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10代に患った病気や乱闘寸前の試合。家本政明はなぜ「審判」を志したのか

大学卒業後、京都パープルサンガに入社

大学卒業後は、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に勤めながら、審判を続けていました。当時はJリーグが各クラブで一人は審判を育てるという意向を持っており、多くのクラブが審判を抱えていたんです。そんな背景もあって、大学3年生の時にJクラブから声が掛かり始め、京都からは大学4年の秋に話がありましたが、京都という土地柄が好きだったこともあり、入社を決めました。

実は僕は病気もありましたが怪我も多かったので、将来は身体のメンテナンスに関わる仕事をしたいと考えていました。なので、理学療法士の道に進もうと考えて、専門学校に行く準備をしていたんです。それでも巡り巡って同志社大学の経済学部に入学しましたが、結局病気でプレーできなくなり、「これからどうするんだ?」「本当は何がしたいんだ?」と自分に問いかけ、すぐに新たなチャレンジを始めることにしました。

何かを始めるにしても資金が全くなかったので、授業がない時や週末にアルバイトをしたり、審判でもらえる日当を貯金して数百万円を捻出し、(※)カイロプラクティックの学校に通い始めました。

※カイロプラクティック・・・筋骨格系の問題から生ずるさまざまな症状を、背骨の歪みを取り除くことによって快復に導くヘルスケア。その有効性はWHO(世界保健機関)が認めており、アメリカなどでは資格を取得すれば医療従事者として認定される。日本では法制化されておらず、資格が存在しないため、基準を満たす技術を持った従事者は少ない。

当時は大学に専門学校、バイトに審判活動とかなり忙しかったんですけど、無事に大学もカイロプラクティックの学校も卒業することができました。卒業後はカイロプラクティックの仕事に就くか、新しく理学療法士か鍼灸の勉強を始めるか、スポーツビジネスの世界に行くかを思案していました。

その中で縁あって京都に入ることができ、約10年間仕事をしていました。最初の2年くらいはチーム管理の仕事をして、その後は試合運営の責任者も担当しました。京都はスポンサーが錚々たる顔ぶれなので、幸いにもトップクラスのビジネスマンと関わる機会があり、幅広くビジネススキルを学ぶことができました。その学びや経験は非常に自分のためになりましたね。

その学んだスキルを生かしてある時、京都サンガの経営陣に「今後京都がより成長するためには、経営企画室やマーケティング部を作るべきだ」とプレゼンをしたことがあります。経営陣からは「その通りだ」という前向きな回答がありましたが、その後に「お前がやれ」という話になって(笑)。

チーム管理、試合運営と合わせて、3つの仕事を兼任することになりました。

審判として更なる高みへ京都のスポンサーの方々から教えてもらったビジネススキルやノウハウは、僕がその後ビジネスをする上での基盤となりました。クラブ経営に活かせる部分もたくさんもありましたね。ただ、残念ながら京都が2度目のJ2降格をした2003年に、クラブが不安定な状態に陥ってしまい、社長が交代することになりました。

僕自身はクラブの仕事と並行しながら審判をしていて、審判としても実績を評価してもらえていました。ただ、クラブ側の事情もあり、あまり審判に重きを置けない状況でもあったんです。審判側からは「このままの状態で良いのか」、クラブ側からは「審判をやっている場合ではない」という話があって、どちらか選択を迫られるタイミングでもありました。

僕は昔から「今を大事に」ということに重きを置いているので、今しかできないことを選ぼうと思いました。クラブ経営は何年後かに戻ってきてやることもできるけど、審判はもし今手放してしまったら、何年後かに戻ってきても同じようにやることはできない。それならば審判を選んで、できるだけ高く広い世界を見にいってみようと決意しました。

避けて通ることのできない「批判」学生時代に審判を始めてから最初の頃は批判はなかったものの、担当する試合のレベルが上がっていくにつれて、観客やメディアも増えていって、様々な批判が聞こえるようになりました。自分が好きで始めたことなので、それに対する後悔は何もなかったものの「昔は何も文句も言われずに、楽しかったのにな」と思ったことはあります(笑)。今の若いサッカー選手に「審判やりなよ」と言っても、絶対にやりたがらないんです。それは、「審判がいかに難しくて大変か」、ということを暗に示していることの裏付けだと思います。

審判をしていると、良く「あなたはとてもメンタルが強い」と言われることがありますが、僕自身はそう思ったことは一度もないです。ただ、弱いと思うこともないのですが(笑)。サッカーで大舞台になると強い選手っていますよね。僕もなぜか大舞台であればあるほど、より高いパフォーマンスが発揮できるんです。また、審判は試合中に“ジャッジを間違えた”と自分で分かる瞬間がありますが、それで落ち込むということもないです。そういう意味では、僕はメンタルが強いのかもしれません。

もちろん、やってしまったミスは清く受け止め、謙虚に反省しているんですが、余りにも「色」のついた記事を見ると、辛いし悲しいですよ。ただ、メディアの方も仕事なので、より読者の興味を引くような表現や文言を使わないといけないのは理解しています。もしかすると、これまで数え切れない批判を受け続けてきたことによって、批判への耐性がついたのもしれませんね。

<後編へ続く>

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