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「東京五輪は、何を犠牲にしたのか」今こそ知ってほしい。ある専門家の独白

東京オリンピックはたくさんの人々の我慢と犠牲の上で成り立っている──。日本で数少ないカジノの専門研究者である木曽崇氏の「この大会の為に自粛を強いられ、明日職を失うかも知れない不安でつらい思いをしている産業人達がいる事を、忘れないで欲しい。」というツイートが、様々な場所で大きな話題となった。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、本当に多くの人々が我慢を強いられ、犠牲を払っている。木曽氏があえて五輪開会式前に発言をした意図、多くの我慢と犠牲を強いられている様々な産業の現状、さらにはウィズコロナのなかで生きていくために必要なことなど、多岐にわたってインタビューでお伺いした。

「人流を抑えた」結果、誰が犠牲になったのか

──今回の東京五輪開催について、開幕以前から「たくさんの人々の我慢と犠牲の上で成り立っている」とおっしゃっていましたが、実際にどのようなスタンスで今大会をご覧になられていますか?

木曽崇(以下、木曽) 私自身は、ずっと“開催はやむなし”のスタンスです。一種の国際公約のなかで、国際合意を取りながらやってきたので、日本の都合だけでやめますということにはならないと思っていました。

一方で、有観客方針の時代からずっと言い続けてきたことは「無観客でやるべき」ということ。実は、五輪を有観客で開催するための施策の調整はかなり早くから行なわれてきました。

一番象徴的だったのは数カ月前に、スポーツイベントの有観客が開始されたタイミングでの論議です。あの時に映画館と劇場の違いが論議に上がりましたが、当時は五輪との関係は表立ってされていませんでした。しかし実は、あの論議自体がそもそも五輪に向けた準備です。

──具体的にはどういう論議が行われてきたのですか?

木曽 実際の人間が演じる演劇に関しては有観客でやっていいと言われていながら、一方で映画館は自粛せよと。「あべこべだ」と言われていましたが、そもそもなぜこの構図が生まれたのか。

当時は、舞台人の政治的交渉力やロビー力があるからという表現をされていました。

しかし実際はそうではなく、舞台や演劇という“イベント”と呼ばれるものから五輪を含めた“スポーツイベント”まで、1つの大きなジャンルとして扱われてきたがゆえに、そこの部分の緩和が先行したということ。

一方でイベントの枠から外れるレジャー分野は、全てが取り置かれてきた。これがだいぶ前から行なわれてきた下準備です。レジャー産業側の人からすると、この半年くらいのやり方に対して「なぜ?」が常にあります。

スポーツや五輪開催を前提として施策が積み上げられているとわかっている上で、だからこそ私は「いろいろな人たちの我慢と犠牲の上で五輪は開催されている」と言い続けています。

──演劇を五輪のシミュレーションとして、そこでの実績が有観客開催に生かされようとしてきた?

木曽 開会式は、まさにそうです。競技そのものは“スポーツイベント”ですが、開会式や閉会式はショープログラム、演劇に類する“イベント”です。これら演劇などの分野は、五輪のシミュレーションの一環として先行して開放されてきました。それ以外の分野はずっと取り置かれてきている。この流れがずっと続いています。

「プロ野球も有観客でやっている」という理屈はこれまでにも散々出ていましたが、実はそのプロ野球でさえも五輪のために開放されてきたもの。大型スポーツイベントを先行して開放し、実施することで実績を積み上げてきました。全体の大きな流れの中で、これらの分野はずっと緩和されてきたことが実情です。

──緊急事態宣言が発令されながらも、五輪は開催されました。論理矛盾を感じるのですが、それもやむなしなのでしょうか?

木曽 現在、感染が急拡大していることに関しては、政府が言っているように必ずしも五輪そのものが直接的な原因になったとは思わないです。これは、感染力の高まった変異株が蔓延してきたことが主要因だと思っています。

一方で、政府は「人流は抑えられている」といいます。しかしこれに関してはどうかなと。それは、政府が五輪開催に合わせていろいろな産業を抑えることによって、人流を抑えさせる政策をとったから。「それで良し」というわけではないです。

われわれの産業が抑えられて、犠牲の上に成り立っている五輪です。あたかも実績であるかのように言われても困ります。レジャー産業だけの話ではなくて、オフィスワークの人も五輪期間中はリモートデイズというキャンペーンで抑えられている。様々な我慢があってこそなので、それでハッピーなわけではない。

──人流に関しては、Yahoo個人でも記事を配信されておりました。そこでは人流を抑えるという言葉がマジックワードとおっしゃっていて、それを言われると従わざるを得ないといった同調圧力が生まれてしまいます。

木曽 おっしゃるように「人流を抑える」という言葉は、僕らからするとレジャー産業全体が悩んできた用語であり表現です。具体的にどんな努力を重ねても、担当する責任範疇でどれだけ実績を重ねても、「人流を抑える」と言われた瞬間にその努力は全て無になります。

つまりは責任範疇外のところの責任を、レジャー産業に負わせている言葉です。「あなたたちが存在していることで」と外側で言われてしまうと、もはや対策をする努力自体が無になります。だからこそ私は、そういう表現はするべきではないとずっと言い続けてきました。

彼らは「人流を抑える」という一方で、五輪については万全を期すと言ってきました。しかし社会は「万全を期したところで人流が生まれてしまうだろう」と。そう言われた時に政府は、自分たちがずっと吐いてきた言葉だったので言い返せなかった。自業自得だと思います。われわれが感じてきた忸怩たる思いを、政府が受け止める形になってしまいました。

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