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「勝ってもブチギレてた」。“相当な”負けず嫌い橋本優也が現役引退後も“名古屋”にこだわり続ける理由とは。

“26歳”橋本優也の早すぎる現役引退の発表は、周囲に大きな衝撃を与えた。

現役引退のプレスリリースでは「いろんな声があると思いますが、これが自分なりの美学です」とコメントを残した。果たして橋本なりの“美学”とは。東京都出身の橋本はかつて名古屋オーシャンズサテライトのセレクションを受けるが一度は落選。1年越しのリベンジでサテライトに入団しトップチームで戦っていたが、橋本はなぜそこまで名古屋にこだわるのか。

そして、現役を退いた橋本は今、何を目標に定め行動しているのか。引退に至るまでの考えとこれから先のビジョンについて迫った。

僕は試合で負けるのがめちゃめちゃ嫌い

──突然の現役引退は大きな衝撃を与えました。この決断に至った理由は?

オーシャンズとの契約延長がなくて、他のチームに移籍しなければいけない状況だったので引退を決めました。

──他のチームに移籍さえすればまだまだプレーできるという声も多かったですがなぜ「引退」だったのでしょうか。

(地元の)東京から名古屋オーシャンズのサテライトに入るときも、「オーシャンズでしかプレーしない」と決意して名古屋に来たので、契約延長されないからといって今さら自分で決めたことを曲げるのは自分の中では違うなと。どこまで話していいかわからないのですが……オーシャンズから移籍していった選手に他のチームの話を聞いて、オーシャンズ以外のチーム状況に自分はあまり納得できないことが多々あった。なのでオーシャンズだけでプレーしたいと思っていたんです。

──納得できないというのは?

僕は試合で負けるのがめちゃめちゃ嫌いなんですけど、他のチームだと負けてもそこまで悔しがっていないことがあるみたいなんです。負けても試合が終わったあとみんなと平気で話して家に帰るみたいな。オーシャンズではそういうのがないですし、サテライト時代からそういう(勝ちに貪欲な)環境でやってきていた。なのでそうでない中ではやりたくないなと思って元々他のチームではプレーするつもりはなかったです。

──名古屋では引き分けでも負けたような雰囲気が漂いますよね。

むしろ、勝った後でも内容が良くなければ、みんなロッカールームでブチギレてるとかありますからね(笑)。それこそ、試合に出られなかった僕たちもイライラしていることもある。各々が勝って良しじゃなくて、自分がその試合で何ができたか。そういう環境はプロだからこそ当たり前なのかもしれませんけど、それで他のチームに行こうとはなりませんでしたね。

──勝ちに徹するメンタリティが名古屋の強みということでしょうか。

そうですね。実際にそのチームに入ってみないとわからないものはあったと思いますけど、決め手になったのはそういうところですね。他のチームから移籍してきた選手の話を聞いても「オーシャンズのこういう空気って特別だよな」ということを話していました。オーシャンズの強さの秘訣は“勝ちにどれだけこだわれるか”だと思っている。その状況を作り出しているのは櫻井(嘉人)GMをはじめ、スタッフの方々。そういう空気感があるからこそ選手にも自覚が生まれますし、やはりプロである以上は結果を残さないと僕のように契約延長されなくなってしまうので。

──国内移籍の選択は考えなかったとはいえ海外で挑戦しようとは思いませんでしたか?

海外だったらもちろんプレーしたかったです。ですがコロナの状況もあって海外に移籍するのは厳しかった。それに正直、昨シーズンの自分の実力を考えても、海外に行ったところで難しいだろうと思っていました。自分の力不足ではあったと思います。海外に行ったとしても試合に出られず、オーシャンズにいたときと同じようなシーズンを過ごしていたかもしれない。でも、行けるのであれば行きたかったですね。

──不完全燃焼な気持ちは。

まったくなかったです。試合に出られないからといって、僕は何かを怠っていたわけじゃなかったので。オーシャンズが試合をしている日は試合の映像を見たり、アウェイの遠征に行く選手が前日に移動する中、僕は一人で試合当日もフィジカルトレーニングをしていました。休みの日もみんなが試合をしている分、練習をして筋トレをしたりと試合に出られていなくてもやることはやっていました。それでも試合に出られないのは単なる自分の実力だなと思ったので、後悔とか不完全燃焼というのはないです。

──「1分でも1秒でもピッチに立てるならそこで結果を残す」とよく話していた中で昨シーズンはゼロゴールでした。

実力がある選手だったら少ない出場時間でも点が取れているはずです。これまでは自分も出場時間が多くない中で点を取れていたのでそのときはまだ実力があったんだと思います。ただ昨シーズンのゼロゴールというのは正直ヤバいですよね。「そりゃあ、契約延長してくれないよな」って思います。

──何がうまくいかなかったのでしょうか。

自分の中では練習とかでも調子は良くて。例年のシーズンよりは感覚的にも良くて、色々掴めてきたなというのはあったんですけど……試合に出たときあまりよくなかったというか、試合にあまり入れなかった。昨シーズンのオーシャンズは大勝した試合がほとんどなかったじゃないですか。そういうのもあって例年より出場時間も限られてきますし、試合感が落ちていったと感じていました。それに無観客試合もあったので雰囲気的にも練習試合の延長線上のような感覚。練習試合ももちろん試合と同じようにやってましたし、出てない時間でも試合の分析をしながら見ていつ出場してもいいようにと準備はしていました。だけど周りの雰囲気的にも乗り切れない部分がありました。

櫻井GMがいるからこその名古屋オーシャンズ

──キャリアを振り返って、今までに影響を受けた人物は誰かいますか?

櫻井GMからはかなり影響を受けました。勝利に対する貪欲さとか、選手に慢心させないようにハッパをかけるだとか、そういうところがすごいと思っています。あそこまで勝利に貪欲な人が上にいると下も自然とそうなるなと感じました。なので僕は櫻井GMが例えば下位のチームに行くとしたらその下位のチームは絶対に優勝争いをするようになると思うくらいです。櫻井GMがいるからこその名古屋オーシャンズだと思っていますし、その名古屋オーシャンズに魅力を感じていました。

──以前「スタッフも含めてこのチームは勝利に貪欲だ」と話していましたね。

完全にスタッフにも受け継がれていますね。上に立つ人が、そうした振る舞いをすることでみんなが危機感をもてますし、すごく大事な存在だなと思います。オーシャンズの勝利のメンタリティを語る上では絶対に欠かせない存在だと思います。

──勝ちに徹する性格の話として以前、ペラドン(ウォーミングアップのレクリエーション)でペドロ・コスタ前監督と喧嘩したというエピソードを聞きましたが。

あれは、みんなに聞いてもらってもわかると思いますが、あれはコスタが理不尽すぎましたね(笑)。僕は違うと思ったら意見を言うタイプなので、それがお互い衝突したという感じでした。でもまだコスタはちゃんと話をすれば話を聞いて返してくれる。ちゃんと話し合えばわかってくれるので、僕の中ではいい監督でしたね。

──話を聞いていると、負けず嫌いな性格ですよね?

相当です。何人の選手と喧嘩したかわからないくらいですね。練習でボールを回されてすぎてムカついて、削りいったこともありますし(笑)。いけないことだったと思いますけど、でも自分の性格はそういう性格だったので何も隠さずありのままでやってこられたスポーツ人生だったと思います。髪を赤くする以外は(笑)。

──髪を赤くする以外は?

櫻井GMから「若手のうちは目立っておけ」と言われたので染めました。最初は「マジかよ」と思いましたけど反響は大きかったので、後々考えると良かったですね。試合の前日に「染めに行ってこい!」と言われて髪を染めるのにイスに4、5時間座ってボーッとしないといけなかったので次の日の試合は僕も八木(聖人)選手も調子悪かったです(笑)。

──サテライトからずっと一緒にプレーしてきた八木選手や平田ネトアントニオマサノリ選手より先に引退することになりました。八木選手はSNSで「納得していない」と。

僕が辞めるにあたって、彼らがどう思っているかは僕の人生なので正直まったく関係ないと思っています。誰に何を言われても自分の決めたことが変わらないように、自分で決断をしてからみんなには話したので。そこは何も思っていないですけど、ああいうふうに(自分の思いをSNSで)八木選手や平田選手が発言してくれて「そういうふうに思ってくれたんだな」と自分にとってすごく嬉しいことでしたし「選手をやっていて良かった」と思えることの一つだったのは間違いないです。他にも仲の良い選手もいますが2人に何か伝えるのであれば、八木選手、平田選手のことはどんな選手よりも一番応援しています。

──引退を最初に伝えたのもその2人でしたか?

いえ、家族に電話しました。

──橋本選手のご家族はサテライトの合格を告げたときは泣いていたと以前話していましたが引退を告げたときの反応はいかがでしたか?

あまり悲しそうではなかったです。先ほど話したように家族にも相談はせず、引退を決めてから報告をして。第一声は「自分で決めたことだったらいいんじゃない」と。でも話しているうちに「正直やってはほしいけどね」とこぼしていました。ただ最後は「自分で決めたことだからその気持ちは応援する」と言ってくれました。

──改めてどんなキャリアを過ごしたと感じていますか?

自分の性格がモロに出たというか、「性格通り、衝動的にやってきたからこうなったな」というキャリアですかね。名古屋オーシャンズに入りたいと思ったのも僕は一番が好きだったので、一番優勝できるチームに行きたいという気持ちがあったからサテライトに入団することを決めました。サテライトには一度落ちましたけど、うまい選手がたくさんいたので余計に入りたい気持ちが強くなって、そこでまた闘争心が湧いて2度目で受かってトップチーム昇格を目指しました。

──そして、2016年にトップチーム昇格を果たしました。

そこからは5年間トップチームでプレーして、昨シーズンで契約を更新しないと言われて引退。先ほども言ったように自分の性格のまま、やりたいように生きてきたなと。なにもブレてないというか、自分の信念通り生きてるなと思いますね。でも生きていく上では時には信念を曲げないといけないときもあると思いますけど、自分がオーシャンズに関わってきたスポーツ人生では自分の信念をどうしても曲げられなかった。

──これまでのフットサルキャリアで、一番印象に残っていることは何がありますか?

今まで応援してくれていた家族の前でゴールを決めたこととか、優勝を決めた瞬間を一緒に味わえたことですかね。優勝が決まって家族は「やったー!」となっていましたが正直僕の中では優勝が決定する試合での出場時間は短かったので、素直に喜べないことはありましたがインスタグラムにも載せましたけど、家族と優勝カップを持っているあの写真とかは自分の中では思い出深い瞬間ですね。

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