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「育った場所を守りたい」父から受け継いだつばめジュニア卓球クラブの再出発

新潟県燕市にある「つばめジュニア」は、2008年に田巻美帆さんの父親が立ち上げたジュニア卓球クラブだ。

2025年4月からは「卓球教室」としてリニューアルし、子どもから大人までが集う場として生まれ変わった。

かつて選手として武蔵野中学・高校で全国制覇を目指し、現在はクラブを継いで教える田巻美帆さんに、つばめジュニア卓球クラブ&つばめ卓球教室の歴史や現在、そして未来について伺った。

「自分が育った場所を失いたくない」父から引き継いだつばめジュニア

――まずは田巻さんの卓球歴を教えてください。
田巻美帆さん:5歳から父が指導するチームで卓球を始めました。新潟県内のいろいろなチームに練習に行かせてもらい、卓球にのめり込んでいきました。

小学4年のときに父がつばめジュニアを立ち上げたのですが、最初は私ともう一人の幼なじみの2人だけのチームでした。

小6までつばめジュニアでプレーし、中学からは東京の武蔵野中学・高校に進学。6年間寮生活を送りながら卓球漬けの日々を過ごしました。

その後は地元の新潟大学に進み、大学でも4年間卓球を続けました。

写真:田巻美帆さん(つばめジュニア卓球クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
写真:田巻美帆さん(つばめジュニア卓球クラブ)の指導風景/撮影:ラリーズ編集部

――卒業後にすぐ指導に入られたんですか?
田巻美帆さん:いえ、一度は卓球から離れて、上越市で会社員として人事の仕事をしていました。新入社員教育も含めて、教える立場に3年間ぐらいずっといました。

でも社会人3年目くらいに父から「つばめジュニアを閉じようかと思う」と相談を受けて…。

自分が育った場所を失いたくないという思いと、仕事を通して教えるということが好きだったことにも気づき、「じゃあ私がやろう」と決断しました。

――クラブを継ぐことに不安はありませんでしたか?
田巻美帆さん:実は家族会議も行いました(笑)。

「正直、ジュニア指導だけでは安定した運営が難しいため、やるんだったらジュニアクラブだけではなく、ちゃんとした卓球教室としてやる方がいいということになりました。

そのため、つばめジュニア卓球クラブ&つばめ卓球教室として運営しています。

写真:つばめジュニア卓球クラブの練習場/撮影:ラリーズ編集部
写真:つばめジュニア卓球クラブの練習場/撮影:ラリーズ編集部

教室の雰囲気と子どもたちの関係性

写真:2024全日本ホカバでの丸山俐久(つばめジュニア)/撮影:ラリーズ編集部
写真:2024全日本ホカバでの丸山俐久(つばめジュニア)/撮影:ラリーズ編集部

――現在のクラブの人数はどれくらいですか?
田巻美帆さん:今はジュニアが20人弱、年長から中学3年生までが在籍しています。

4月からの卓球教室への移行で高校生や大人も受け入れられるようになります。

写真:卓球教室オープンのチラシ/撮影:ラリーズ編集部
写真:卓球教室オープンのチラシ/撮影:ラリーズ編集部

――クラブの雰囲気はどのような感じでしょうか?
田巻美帆さん:全体的に優しい雰囲気で、見学に来る子もすぐ馴染んでくれますね。

以前はもっと賑やかだったんですが、最近は少し静かになってきた印象です。元気な子が入ってくれたら、また雰囲気が変わると思います。

i_伊藤龍ノ助(つばめジュニア)
写真:2024全日本ホカバでの伊藤龍ノ助(つばめジュニア)/撮影:ラリーズ編集部

――年齢や実力の差がある中での指導は難しくないですか?
田巻美帆さん:学年を超えて仲良くなれるのがこのチームのいいところです。中3と小4が一緒に練習しているような光景もあります。

中学生が下の子の面倒を見てくれたり、卒業生が合宿に顔を出してくれたりと、人のつながりがしっかりしているクラブだと思います。

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