X・シャウフェレの全英制覇、静かなる快挙【舩越園子コラム】
今年の全英オープン2日目を終えたとき、単独首位に立っていたのはアイルランド出身のシェーン・ローリーで、2位には、いずれも英国出身のダン・ブラウンとジャスティン・ローズが並んでいた。R&Aの記録によれば、36ホール後にトップ3が英国勢で占められたのは1951年以来とのこと。このときロイヤル・トゥルーンの大観衆は、英国勢が勝利することを切望したことだろう。
しかし3日目を終えたとき、首位に立っていたのは、この日、激しい風雨に負けることなく「69」で回り切った米国出身のビリー・ホーシェルで、1打差の2位タイグループには6人の選手がひしめいていた。そして最終日。大混戦となったサンデー・アフタヌーンが暮れゆくころ、勝利をつかみ取ったのは、6バーディのボギーなしと見事なゴルフで、2位タイグループの中から抜け出し快走した米国出身の30歳、ザンダー・シャウフェレだった。
2位に3打差で迎えた72ホール目。2打目でグリーンを捉えたとき、ようやく頬を綻ばせた。18番グリーンへ向かって歩くウイニングウォークでは、グランドスタンドの大観衆の声援にキャップを取って応える。キャディと抱き合い、グリーン奥で待っていた妻や両親、友人たちともハグして、勝利の喜びを噛み締めた。
だが、シャウフェレは大はしゃぎはぜず、終始、静かな言動、穏やかな表情で、あまりにも静かな彼の様子が逆に妙に気になった。なぜシャウフェレは、そんなにも静かだったのか?その答えは、彼の優勝スピーチの中に隠されていた。
「この優勝が意味するものは、たくさんある」
その通り。今年5月の全米プロを制し、メジャー初優勝を挙げたシャウフェレは、この全英オープンを制覇してメジャー2勝目を達成。年間メジャー2勝は2018年のブルックス・ケプカ以来の快挙となった。そして、今年のメジャー4大会の優勝者が、すべて米国出身選手となったことは、1982年以来の快挙だ。さらに言えば、東京五輪で金メダルを獲得したシャウフェレが、年間メジャー2勝を挙げた最高の状態で、これから始まるパリ五輪に臨めることにも大きな意味がある。
全英オープン制覇の向こう側にそれほどたくさんの意味が控えていた中で、自ずと感じるはずのプレッシャーをシャウフェレはどうやってコントロールすることができたのか。
「ヘンリックのハイライトを見て、モチベーションを受けた」
ロイヤル・トゥルーンが舞台となった前回大会は2016年。その最終日はヘンリック・ステンソンとフィル・ミケルソンの激しい優勝争いだった。しかし、ステンソンは「フィルと戦うより、コースと戦う」と心に誓い、11番で3パットを喫して後退しても決して諦めず、終盤4バーディを奪い、3打差をつけて勝利した。
そんなステンソンの戦い方、勝ち方をハイライト映像で見てヒントをもらったシャウフェレは、リーダーボードにひしめいていた他選手たちではなく、ただ黙々とロイヤルトゥルーンと戦うことに徹していた。
だからこそ、大混戦の中、誰の動きにも翻弄されず、心静かに穏やかに戦い続けることができ、だからこそ、誰よりも見事なゴルフで勝利をつかみ取ることができたのだろう。
「きょうは、なぜかずっと静かな感覚だった。心の静寂の中で戦うことができた」
シャウフェレはそう振り返っていたが、クラレットジャグを抱き、その重みを感じたとき、彼の静寂の魔法はようやく解け、彼の心は現実に戻ってきた。「この2週間、スコットランドに滞在して、この地は今、僕の第2の故郷になった」。そんなシャウフェレの心の声を耳にして、スコットランドの大観衆は歓喜の声を上げ、シャウフェレに惜しみない拍手を送った。
2024年のロイヤルトゥルーンの優勝争いは、とても目まぐるしく激しい大混戦だったが、シャウフェレの勝利がとても静かに達成されたことは、記録には残らないが、私の記憶には、いつまでもとどめておきたい。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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