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Jリーグ開幕時から続くつながり。苦楽を共に乗り越えたデサントとガンバの絆

<写真提供:デサントジャパン株式会社>

デサントジャパン株式会社のサッカーブランド「アンブロ」は、2003年からガンバ大阪のサプライヤーを務めています。ブランドの担当者として長くクラブに関わってきたのが、スポーツマーケティング部の板谷晴一郎さん。J1リーグ初優勝、クラブW杯、J2降格、国内3冠、と疾風怒濤の時期を共に経験してきた彼が、クラブとサプライヤーの歩みを明かしました。
(取材日:5月25日 聞き手:竹中玲央奈)

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クラブと共に3冠までの歩み

デサントは、ガンバ大阪が松下電器産業サッカー部だった時代から、クラブのサプライヤーとして共に歩んでいます。過去に当社がライセンスを保有していたアディダスなど、サプライするブランドは変遷がありましたが2003年から現在に至るまではアンブロで契約を続けています。ガンバ大阪との契約は、ユニフォームやグッズの売上だけでなく、トップ選手にサプライすることによる商品開発力の向上や本物のサッカーブランドとしての認知度向上などにおいて、影響力は非常に大きいです。

ガンバ大阪との長いお付き合いの中で、Jリーグ開幕当初は結果が出ずに苦しまれていた時期も見てきました。だからこそ、2005年J1リーグ、クラブW杯出場によりビッククラブとして認知され、さらに特に2014年のJ1リーグ、ヤマザキナビスコカップ(当時)、天皇杯の国内3冠を勝ちとったときは嬉しかったです。

そして、クラブの活躍とともに、私たちのアンブロブランドの認知も飛躍的に広がり、たくさんのファンの方にも身に着けていただきビジネスを大きくすることができました。

2013年にはJ2で戦っていましたが、ガンバ大阪にとってもアンブロにとっては良い意味で“宣伝期間”にもなりました。また、J1では行けなかった地方でも試合ができるので、当時日本代表だった遠藤保仁さんや今野泰幸さんのプレーを一目見ようと大勢の観客が足を運ばれました。初めてガンバ大阪の試合を見る方も多かったですが、ここでも着実にガンバ大阪の魅力やアンブロというブランドについて広めることができたと思っています。

その翌年に3冠という結果だったので、良い流れができていましたね。実際、2013年から2015年の間は、アンブロ全体の売上がかなり伸びました。特に関西圏での伸び率が顕著で、ガンバが強くなるに従って、ブランドが広がっていったのだと思います。

個人的に印象に残っているのは、2008年に行なわれたFIFAクラブワールドカップのマンチェスター・ユナイテッド戦です。3-5と打ち合いの末に破れましたが、世界的強豪を相手に健闘を見せたのは、サプライヤーをしてきて一番嬉しかった瞬間でした。

「うちはブランドと契約してるわけちゃうぞ」

1998年、アディダスブランドのライセンス契約が終了し、当社でアディダスの展開ができなくなりました。当時ガンバさんにはアディダスでユニフォームをサプライしていたので、このままアディダスとの契約をされるかもしれない、という不安はありました。

しかし、当時のクラブの社長は「うちはブランドと契約してるわけちゃうぞ!デサントさんと契約してるんや!」と言ってくださり、引き続き当社がサプライヤーとして契約をすることになりました。会社としても大きなブランドがなくなり、厳しく苦しい時代でしたが、それでもお付き合いを続けてくださったガンバさんには感謝しかないです。その後のクラブW杯など、栄光の時間を共に過ごすことができて、誇りに感じています。


その後ユニフォームは私たちが新しく展開を始めたアンブロに移りました。

アンブロは当時、マンチェスター・シティやチェルシーなどの強豪のサプライヤーでした。デサントとしては大いに可能性を感じていたので、日本でブランドホルダーになりました。

日本でアンブロブランドをガンバさんとともに育ててもらい、私たちも新しい機能性や斬新なデザインを提案して常に選手の動きやすさやモチベーションがあがるようなユニフォームを作ることで、クラブをサポートさせてもらっています。また、遠藤保仁選手など、クラブの多数の選手にアンブロブランドのスパイクも愛用していただいています。そうした選手がシュートを放つ際に足元が大写しになるときは、私たちも非常に誇らしい気持ちになります。

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