「お前、バスケやってたのか?」9年ぶりにボールに触れたのはハーレムの路上だった【第2話】

写真:廣島祐一朗(北総ライノス(HOKUSO RHINOS.EXE))/提供:3x3.EXE PREMIER

3人制バスケ『3x3.EXE PREMIER』に参戦するチーム「北総ライノス」の選手兼オーナー・廣島祐一朗(ひろしま ゆういちろう)。

かつて、U-15日本代表に選ばれるほどの実力者だったが、怪我でバスケット選手の道を断念すると、なぜか歌手を目指し始める。

アカペラにハマり、TV番組『ハモネプ』最終予選に残る。ギター片手に路上で歌い、知らない家に「(歌の)お届け物です」と歌い始める“ピンポンライブ”を続けるなど、持ち前のアグレッシブさでファンを増やし、歌手への道も現実味を帯び始めるが──。


▶︎【第1話】プロバスケット選手と歌手を両立させる男 挫折と挑戦の物語

25歳で音楽で生活できるようになった

写真:ライブハウスで歌う廣島祐一朗(北総ライノス(HOKUSO RHINOS.EXE))/提供:本人

── 日体大卒業後は、どんな音楽活動をしていくですか。

廣島:ワンマンライブで300人集めたんですよ。川崎のセルビアンナイトっていうライブハウスで。

僕が4人いれば1,200人のお客さんが来るはずと思ってバンドを組みました。1,200人とまでいかなかったですが、5〜600人くらいは集まるようになって。

それまでは、ピンポンライブするくらいお宅訪問が好きなので(笑)、運送のバイトも続けてたんですけど、音楽だけで生活できるようになったんですよ。ライブのチケット収益、グッズ売上、月1回のカフェでのソロライブ収益とか、全部合わせてどうにか、ですけど。

25、6歳の頃です。

── 順調ですね。

廣島:でも、ここで事件が起きるんです。

── え?

写真:ライブハウスで歌う廣島祐一朗(北総ライノス(HOKUSO RHINOS.EXE))/提供:本人

27歳で喉を潰した

廣島:喉を潰しちゃって。27歳で、声帯ポリープができて歌えなくなってしまったんです。

当時、ヒゲダン(Official髭男dism)とか高音域の音楽が流行ってきて、僕もそこに合わせて少しキツい高めのキーにやり直して毎日ライブしていたのが良くなかったんだと思います。

ボーカルをやっていたので、全部のプロジェクトが止まって、バンドメンバーやマネージャーにも本当迷惑かけてしまって。

── バスケの靭帯といい、歌の喉といい、これからというタイミングでアクシデントが起こりますね。

廣島:でも、気づいたんです。僕たちは、ヒゲダンとか、周りの流行に合わせて音楽を作ろうとしてたよねと。その時点でバンドの方向性がズレていた。

音楽でマネタイズしようと思って、結果的にそうなっていました。

でも僕は、音楽始めたとき、バンドを組んだとき、ひとりひとり顔をわかる人に歌を届けたいという気持ちでした。

いつからか、生活がかかってきて、売れることを考えて、その無理が身体に出て壊れただけだよねと。

写真:歌う廣島祐一朗(北総ライノス(HOKUSO RHINOS.EXE))/提供:本人

関連記事