
今、日本の世の中はまさに「平成リバイバル」の真っ只中にある。
平成初期に流行したカルチャーが、時代を経て再び注目を集めている。最先端の高画質カメラが当たり前になったにもかかわらず、「写ルンです」や「チェキ」のような粗さのある写真が支持され、ルーズソックスを履く女子高生やアイドルの姿も珍しくない。たまごっちやポケモンといった平成生まれのコンテンツを、あらためて楽しむ人も増えている。
この“懐かしいのに新しい”現象は、実はNBAの世界にも当てはまる。90年代のNBAには、その時代ならではのファッションやスタイル、そして一瞬だけ強烈に流行したカルチャーが数多く存在した。
今回は、そんな90年代にバズったNBAカルチャーを振り返りながら、バスケットボールの世界でも「平成リバイバル」は起きているのかを探っていきたい。
【NBA発カルチャー】アメリカ人が漢字を“クール”だと思っていた時代
まず大前提として、90年代から2000年代初頭のNBAにおいて「刺青」は、単なるファッションではなく「自己表現」であり「出自の証明」であり、いわば「自分の人生そのもの」を刻む行為だった。もちろん、現在のNBAでも刺青は一般的だが、当時は特に、「母や子どもの名前」や「大切にしてきた聖書の言葉」など、ここまでの人生で何を大事にしてきたかを身体に刻むケースが多かった。ほかにも、ニックネームやスローガンを入れる選手は少なくない。
たとえば、レブロン・ジェームズが背中に大きく彫った「CHOSEN 1(選ばれし者)」や、ステフィン・カリーの「I CAN DO ALL THINGS(自分は一人ではないから挑戦できる、という意味)」といった刺青は、その象徴的な例だ。
この投稿をInstagramで見る
ちなみに余談だが、マイケル・ジョーダンも現役時代に刺青を入れていた。左胸、心臓に近い位置に刻まれていたのは「オメガ(Ω)」のマーク。これは、アメリカの黒人学生友愛団体「Omega Psi Phi(オメガ・サイ・ファイ)」に所属していた証であり、ジョーダン自身のルーツやアイデンティティを示すものだった。ユニフォームに隠れるほど小さく入れていたことからも分かるように、ジョーダンの時代における刺青は、自己主張やファッションのためのものではなかったことがうかがえる。
話を戻そう。そんなNBAにおいて、90年代から2000年代初頭にかけて一時的なブームとなったのが「漢字の刺青」だ。
なぜ読みも理解もできない「漢字」が流行ったのか?
当然ながら、アメリカ人にとって漢字は簡単に読めるものではない。文字というよりも「記号」に近い感覚で捉えられていたと言っていいだろう。たとえば「POWER」と彫るよりも「力」と彫ったほうが、強そうでクールに見える──そんな感覚があった。また、当時はジャッキー・チェンの影響もあり、カンフー映画をきっかけとした東洋文化ブームが起きていた時代でもある。漢字は「意味が深そうなもの」「哲学的なもの」として、強い憧れの対象だった。
この漢字刺青ブームの象徴的存在が、アレン・アイバーソン(フィラデルフィア・76ers)である。90年代後半、NBAのファッションリーダーとして一時代を築いたアイバーソンは、首の右側に「忠」という漢字を一文字入れていた。忠義、忠誠、真実、忠実──彼自身が大切にしてきた価値観を、あえて一文字に集約した形だ。また、当時“問題児”と呼ばれることも多かったアイバーソンが「心を入れ替え、チームに忠誠を誓う」という意味を込めて入れたとも言われている。
この投稿をInstagramで見る
ほかにも、マーカス・キャンビー(デンバー・ナゲッツなど)は、右腕の力こぶに「勉族」という刺青を大きく入れている。これは「勤勉さ」と「家族を大切にする姿勢」を表現した、彼自身による造語だ。また、ケニオン・マーティン(ニュージャージー・ネッツなど)は、孔子の言葉として知られる「患得患失」という四字熟語を右腕に彫っている。これは「得たいと思うから不安になり、失いたくないと思うから臆病になる」という意味を持つ言葉で、成功と転落の狭間で戦うNBA選手の心理を象徴しているとも解釈できる。もちろん、マーティン本人がこの言葉をどこまで深く理解していたかは定かではないが、当時のNBAが“正確さ”よりも“ストーリー性”を重視していた時代だったことは確かだ。
なお、現役選手ではアーロン・ゴードン(デンバー・ナゲッツ)が、背中の左側に「改善」という漢字を彫っている。「常に自分を向上させたい」という彼のモチベーションを示す言葉であり、こちらは意味を理解したうえで選ばれたものだろう。
現在、漢字の刺青を入れているNBA選手は決して多くない。しかし、漢字という異文化の文字をNBAに持ち込み、一つのカルチャーとして成立させたのは、間違いなくアイバーソンの存在だった。そして今なお彼の「忠」が語り継がれているのは、90年代NBAがいかに自由で、未完成なカルチャーだったかを象徴しているからなのかもしれない。
ゴードンのタトゥーも改善🤭 https://t.co/KI5WGCwzez pic.twitter.com/33wFDqbQS7
— どこからでもBucket (@DokoBucket) January 4, 2025
【見た目もプレーの一部】バスパンはなぜ長くなり、腕は覆われたのか
バスケットボールの世界において、非常に分かりやすいトレンドの指標となるのが「バスパンの長さ」だ。
競技が始まった当初、バスパンは陸上選手のユニフォームのように非常に短かった。そこから時代を経て、マイケル・ジョーダンが活躍した90年代になると、ようやく膝上ほどの長さが一般的になる。この頃は同時にスパッツを履くスタイルも流行しており、「バスパンよりもスパッツの方が長い」という着こなしが人気を集めていた。
Michael Jordan drives past Dell Curry and Vlade Divac.@ChicagoBulls at Charlotte @Hornets
Charlotte Coliseum
Charlotte, North Carolina
December 12, 1997@Jumpman23🐐
🏆🏆🏆🏆🏆🏆 pic.twitter.com/d2uCJMHuiZ— AirJordans23 (@AirJordans2323) December 12, 2025
そして2000年代に入ると、AND1に代表されるアメリカのストリートカルチャーが大きな注目を集める。その影響もあり、バスパンは一気に膝下まで伸び、シルエットも極端に大きくなっていった。このスタイルを象徴する存在が、アレン・アイバーソンである。
ただし、この“超でかいバスパン”の流行は結果として長くは続かなかった。シンプルに動きにくく、切り返しの際に引っかかることも多かったうえ、2005年にNBAがドレスコードを制定したことで、ファッションにも一定のルールが設けられるようになった。競技としての最適化が進む中で、このスタイルは徐々に姿を消していったのである。とはいえ、ストリートカルチャーがNBAのコートにまで到達したという意味では、非常に象徴的な出来事だったと言えるだろう。
Allen Iverson 🔥🥶 pic.twitter.com/bxNCyvjK3O
— Fastbreak Hoops (@FastbreakHoops5) December 7, 2025
その後、バスパンの長さは再び膝上程度で落ち着く。さらに一時期は、ステフィン・カリーの影響もあり、7分丈ほどのいわゆる「レギンス(スパッツ)」を履くスタイルが流行した。しかし現在ではこのスタイルもやや下火となり、膝上丈のバスパンに、同程度の長さのスパッツを合わせるのが主流となっている。
アイバーソンが持ち込んだ、もう1つのアイテム
ファッションリーダーとしてのアイバーソンがNBAに持ち込んだアイテムとして、もう一つ欠かせないのが「アームスリーブ」だ。ただし、これは当初から“おしゃれ”として取り入れられたものではない。アイバーソンは肘の怪我を隠し、再発を防ぐために着用していたのであり、出発点は完全に医療・実用目的だった。
ところが、アイバーソンが身につけてプレーする姿が注目を集めるにつれ「あれ、カッコよくないか?」という空気が広がっていく。結果としてアームスリーブは一気にNBA全体へと浸透した。肘の保護や床に飛び込んだ際の擦り傷防止、汗止めといった実用性も高く、バスパンとは違ってプレーの邪魔になることはない。むしろ、パフォーマンスにプラスの影響を与えるアイテムとして受け入れられた。
当初は白と黒のみのカラー展開だったが、アームスリーブの流行によって、ユニフォームにあった色が作られるようになりカラー展開も豊富に販売がスタート。そういった点も後押しとなり、アームスリーブは定着。2025年現在でも、多くの選手にとって欠かせない装備の一つとなっている。
Join us in wishing Rui Hachimura of the @Lakers a HAPPY 27th BIRTHDAY! #NBABDAY pic.twitter.com/p4w4ulK7Gi
— NBA (@NBA) February 8, 2025
【コート外のNBA】コーチジャケットとティンバーが示した90年代の美学
90年代から2000年代初頭にかけてのNBAは、コートの上だけでなく、コートの外でも強い影響力を持っていた。試合前後の入退場、インタビュー、オフコートでの服装――そのすべてが、NBA選手の「スタイル」として消費されていた時代である。
その象徴的なアイテムの一つが、コーチジャケットだ。ナイロン素材で、シンプルなデザイン。もともとは指導者やスタッフが着用する実用的なアウターだったが、90年代にはストリートファッションの文脈で再解釈され、NBA選手の私服として定着していった。派手なロゴや装飾はなくとも、身体の大きな選手がラフに羽織るだけで様になる。その無骨さが、当時のNBA選手像と強く結びついていた。
足元で存在感を放っていたのが、ティンバーランドの6インチブーツだ。本来は作業靴として生まれたティンバーランドが、ヒップホップやストリートカルチャーを通じて若者文化のアイコンとなり、その流れはNBAにも及んだ。バスケットボール選手が、あえて重くて硬いブーツを履く。そのアンバランスさこそが、「コートの外では完全に別の顔を持つ」というメッセージだったとも言える。
Step out in team spirit with the NBA x Timberland Collection. Shop the #collab: https://t.co/hsxCktY7zQ pic.twitter.com/ztSHF0dnYe
— Timberland (@Timberland) October 29, 2019
さらに、コーチジャケットやティンバーランドと同様に、G-SHOCK(特にDW-6900系)もまた、当時のNBA選手にとって欠かせない存在だった。90年代のNBAのタフさと、ストリートxスポーツの交差点を象徴するアイテムとして人気を集めていたのだ。さらに言えば、90年代〜2000年初頭は、ロレックスも流行していた。NBA選手の年俸が爆上がりしたタイミングでもあったため、多くのNBA選手はロレックスを購入していたが、正装の時はロレックス、移動や日常でつけるのはG-SHOCKという棲み分けがされ、彼らのストリートらしいアイデンティティを表現するアイテムとして欠かせなかった。
当時のNBA選手にとって、私服は単なるオフの服装ではなかった。どこで育ち、何を背負ってきたのか。ストリートとの距離感や、成功者としての現在地。そうしたものを、言葉ではなく服装で語っていたのが90年代NBAだった。コーチジャケットやティンバーランド、G-SHOCKは、まさにその“語らない自己表現”のツールだったのだ。
しかし2000年代半ば以降、リーグのドレスコード制定や、スター選手のブランド化が進むにつれて、NBAのオフコートスタイルは徐々に洗練されていく。テーラードスーツやハイブランドが主流となり、かつての無骨なストリート感は表舞台から姿を消していった。
それでも今、平成リバイバルの流れの中で、コーチジャケットやティンバーランド、G ~SHOCKが再び支持を集めているのは偶然ではない。機能性や効率ではなく、空気感や物語を身にまとう感覚。90年代NBAが体現していたその美学が、いま改めて“新しいもの”として受け取られているのだ。
🆕新アイテム⌚️
『G-SHOCK』八村塁シグネチャーモデル第4弾を発表…細部に特製デザイン、9月6日発売https://t.co/hPyizIbfvQ
八村は「僕の好きなカラーや“Black Samurai logo”を使ってデザインされています。ぜひ一度、このモデルを手にとってみてください」とコメントしました💬#GSHOCK #CASIO pic.twitter.com/fcN1uSCl1Q— バスケットボールキング (@bbking_jp) August 21, 2024
【まとめ】あの頃のNBAが、今いちばん新しい
平成リバイバルと呼ばれる現象は、単なる懐古趣味ではない。写ルンですやたまごっちが再び支持されるように、いま人々が惹かれているのは「便利さ」や「効率」ではなく、不完全さや余白、そして物語を感じられるものだ。その視点で見たとき、90年代のNBAは、驚くほど現代と地続きの存在として立ち上がってくる。
刺青は、選手たちが自分の人生や信念を身体に刻むためのものだった。正確な意味よりも、「自分がどう生きてきたか」を表現することが優先されていた時代。アイバーソンの「忠」や、キャンビー、マーティンの漢字刺青が象徴するのは、90年代NBAが持っていた自由さと未完成さだ。そこには、整えられたスター像ではなく、剥き出しの個人がいた。
バスパンの長さの変化も、同じ文脈で語ることができる。ストリートカルチャーがNBAのコートにまで入り込み、機能性よりも“スタイル”が優先された時代。しかし競技としての最適化が進む中で、超でかいバスパンは姿を消し、アームスリーブのように機能を伴うものだけが残った。自由がすべてを支配していたわけではなく、NBAは常に「表現」と「競技」の間で揺れ動いてきたのだ。
コート外に目を向ければ、コーチジャケットやティンバーランドが象徴する無骨な私服スタイルがあった。そこには、成功者でありながらストリートとの距離を保ち続ける、当時のNBA選手たちの美学があった。やがてリーグの管理が進み、スターはブランド化され、オフコートの装いも洗練されていく。しかし、その過程で失われた“荒さ”や“匂い”に、いま再び価値が見出されている。
こうして振り返ると、90年代NBAが魅力的に映る理由は明確だ。それは、すべてが最適化される前の世界だったから。正解が一つではなく、選手一人ひとりが模索しながら、自分なりのスタイルを作っていた時代だったからだ。
平成リバイバルの本質は、「昔は良かった」という話ではない。むしろ、「整いすぎた今」に対する違和感の裏返しだ。だからこそ、90年代NBAは“懐かしい”だけでなく、“新しく”見える。未完成で、荒削りで、どこか危うい。それでも確かに、強い熱を持っていた時代のカルチャーと言えよう。
もし、かつてジョーダンやアイバーソンに熱狂していた記憶があるなら。いま改めて90年代のNBAを見返してみてほしい。そこには、平成リバイバルと呼ばれる現象の核心が、すでに詰まっている。あの頃のNBAは、今いちばん新しい。
Follow @ssn_supersports




