富士大学公式野球部「ドラフト候補生たちの1日」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
大勢のスーツ姿の学生、20社を超える取材陣。富士大学の大講堂は、いつにない緊迫感に包まれている。
プロ野球ドラフト会議。硬式野球部は今年、7名ものドラフト候補生を抱え、注目を集めていた。
彼らの表情からは、切ないまでに募らせてきたプロ野球選手への思いがあふれている。人生の岐路で固唾を飲み、[指名]そのときを待っていた。
この日の一カ月前、北東北大学野球・秋季リーグ。富士大学は優勝が決まる大一番に臨んでいた。
ドラフト候補生の一人、サウスポーエース・佐藤柳之介は、キレのある速球を武器に秋季リーグMVPに選出される。
4番、強打が持ち味の渡邉悠斗は、チャンスでの長打など勝負を決めるバッティングでチームを牽引した。
そして、走攻守・三拍子そろうドラフト会議注目株の麦谷祐介は、秋季リーグの最多本塁打、最多盗塁を含む五冠を達成。
「最後の最後でよい結果を出せましたが、(自身は)まだ何も成し遂げてはいないので、変わらず野球に集中していきたいです」
彼らドラフト候補生たちの躍動は、富士大学に3季ぶり39回目の優勝を呼び込んだ。まるでプロ球団に最後のアピールをするかのように。
そんな彼らが今、運命の一日に臨んでいる。
近くて遠い、幼い頃からの夢は果たして……。報道のカメラには映らない、真実の姿を追いかけた。
田園風景が広がる岩手県花巻市。
7人ものドラフト候補者を要する富士大学の朝。人生の舵を切るドラフト会議は12時間後。彼らはいつもと変わらず、朝練習にいそしむ。
今回のドラフトでは注目選手の一人に数えられる、サウスポーエースの佐藤柳之介が心境を教えてくれた。
「(ドラフト候補は)7人もいるので……。一人では不安だったと思うんですけど、7人いるぶん、ワクワク感の方が強いです。他の仲間も、どの球団に行くのか楽しみなんです」
一方、チームの主砲、渡邉悠斗は少し表情が硬い。
「前までは楽しみの方が強かったんですけど、近くになるにつれて不安が大きくなってきました。何ていうか、いろんな感情がゴチャ混ぜになっている感じで……」
そして、秋季リーグで五冠を達成し、チームを優勝に導いた麦谷祐介。
今回のドラフトでは、1位指名の呼び声も高い。そんな彼は、野球を辞めるかどうかの狭間で思い悩んだ過去を持つ。
宮城県仙台市に生まれた麦谷は、陸上やサッカーなどさまざまなスポーツを経験してきた。中でも夢中になったのが、小学2年生で始めた野球だ。
中学では、エリートチームのセレクションに参加。狭き門を潜り抜け、20人のメンバーにその名を連ねている。
さまざまなスポーツを通して養われた肉体と、類い稀なる野球センス。それでも、挫折とは無縁ではいられなかった。
関東の強豪校野球部に進学後、心身の極度の不調に襲われた麦谷は、野球を続けることを諦めかける。
「子供のころからのプロ野球選手の夢も、何も考えられなかったです」
転機は、地元・宮城県の高校への転校だった。
「大崎中央への転校が分岐点になりました。大崎中央の監督さんに出会って、今があると思っているので」
野球への情熱に再び火を灯してくれたのは、大崎中央高校の平石朋浩監督。この出会いで麦谷は、プロ野球選手の夢を取り戻す。
そしてもう一人、麦谷のポテンシャルを引き出し、ドラフト有力候補にまで彼の野球を磨き上げた人物がいる。富士大学の安田慎太郎監督だ。
「麦谷に関しては足、肩は一級品だったので、あとはバッティングだけ磨けば、絶対に(プロに)いけると思いましたね」
ここで富士大学硬式野球部の話をしておこう。
東北の雄として60年の長い歴史を誇る富士大野球部は、これまでにも幾人ものプロ野球選手を輩出してきた。代表格は、現ソフトバンクホークスのスラッガー・山川穂高選手だろう。
プロが育つ大学。その立て役者の一人が4年前、コーチから監督に昇格した安田慎太郎だった。
安田監督は、才能を持ちながらも無名のまま埋もれていた高校生に注目し、『プロになりたいなら、うち(富士大)に来な』の殺し文句で人材を集めると、その約束を実行する。
自らもプロとして独立リーグなどでプレーしてきた経験を持つ安田監督は、データに基づいた分析力で選手個々の適性を見抜き、独自のアイデアで練習法を考案し、彼らを導いた。
「将来のプロ入りを視野に努力を積んだ子たちは、結果的にチームを勝利に導くんです。だから僕は、その努力に報いてやりたいんですよ」
今年のドラフト候補生たちは皆、高校時代、特筆すべき実績を残していない。麦谷もまた例外ではなかった。
「エリートで入ってきたわけでもなく、安田監督にイチからバッティングを教わって、ここまできました。監督からはプレーでチームを引っ張ってくれといわれてきました」
運命のときが迫っていた。
ドラフト会議まであと一時間。
講堂のロビーに集まってくるドラフト候補生たちを、安田監督が迎える。
「やはり(富士大に)入ってきたところからストーリーのある子たちなので、最初に会ったときのことを思い出します。順位は関係なく7人全員指名されれば、それが一番なんですけどね……」
こっそりしみじみと語った直後、候補生たちの身なりに目を光らせる。
「なんだよ、この(ネクタイの)結び目? やり直し!」
しかも気づけば麦谷の姿がない。遅刻だ……。やっと姿を見せても、乗ってきた自転車を適当に駐輪して、安田監督にしかられている。
「すいません……、ちょっと緊張しています」
時間間際のドタバタ劇。安田監督は思わず微笑んだ。
野球部の仲間たちや大勢の取材陣が見守る中、そのときがきた。
今回のドラフトで最も注目されていた明治大学の宗山塁は、5球団が一位指名。抽選の結果、楽天イーグルスが交渉権を得る。
大歓声が落ち着き、他球団の一位指名が再開される。そして……。
『オリックスバファローズ、麦谷祐介』
一瞬の間を置いて喜びを爆発させた麦谷は、チームメイトとハイタッチを交わし、安田監督と抱き合う。
幼いころから追いかけてきた、夢への扉が開いたのだ。
ここから富士大学の指名ラッシュが始まった。
佐藤柳之介、投手。広島東洋カープ2位指名。
安徳駿、投手。福岡ソフトバンクホークス3位指名。
渡邉悠斗、野手。広島東洋カープ4位指名。
坂本達也、捕手。読売ジャイアンツ育成1位指名。
長島幸佑、投手。千葉ロッテマリーンズ育成3位指名。
オリックス1位指名の麦谷を加え、富士大学はドラフト史上最多タイとなる、1大学6名もの指名を受けたのだ。
4年間汗を流したグラウンドで、指名を受けた彼らの胴上げが始まる。
安田監督はその様子を、顔をクチャクチャにしながら見守っていた。
「(指名各球団から)よい評価をしていただいてうれしいです。みんなこれから厳しい世界に入ると思いますが、少しでも長く選手生活を送ってほしいですね」
そして彼らが一人ひとり、喜びの声を聞かせてくれた後、最後に麦谷がいった。
「小さいころ、プロ野球を観て夢をもらってきたので、今度は自分が夢を与えられるように頑張りたいです」
その言葉に、富士大の後輩たちが目を輝かせていた。
安田監督を囲んで、ドラフト候補生からプロ候補生になった彼らが、満面の笑みで記念撮影。
プロ野球選手、その道のりは細くて長い。幾度も逆風にさらされながら、その背中を支えられ、走り続けた6名のプロ候補生。
今日このとき、彼らは新たなスタートラインに立つ。
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