチャーを形作る象徴へと変わっていった。

NBAとヒップホップの結びつきは、選手個人のファッションやプレースタイルだけでなく、メディアやファンコミュニケーションのあり方そのものに影響を与えてきた。こうした文化的な影響は、NBAとヒップホップが“共鳴する関係”としてしばしば語られている。音楽とバスケットボールは、競技の枠を越えて互いの文脈を強め合い、両者の関係性が世界中で共感を呼ぶ現象になっている。

象徴的なのは、LeBron Jamesの立ち位置だ。彼は単なるスター選手ではなく、ヒップホップ・アーティストとの強い結びつきを持ち、カルチャーの交差点に立ち続けてきた存在である。たとえば彼がエグゼクティブプロデューサーとして関わった『The Shop』は、アスリートとアーティストが対等に語る場を作り出した。スポーツと音楽の境界を曖昧にする試みだった。

「選手がカルチャーの担い手になる」とは、単に自分の好きな曲を紹介したり、パフォーマンス前に音楽をかけるだけの話ではない。ヒップホップやストリートカルチャーと選手の関係は、ファッション、言葉、態度、ライフスタイル、さらには社会的発言にまで拡張されている。NBAという場での存在感は“試合だけ”では語れなくなっているのだ。

現代のNBAでは、SNSが選手と世界のファンを直接結びつける役割を果たしている。選手個人の投稿が何億回も視聴されるような時代において、コートでの行為・プレイ・言動・選曲・服装・音楽リストの共有までもが、世界のカルチャー潮流を動かす発信コンテンツとして機能するようになった。
さらに、NBAは「Friends of the NBA」といったプログラムを通じて音楽アーティストやカルチャーアイコンと協働する取り組みを進めている。たとえば人気グループENHYPENがアジア地域のアンバサダーとして公式プログラムに参加し、NBAと音楽・エンターテインメントの融合を象徴する存在となっている。これはスポーツリーグとして、選手やファンを越えたカルチャー的接点づくりを意図している動きだ。こうした流れを生んだのは、リーグ単体の人気や選手のスタープレイだけではない。NBAというショーは、音楽・SNS・国境・文化の交差点として再設計されたのである。

音楽は、もはや試合を彩る装置ではない。NBAという舞台を構成する一部になった。

だが、ここでひとつの問いが残る。
選手は“文化を拡張する存在”になった。では、もしその選手自身が、音楽を作る側に立ったとしたらどうなるのか。コートの上でビートを刻むだけではない。スタジオでもマイクを握る。バスケットボールとヒップホップは、並走する関係から、やがてひとりの人間の中で交差するようになる。その象徴が、デイミアン・リラード、ロンゾ・ボール、そしてシャキール・オニールの系譜である。

次章では、「NBA選手がラッパーになる時代」を紐解いていく。
コートとマイクは、どこまで近づいたのか。

【参考】
https://www.nbcsports.com/nba/news/for-50-years-the-nba-and-hip-hop-have-been-intertwined-growing-together
https://www.forbes.com/sites/forbestheculture/2020/10/07/the-crossover-how-hip-hop-culture-was-set-free-in-the-nba/

The Relationship Between Hip-Hop and the NBA


https://www.rbbtoday.com/article/2025/05/25/230440.html