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【2000~15ドラフト総検証:第2回】山田哲人と柳田悠岐を輩出した10年が最も豊作。一方で丸が指名された07年は“不作”に<SLUGGER>

15年にそろってMVPを獲得し、トリプルスリーを流行語に押し上げた山田(左)と柳田(右)は実はドラフト同期生。2人だけでPVを1000ポイント近く稼いでいる。写真:田中研治、徳原隆元
2000~15年のドラフト16年間で一番の豊作、すなわち入団した全選手の通算プレーヤーズ・バリュー(PV)が最も多い年はいつか? 答えは10年だ。PVは合計1722.8に達し、1968年(2858.5)、96年(2243.3)に次いで3番目の高水準だった。

指名された顔ぶれを見れば、この結果も納得だろう。この年は山田哲人(ヤクルト1位/通算PV495.7)と柳田悠岐(ソフトバンク2位/446.0)をはじめとして、秋山翔吾(西武3位/225.3)や西川遥輝(日本ハム2位/144.8)と各チームの中核となった選手が目白押し。千賀滉大(ソフトバンク育成4位/110.7)や大野雄大(中日1位/82.2)、澤村拓一(巨人1位・現レッドソックス/62.2)など、好投手も多く出ている。

先に挙げた選手のうち、ドラフト前にいわゆる“目玉レベル”と見られていたのは、中央大のエースだっだ澤村のみで、相思相愛だった巨人が単独氏名。佛教大の大野も注目されてはいたが、故障中とあって1位入札したのは中日だけだった。

むしろ、注目されていたのは早稲田大の大石達也と斎藤祐樹で、大石に1位指名6球団、斎藤に4球団と集中した。だが、周知のように両投手ともプロでは入団当初の期待に応えることはできなかった。しかし、大石を引き当てた西武は秋山や牧田和久(2位/67.9)、斎藤が入団した日本ハムは西川が活躍したので、両球団ともドラフト全体が失敗とまではならなかった。
この年が2000年以降で一番の成功となった理由は、言うまでもなく山田、柳田と「超」がつくスーパースター2人が生まれたからだ。何しろ、この2人の合計PV941.7は、これだけで年度別ドラフトの史上19位に相当するほど。第1回でも述べたように、山田は通算PVが二塁手としてはすでに史上最多で、柳田も外野手6位にランクインしている。

また、秋山も20年にメジャー移籍していなかったら、PVは200点台半ばまで達していただろう。15年にプロ野球記録の年間216安打を放ち、PV52.1。17年はそれをも上回る53.2で、両年とも柳田に次ぐ2位だった。

投手では、千賀が育成から常勝ホークスのエースにのし上がった。13年以降PVは9年連続でプラス。11勝、防御率2.16、149奪三振の三冠に輝いた20年に、自己最多の22.9を記録した。この年のソフトバンクの育成指名は、千賀に続く5位が牧原大成、6位が甲斐拓也で育成ドラフト史上最高の成果となっている。

大野も勝ち星こそ11勝がキャリアハイで、通算でも76勝78敗と負け越しているが、19・20年は2年連続で防御率1位。PVは19年が25.8でリーグ8位、沢村賞に選ばれた20年は33.3で6位だった。 10年に次いで2番目の合計PV1619.7を記録したのは06年で、こちらも史上5番目の大豊作。10年は大成功だったチームがある一方、合計PVが10に満たないチームも5つあるなど格差が大きかった。その点、06年はPV70以上が8球団あって、10未満は3球団しかない。平均的にどのチームも収穫があって、こちらの方が本当の意味で実りがあった年と言えるかもしれない。

06年は指名対象が高校生と大学・社会人に分かれる分離ドラフトの時期に当たり、坂本勇人(巨人1位/通算PV533.5)を筆頭に、田中将大(楽天1位/190.2)、前田健太(広島1位/186.4)、梶谷隆幸(横浜3位/133.7)、會澤翼(広島3位/114.4)ら、高校生ドラフトで指名された選手たちが大成功を収めた。

田中は伝説の24勝0敗を記録した13年にリーグ1位のPV54.1。この数字は、パ・リーグの投手では80年の木田勇(66.4)以来32年ぶりの高水準だった。前田も12年から4年連続で10位以内に入り、2人がメジャーリーグへ行っていなければ10年に匹敵する結果になっていた可能性もある。

大学・社会人ドラフトでは岸孝之(西武1位)の136.7がトップ。11年に防御率0.41でPV25.9を記録してMVPにも選ばれた浅尾拓也(中日3位)も通算65.0を稼いでいる。阿部慎之助(巨人1位/664.3)、中島裕之(西武5位/305.5)、内川聖一(横浜1位/121.5)が輩出した00年のドラフトも豊作で、総PV1320.5は史上8位だった。
青木宣親(ヤクルト4位/317.5)、鳥谷敬(阪神自由枠/314.1)の早稲田大コンビに、近畿大の糸井嘉男(日本ハム自由枠/304.3)と大学生の当たり年だった03年も9位の1259.6といったように、2000年以降のドラフトは豊作年が多い。

では逆に、この期間で「最低」のドラフトだったのはいつだろうか。数字上では、岡本和真(巨人1位、通算PV87.6)らが指名された14年になる。合計PV288.9は、65年以降51年間のドラフトでは48番目の低さだ。

もっとも、この年の選手たちは指名からまだ7年しか経っていない。高卒でプロ入りした選手たちがようやくレギュラーに定着する頃で、事実、宗佑磨(オリックス2位)や淺間大基(日本ハム3位)は21年に初めて規定打席に到達した。

通算PV31.2の中村奨吾(ロッテ1位)や、同20.8の栗原陵矢(ソフトバンク2位)らも、今後数字を伸ばしていく余地は十分に残っている。とは言っても、前年の13年は3倍以上の合計PV915.5、翌年の15年も2倍近い545.2を記録しており、その意味ではやはり不作に数えられても仕方がない。

ある程度結果が固まっている年では、07年が合計PV514.3と低めだ。しかも、PV322.1の丸佳浩(高校ドラフト広島3位)がいながらこの数字。丸と宮西尚生(日本ハム大社2位/PV90.1)以外には、PV40に達している者すらいない。この年一番の目玉で、高校1位で日本ハム入りした中田翔も21年の大不振(−11.1)が響いて通算10.5まで下がってしまった。PVマイナスのチームも5球団あって、外れ年と言わざるを得ないだろう。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB——“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球「ドラフト」総検証1965−』(いずれも言視舎)。

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