【まとめ】NBA選手のユニークなセカンドキャリア -ビジネスとして見るNBA vol.12-

NBA選手が現役のプロ選手として活躍できる期間は、どのくらいか。
アメリカのデータジャーナリズムで最先端を走る「Five Thirty Eight(通称:538)(※1)」によれば、「NBA選手の平均キャリアは「4.5年〜5年弱」」と言われている。「平均で」だ。今もなおNBAの頂点に君臨し続けるレブロン・ジェームズは18歳でNBA入りし現在41歳だが、23年というキャリアは言葉を選ばずにいうと”異常”なのだ。それほどまでに、NBAで活躍し続けられる選手は一握りであり、5年・10年・15年も活躍できる選手はそう多くない。

これまでの記事では、選手が現役を続けるためのプログラムやNBAが行っている支援などに焦点を当て、その中で一部選手を紹介した。今回は総集編として「平均キャリア」でNBAを去ってしまった選手たちの中からユニークなセカンドキャリアを形成している人物をいくつか紹介していきたい。
※ヘッドコーチとして活躍する人物や、中国リーグへの移籍、3x3への転身などは除く

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ビジネス界で大成功!

トロイ・マーフィー/財務や投資戦略のアドバイザー

NBA在籍したばかりの若い頃に、突然手に入ってしまった莫大なお金をどう管理すれば良いかわからず、信頼できるアドバイザーを探すことに苦労したことをキッカケに、NBAで12年間プレーした後に投資や財務の世界に足を踏み入れたトロイ・マーフィー。

NBA引退後、マーフィーはゼロからお金の管理を学ぶためにコロンビア大学で社会学の学位を取得し投資銀行へ就職する。いきなり余談だが、マーフィーはそもそもノートルダム大学(日本でいう東京大学クラス)出身。ノートルダム大学にはバスケ推薦(奨学金あり)で入学したものの、勉強も非常に熱心にしていたとのことで、そもそも地頭もよかったのであろう。
転職後、彼はすぐに「これからNBAで活躍する未来のスターたちに、お金の管理で苦労してほしくない」と、投資銀行では特に「突然の富」を得た人に対して、低コストのインデックスファンドや税効率の高い投資戦略を進めるなどのアドバイスに注力する。
そして2019年に「Sweven Wealth」を設立。この会社は突然の富を得た人々に対し、財務計画や投資戦略のアドバイスを提供する会社である。さらに会社の利益は財務教育を支援する非営利団体に寄付。マーフィーは、金融リテラシーの向上と、アスリートや急成長した企業の従業員が直面する財務問題への対処を目指し今もまい進している。

デヴァン・ジョージ/低〜中所得者向けの住宅開発

シャック&コービーの全盛期の名脇役として、いぶし銀な活躍を見せていたジョージ。ちょうど10年NBAに在籍し、各チームで渋い活躍を見せたロールプレイヤーである。派手な実績はないものの、短いプレータイムでしっかりと結果を出してくれるような選手だった。2009年以降は契約できるチームがなくなってしまったため引退をしたが、引退後、彼はすぐに地元であるミネアポリスで「George Group North」という不動産開発会社を設立。
この会社は、低〜中所得者向けの住宅開発を行っている会社で、家賃を抑えたアパートやコミュニティセンターを併設した複合開発、街の再開発など「地元コミュニティ」を強く意識した不動産開発を多数行った。ジョージの場合はこれらを作る前に住民の声を反映するための「コミュニティ・デザイン型」と称される開発スタイルが非常に地元民からも好評を受けており、ミネアポリスの発展に貢献し続けている。ミネアポリス周辺の複数地域でもプロジェクトを採択していることもポイント。

ジョージはあくまで小規模から中規模の開発で着実に利益を出しているタイプで、豪邸を作ったり大規模な都市開発には一切手を出していないことも特徴。「引退してからは地元のミネアポリスに恩返しするんだ」と語り、現在も地元の人が過ごしやすくなるようなコミュニティを形成し、また時には地元の学校への寄付や低所得家庭への奨学金の寄付なども行っている。アメリカの元プロスポーツ選手とは思えないほど渋い経営スタイルが話題で、時にメディアからも呼ばれ、アスリートのセカンドキャリア関連で公演を行うこともある。
「俺のレイカーズでの役割は、コービーとシャックのスターの隙間を埋めることだった。ビジネスでも同じで、地域の隙間にある課題を埋めたいんだ」と笑顔でインタビューに答える姿も印象的である。

マジック・ジョンソン/スターバックス200店舗以上をフランチャイズ

最後に、マジック・ジョンソンはNBAの歴史の中でも超がつくスーパースターで有名な選手。味方を全く見ないで正確なパスを出す「ノールックパス」の生みの親であり、シャックとコービーの前の時代で「ショータイム・レイカーズ」の時代を作った人物だ。
そもそも、マジックは1959年にミシガン州で生まれたが、ミシガン州は白人中流階級層の街であり、黒人のマジックはいわゆる人種差別を受けて育った。バスに乗れば白人は前、黒人は後。という時代だ。そんな人種差別を受けながらも「俺は笑顔と努力で乗り越える」とさまざまな試練を乗り越えた。

1992年のバルセロナ五輪を最後に引退したマジックは、コメンテーターなどの仕事をしていたが、1998年に転機が訪れる。
当時スターバックスは、中〜高所得者の白人向けのコーヒーショップとして有名で、物価の高いエリアを中心に展開していた。スターバックスとしては「このブランドを低所得者の多い黒人コミュニティに進出しても売れないのではないか」と考えていたことで、あえてマーケットを限定的にしていたが、そこでマジック・ジョンソンが立ち上がる。

「People in the inner city want the same quality as Beverly Hills」
(インナーシティだってビバリーヒルズと同じ高品質を求めている)

これはマジックの引退後の名言のひとつであるが、インナーシティは黒人が多いエリアを指し、またビバリーヒルズは高所得者が住むエリアを指す。要するに住んでいる場所が違う母といって、サービスを変える必要はない、ということを言ったのだ。「場所で差別しない」という考えに共感し(実際はマジックがスタバのCEOのハワード・シュルツを説得した)、キックオフとしてマジックの会社の子会社とスターバックスが共同で「Urban Coffee Opportunities(以降UCO)(※2)」という店舗を設立し、1999年にロサンゼルスでオープンさせた。
マジックは「座席数を増やす」「音楽をR&Bにする」「フードの品揃えを変える」「地元スタッフを優先的に採用する」という4つの方針を掲げて店舗をスタートしたが、これがインナーシティで大成功となる。黒人コミュニティでも、スターバックスは飛躍的に売れたのだ。これを見たスターバックスが「マジックにもっと任せたい」となり、マジックの会社は大規模にスターバックスのフランチャイズ権を獲得。最終的には約200店舗を運営する巨大パートナーに成長し、最終的に2010年頃にマジックは全店舗をスターバックスに売却して巨額の利益を得たというストーリーがある。この物語は、マジックがスーパースターだったからできたことでもあるが、彼のバックボーンでもある「黒人コミュニティを豊かにしたい」という強い思いが動かした成功でもあった。


左がマジック・ジョンソン。右がスターバックスのCEOであるハワード・シュルツ氏

引き続きバスケ界で活躍中!

シャキール・オニール/テレビ番組「Shaqtin' A Fool」が大バズり

例えばスポーツ番組のキャスターなどをしている人間は正直に言うと多い。ただ、自分たちでバズる人気番組を作った事例はほぼない。元レイカーズに所属していたビッグマンのシャキール・オニールは「Shaqtin' A Fool(シャックティン ア フール)」という、いわゆるNBA選手の「珍プレー・好プレー」を取り上げて小馬鹿にした独自のコンテンツを作り出し引退後も変わらず大人気である。
もともとシャックは陽気なキャラクターで有名であるが、番組でもその様子が常に垣間見える。相手を笑わそうとして何かをしたり、いわゆるボケをして笑わせるなど、とにかく周りを明るくする人物である。そんな彼が創り上げた「Shaqtin' A Fool」は、結論からいうと「好プレー」はほぼ取り上げられず、「珍プレー集」と言っても過言でなない内容であるため、NBA選手側からすると「不名誉なことの象徴」とも言われている。
よって、NBA選手の間でも、珍プレーをしたら「「Shaqtin' A Fool」に取り上げられるぞ」といった煽りをされることもしばしば。もちろん取り上げられるように意図的にプレーしている選手はいないが、番組に取り上げられないように、変なプレーだけはしないように心掛けていると語る選手も少なくない。

また、ケーブルテレビのTNTで放送している「Inside the NBA」で人気解説者としてシャキール・オニールと、彼の先輩に当たるチャールズ・バークレーは活躍している。

マルコ・ヤリッチ/国際的なバスケの橋渡し役

2000年〜2005年頃にニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン・ネッツ)などで活躍したロールプレイヤー。セルビア出身で元ユーゴスラビア代表。NBA入りする前は、ギリシャのプロバスケリーグでプレーするなど非常に国際色豊かな選手である。
そんな彼は、彼のバックボーンを活かして国際的なバスケの橋渡し役として活躍をする。具体的に、ヨーロッパ(セルビア・クロアチア・モンテネグロ)と米国の若手選手をつないだり、NBA経験者としてトレーニングメソッドやプロ選手のメンタル指導を提供するなどといった「国際ジュニアバスケキャンプ」を実施。
また「欧州→NBA」「NBA→欧州」両方のネットワークを活かし、選手のスカウトやキャリア相談も行いつつ、ヨーロッパ選手のNBA挑戦をサポートするメンター的役割としても活動するなど、多岐にわたって活躍している。

実はNBAと欧州をつなぐ役割をしている選手は数多くいて、シンプルにクリニックを開催したりすることが多いのだが、マルコのようにメンタリングやキャリア指導まで広がっているケースは非常に珍しい。
「元NBA選手」「世界中のジュニア世代への技術指導」「将来の進路指導とメンタリング」という3つを組み合わせ事業として成功しているマルコの存在は、ヨーロッパ出身選手の教科書のようになるに違いない。

(※1)https://fivethirtyeight.com/features/how-were-predicting-nba-player-career/
(※2)https://afrotech.com/magic-johnson-starbucks-deal