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天野春果が目指す、オリ・パラの変革。「日本ならでは、を生み出したい」

アトランタ大会の経験なくして、今の自分はなかった

実は、私は1996年のアトランタ大会にボランティアとして参加した経験があります。当時はアメリカに留学していて、西海岸のワシントン州に住んでいたので、東海岸のアトランタは対極の位置にありました。それでも、スポーツに関わる人間として、国際大会に関わることは必ず将来に活きるだろうと思って応募しました。

ボランティアは今みたいにネットでの募集ではないので、郵送でのやり取りで大変ではありましたが、本当に参加して良かったと思っています。その体験がなければ、私は今ここにいなかったはずです。

そのときにとても印象に残っていることがあるんです。パラリンピックの開催期間中には、多くの子供たちが会場で選手にサインをせがんでいるんですよ。競技によってはガラガラの会場もありましたが、笑顔でサインをもらう子どもたちの姿が今でも印象に残っています。

1996年のアトランタ五輪・パラリンピックの写真

パラリンピックを通して、障がい者に対する考え方の変革を

正直、算数ドリルを作るのはものすごく大変でした。何度も心が折れかけましたし、フロンターレでは経験したことがないくらいの苦労がありました。

それでも、アトランタのパラリンピックで見た、子どもたちが笑顔でサインをもらう光景を自分の手で作りたいという想いがあったからこそ、ここまで続けてくることができました。

フロンターレの時も最初は観客席はガラガラでしたが、徐々に観客が増えていって、このチームに入りたいと思ってくれる選手が増えていきました。それと同じように、私たちが多くの人にパラリンピックの魅力を伝えて、会場に足を運んでもらうことができれば、日本の障害者スポーツの発展に必ず繋がっていきます。

私は組織委員会のイノベーション推進室という部署に属しています。名前だけ聞くと、テクノロジーに関することをやるように思いがちですが、革新的な“ありそうでなかったもの”を作るという組織です。

もちろん最先端なテクノロジーはあって然るべきではあります。ただ、それとは一味違ったこういうものもあると尚良い、ということを提案できるのが私の強みだと考えています。

どうしてもロンドン大会やリオ大会と比べてみても、今回の組織委員会から出てくる大会を盛り上げるためのアイディアは、今までと似通ってしまいがちです。その中でも(※)「都市鉱山から作る!みんなのメダルプロジェクト」のようなアイディアは素晴らしいと思いますし、日本ならではのやり方を生み出すことの重要性を伝えていくことは大切です。

(※)2020年東京五輪・パラリンピックにおける約5000個の金・銀・銅メダルを、全国各地から集めた小型家電・リサイクル金属で作る国民参画型プロジェクト

幸いなことに、元フロンターレの天野が組織委員会で何かやっているということで、周囲への発信のしやすさがあります。そのことを戦略として考えていて、自分自身をプロモーションツールとして使っています。

私がここまで熱量を持って取り組めている理由は、やはりアトランタ大会での経験があったからです。その後、アメリカから帰ってきてすぐに「ジャパンパラ競技大会」という国内のパラリンピックのような大会に参加したのですが、観客はほとんどいませんでした。

もちろん国際大会か否かの違いはあるものの、日本とアメリカでのパラスポーツ人気の差は歴然としていました。だからこそ、東京五輪・パラリンピックの開催が決まった時には、パラリンピックを盛り上げたいという気持ちが強くあったんです。

アメリカでは、障がい者に対するサポートの体制が整っていましたし、障がい者がスポーツを気軽に楽しめる環境がありました。日本でもそういった環境を作っていきたいという想いがありますし、パラスポーツを見ることによって、障がい者に対する考え方が変わるということは実体験としてアメリカで学んいます。そういった体験を、東京パラリンピックで多くの人にしていただきたいと考えています。

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