
日本は“タシュケントの悲劇”を乗り越えたのか?【日本代表マッチレポートvsベトナム】
※8月29日(日)夕方、グアテマラ戦の中止が発表された(詳しくはこちら)
日本をどん底に突き落としたブルーノ監督
「因縁」というには大げさだが、なんの感情も生まない試合、のはずはなかった。
ベトナムは、2016年、日本のW杯出場の道をさえぎった“元凶”だからだ。2016年2月17日、日本代表はAFCフットサル選手権準々決勝でベトナムと対戦した。アジアに与えられたW杯出場枠は「5」。つまり、勝利すればW杯4大会連続出場が決まるはずだった試合。日本にとって、そこには信じられない悪夢が待っていた。
日本は前半を2-1でリード。後半、追加点を挙げて3-1とし、勝利を手繰り寄せたように思われた。しかし35分、カウンターから1点を返されると、残り1分19秒で同点に追いつかれてしまった。
迎えた延長前半、左から中に切り込んだ森岡薫が、「ザ・薫ゴール」をゴールにたたき込んで勝ち越したものの、延長後半、チャン・タイ・フーイに左サイドから決められ、再び試合を振り出しに戻されてしまった(ちなみにこのタイ・フーイ選手は、後の2019シーズンにY.S.C.C.横浜でプレーした選手でもある)。
そしてPK戦。フットサルにVARが導入されていたなら、結果は変わっていたかもしれない。森岡が放ったシュートは、クロスバーをたたいて落下した際にゴールラインを割ったように見えたが、判定はノーゴール。日本は、逸見が決め、GK藤原潤が1本をセーブしたが、3人目の仁部屋和弘が止められ、PKスコア1-2で敗れた。
あれから5年。
お互いに、チームは変わった。日本がアジア選手権の開催地にちなんだ“タシュケントの悲劇”に沈む一方で、ベトナムはW杯に出場し、グループステージを3位で通過。同国史上初の決勝ラウンド進出の快挙を達成した。その1カ月後、日本にやってきた新たな指揮官が、ブルーノ・ガルシアだった。ベトナムを率いた監督──。
負け惜しみではなく、力関係で言えばもともと、日本が優位だった。ブルーノ監督も実際、当時は徹底的に分析し、日本を攻略するためにウィークポイントを突くことに時間を割いたという。そうした事実と、ブルーノ監督の日本での仕事ぶりを見てきた上で、5年前の評価も、今の評価も、変わることはない。
ベトナムが日本を下した最大の要因は「監督が優秀だった」ということだ。だから日本が“日本をよく知る”ブルーノにオファーを出し、新たに舵を切った選択は間違いではなかったはずだ(断言はW杯後にしておく)。
逆にベトナムは、2017年から2年間、ミゲル・ロドリゴ前日本代表監督が指揮を執った。両代表チームの監督が入れ替わる形で強化を続けたのだ。日本は2018年のアジア選手権で準優勝したことで、“準々決勝のトラウマ”を乗り越えた。だが“ベトナムのトラウマ”は払拭していない。今回がW杯前の絶好の機会だったのだ。