
思い返せと言うのも、酷かもしれない。
それほどまでに、あの瞬間、ピッチに横たわり、悶えながら何かを訴え、嘆き、涙を堪え、苦しみ、両手で顔を覆ってピッチを去った彼女の姿は、痛々しかった。
史上初めて開催される女子ワールドカップの出場権を懸けて戦った女子アジアカップで、SWHレディース西宮の江川涼は、最後までピッチに立ち続けることができなかった。
強く意気込み挑んだ準決勝。あと1勝でW杯を手にするというその試合で、後に全治3カ月と診断される右ハムストリングの肉離れを引き起こし、負傷交代でベンチに下がった。
コロナ禍を経て、7年ぶりに開催されたアジアカップ。W杯出場も、初のアジア女王の座も目指した舞台、志半ばで無念を味わうその心境とはいったい、どれほどの苦行だろうか。それでも彼女は、最後の最後までベンチに入り、仲間に声援を送り、歓喜の輪に加わった。
彼女は、どれほどの思いで、あの場所に立っていたのか──。
取材・執筆=溝口優輝
編集=本田好伸
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悲しみに襲われた仲間のゴール
「絶対にイランに勝って優勝したい」
江川は、並々ならぬ思いで今回のアジアカップに臨んでいた。
2018年の前回大会は、決勝でイランに2-5で敗れた。江川は大会を通して得点を取れていたものの、決勝は納得のいくプレーができず、行き場のない悔しさが残った。
準優勝から“7年越し”のリベンジに燃えた自身2度目の大会は、準々決勝までにチーム最多の4ゴールを挙げ、エースとして申し分のない活躍を見せていた。迎えた準決勝のイラン戦、勝てば悲願のW杯出場が決まるという、超重要な一戦だった。
「もし負けたら、日本に帰れなくなる」
試合前は、ネガティブな感情が渦巻いていた。自身を「明るい陰キャ」と称する彼女は、表に見せる明るさとは裏腹に、試合前はいつも消極的な考えが先行するという。それでも、「イランへのリベンジ」と「W杯出場」という2つの目的を胸に、心を固めた。
日本は2分過ぎに筏井りさが幸先良く先制点を挙げると、江川はそのすぐ後に2ndセットの一員としてピッチに立った。決して、浮き足立っていたわけではないだろう。
だが、悲劇は突然、訪れた。
「一瞬、何が起きたかわからなくなって。ブチッとかじゃなくて、ゴリッって聞こえて。え、早くない?無理なんだけど。絶対に嫌だ。まだやりたいと思って」
相手陣内の左サイドで縦パスをカットしようと左足を伸ばすと、ボールに乗るような形となり、右足も目いっぱい伸びた状態で転倒。江川は右足太もも裏を押さえながらその場で悶絶し、直後、横たわったままベンチに向かって両手で“バツ”のサインを出した。
普段は痛みを感じても、周囲に素振りを見せるタイプではない。ただ、今回だけは違った。堪えきれない猛烈な痛みに悶えながら、同時に、彼女の中であらゆる感情が巡っていた。
「無理なの?この後できないの?そんなことばかり頭に浮かんできて」
担架に乗せられると、両手で顔を覆いながらピッチを後にした。交代ゾーンには、同じピヴォの岩崎裕加が立っていた。江川自身、気持ちの整理がつかず、頭が真っ白になった状態だったが、投入されたばかりの岩崎のアシストで、日本は追加点を挙げた。
ドクターが「やったぞ!」と喜んでいる。担架から起き上がれないままの江川は、日本の歓喜の瞬間、さらに複雑な感情が襲ってきていた。
「うれしいのと同時にちょっと悲しくなって。自分じゃなかったんだと」
GKからのパスを前線で受けた岩崎の落としを、右サイドの高橋京花がゴールネットに突き刺した。自分がいるはずのピッチで、自分じゃないみんなが、躍動していた。
「私の交代直後、イワが入ってすぐに点が決まったということは、そういうことなんだって。イワと私のタイプは真逆だし、役割も違う。もちろん、リスペクトしています。でも、『悔しい』と思った感情も、実際に自分の中にはありました」
己の感情に戸惑いながらも、応急処置を施した江川は、残り時間をベンチで過ごしていた。隣に座る第2GKの須藤優理亜が無言で寄り添ってくれていた。
その後、日本は1点を返され、迎えた第2ピリオド、3-1と突き放すゴールを決めた宮原ゆかりが、歓喜のままに江川の元へ駆け寄り、熱く抱きしめてくれた。
直後にまた失点。胸の前で手を握り、固唾を飲んで試合を見守った。結果的に、日本は3-2で勝利。リベンジを果たし、W杯出場権を獲得すると同時に、決勝への切符も手にした。
「うれしかったです。本当によくやってくれた」
心から安堵した。「ナイスという気持ちで、涙がポロポロ出てきました」。江川の中には、うれしさと悔しさと、仲間への感謝と、一言では表現できない感情が、流れ落ちていた。
松葉杖なしでベンチを立った決勝
悲劇の瞬間から中1日、女王の座を争うタイとの決勝戦を、江川は笑顔で迎えた。
「ここまで一緒に戦ってきたから、ベンチで戦いたい。何よりスタンドから見守るのが辛かったので。自分は近くで声をかけることしかできないけど、チームに貢献したい」
右足太ももをテーピングでぐるぐるに固め、松葉杖をつくことなく、足を引きずりながらチームメイトと共に入場した。大会関係者から急ぐように催促されたが、仲間たちが「ノー!」と制して、江川を助けた。「意地でも入ってやると思って頑張りました」と振り返ったが、その振る舞いは、いつもの凛々しさと朗らかさを取り戻しているようだった。
決戦が始まった。試合は一進一退の攻防。江川の離脱によって、筏井と岩崎、2人のピヴォはセットを組み替えながらピッチに立ち続け、懸命にプレーしていた。交代の度に疲労困憊の様子でベンチに戻ってくる姿を、江川は心苦しく見守るしかできなかった。
「ヘロヘロになっている2人を見ながら、自分が怪我しなければ……というネガティブな気持ちにもなりました。でも、全員頼もしかった。2人は特に頼もしかった」
試合が進むにつれ、仲間が奮闘する姿に胸が熱くなり、我がチームながら感動で体が震えた。自分がやれることをやろう。足の痛みが増して座ることすらままならなかったが、ベンチから声を出し、ピッチ上の選手たちにゲキを飛ばし続けた。
まさに死闘と呼べる戦いは、3-3の同点でPK戦へと突入した。やはり、見守ることしかできない。守護神・井上ねねが止め、味方が決め……もはや、松葉杖すら持たずにテクニカルエリアに並び、監督やスタッフと共に、仲間の一挙手一投足に揚々とした。
そして、最後に岩崎が決め、日本はPKスコア3-2で優勝を果たした。
待ちに待った表彰式。江川は、トロフィーを掲げる時も、みんなと同じように飛び跳ねた。「一緒に喜びたいじゃないですか。本当はやっちゃダメなんでしょうけど(笑)」。その瞬間は、痛みなど忘れていたのかもしれない。江川はただただ、笑顔だった。
セレモニー後、チームメイトと共に江川が自撮りで「バモス!」と叫ぶ姿が大会公式SNSに投稿された。大一番で負傷交代という逆境に際して、ネガティブな感情に支配されそうになりながらも仲間と共に戦い、鼓舞し、最後に全力で喜びを分かち合う姿は、江川らしい。
「代表にいる年数も長くなってきたし、自分がチームを鼓舞したい。でもプレーで引っ張るタイプじゃないから、自分が一番声を出して盛り上げようと思ってやってきました」
ただ、彼女のアジアカップは、喜びばかりではなかった。
「表彰式でみんなで喜んでいたところまでは、本当に良かったんですけどね……」
夜になると、再びネガティブな感情が湧き上がってきた。
「みんなが決勝戦の話をしている時に、怪我をしなければもっと点が取れたかな……とか、タラレバが浮かんできて、時間が経つごとに悲しみが増していきました」
立ち止まれば襲ってくる負の感情。前を向こうにも、痛みと共に思い出してしまう光景。ある意味で、彼女にとってはそこからアジアカップの“続き”の戦いが始まった。
だが、彼女には目標があった。W杯に出場することだ。
「コロナ禍の影響で、この7年はことごとく大会が延期や中止になりました。選手として一番いい時期を不運で逃してしまっているからこそ、W杯の開催決定はうれしかった。出場できるチャンスが自分にあるならば、絶対にチャンスはつかみたいし、結果を残したい」
江川は、アジアカップ優勝の喜びではなく、“次”への決意を支えに、怪我を乗り越えた。9月7日、歓喜と悔しさの入り混じった決勝のあの日から3カ月と21日、背番号9は舞い戻った。女子Fリーグ第8節、エスポラーダ北海道イルネーヴェ戦でピッチに立つと、トップコンディションとは言えないながらもいきなりゴールを決め、再び笑顔を見せた。
「これが最初で最後だなとは思っています」
29歳、ラストチャンスと位置付けるW杯に向けた戦いの舞台に復帰を果たした。
負傷の瞬間、ピッチに横たわりながら見た光景、仲間が勝利をもぎ取った瞬間、ピッチの脇で歓喜に震えた光景、そして、片足を引きずりながら立った表彰台から見た光景──。
あの場所で見た景色、味わった感情すべてが、江川をきっともっと、強くする。
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