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「順風満帆な“地域生活”を捨ててFに再挑戦。仙台に向かう道中は、不安で仕方がなかった」【Fの主役は俺だ!全チームインタビュー|加藤翼|シュライカー大阪】

Fリーグ ディビジョン1、12チームの監督&注目選手を対象にした全チームインタビュー。題して「Fの主役は俺だ!」。コロナ禍を乗り越えてきた各チーム、各選手に、終盤戦への意気込みを聞く。

この1、2年で、瞬く間にFリーグにその名を刻む男がいる。シュライカー大阪の加藤翼だ。昨シーズン、ヴォスクオーレ仙台で19点を奪った男は、今シーズンから大阪に加入。大阪サテライトでプレーした2014年以来、6年ぶりのカムバックとなったが、前線で起点となるプレーや、自ら相手ゴールを脅かすプレーで違いを生み出し、ピヴォとしての存在感は日を追うごとに増している。

しかし、彼は決して順風満帆ではなかった。

一度は、デウソン神戸の選手としてピッチ立ったが、その後Fリーグをあきらめ、地域にカテゴリーを落とした。関西リーグに所属するフエルテ大阪では、チームの代表兼監督兼選手という、全てを担う重要人物となった。しかし加藤は2019年、もう一度Fリーグで戦うことを選んだ。

それはなぜなのか?

そこには、並々ならない決意があった。後には戻れない覚悟があった。加藤翼の知られざる生き様に迫る。

取材・文=舞野隼大、本田好伸
※インタビューは1月7日に実施しました


シュライカー大阪|永井義文監督のインタビューはこちら
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仙台でのFリーグ挑戦がラストチャンスだった

──ここまでのパフォーマンスを振り返るといかがですか?

昨シーズンと比べても難しいですよね。良いコンディションになってきたところで新型コロナウイルスのクラスターが発生してしまい、チーム活動が1カ月休みになってしまいました。そして復帰から1週間後に試合。最高潮のパフォーマンスをほぼ出せていないという状況です。

──休止期間中はどんな様子だったのでしょうか?

メンタル的にきつかったですね。日頃から消毒やマスク着用などを徹底していましたが、それでもチームから10人の陽性判定が出てしまいました。ずっと外には出られなかったので家にいました。

──復帰してすぐ、4週間ぶりとなる11月29日のY.S.C.C.横浜戦は全員が重そうでした。

間違いなく体が動いていなかったですね。

──今シーズンは(取材時点で)5得点です(2月114日時点で11得点)。

少ないですし、自分が目指す数字としてはダメですね。

──ただ、ゴール以外に、ピヴォで起点となったり、アシストをしたり、かなり際立っています。

仙台ではどちらかといえばフィニッシャーでしたが、大阪では、味方のレベルも高いですし、僕がフィニッシュするだけではなく、僕を使って決めてもらうことも増えました。タメをつくったところにうまく顔を出してくれる選手が多いので、状況を認知して選択できるので、アシストは増えていますね。

──加藤選手は以前サテライトでプレーしていて、仙台から今シーズン戻ってきました。念願がかなったということですよね。

大阪からオファーをいただき、素直にうれしかったですね。

──やはり大阪のトップチームに戻ることが目標だった。

そうですね。大阪出身ですし、戻りたいけど、伝統も実力もあるクラブなので、僕の気持ちだけでは戻れません。だからこそオファーはうれしかったです。

──大阪サテライトからデウソン神戸でデビューしましたが、そこから関西リーグのフエルテ大阪へ移りました。Fリーグではなく、なぜ地域へ移籍したのでしょうか?

デウソン神戸では、僕自身が戦えていませんでした。心も体も未熟だった。1カ月間サテライトに行けと言われたのですが「それだったらいいです」と退団して、フエルテに行きました。

──その後、フエルテで3年ほどプレーして、再び仙台でFリーグへ。どうして再挑戦しようと?

大阪時代の同世代は、年下ですけど、堀内迪弥や田村友貴、水田貴明、檜山昇吾とかがいます。それに、Fリーグ選抜やサテライトで活躍していたり、結果を出して日本代表に選ばれたりする選手が出てきたり……僕は地域で続けようと思っていましたが、心のどこかでは「Fリーグでやりたい」、「結果を出したい」という気持ちがありました。だから、25歳の年にラストチャンスと腹をくくって仙台に行きました。

──仙台では最終的に19点を挙げてブレイクしていた印象です。

3巡の戦いの最中で監督交代もありましたし、さまざまな側面からコンディション調整が難しかったですね。1巡目はミスを恐れていましたし、うまくフィットできないまま2得点。でも、2巡目、3巡目は本来の持ち味を出せ流ようになりました。少なからず、1年でみんなに顔と名前を覚えてもらえたかなと。

自分の中で日本代表が近くなってきた

──この先は、日本代表もより現実的な目標になるのではないかと思います。

仙台の頃から日本代表への思いはあったのですが、なりたいという気持ちだけで、まだ現実的ではありませんでした。今のチームで、(元日本代表でもある)永井(義文)監督と話しているときに必ず「日本代表」というワードが出てくるので意識できましたし、僕の中でその場所が近くなってきた感覚です。

──永井監督はどんな監督ですか?

表裏がなくて、熱いですね(笑)。ただ、試合に向けてかなり分析していますし、1%でも勝てる材料があるなら必ずそれを試す監督だと思います。

──永井監督はピヴォだったこともあり、アドバイスを受けることもありますか?

いろいろと教えてくれますが、選手には一人ひとり異なる型があるので、押し付けないですね。「翼には翼のスタイルがあるから、引き出しとして持っておきなさい」と。ただ、本当にピヴォのスペシャリストなので、話を聞いて吸収して、成長してやろうという気持ちがあります。

──改めての質問になってしまいますが、自分の強みはどこだと思いますか?

ゴール前での引き出しの多さだと思っています。その場面で、シュートなのか、パスなのかなどですね。今シーズンもそうですけど、ゴール前で思い切り打って入ったシュートは多くありません。どちらかというとタイミングを外して、相手の逆を突くようなシュートが得意だと思っています。

──たしかに、シュートの前にパスをもらうシーンから駆け引きをしていますよね。相手をよく見て、足元のうまさよりも駆け引きで勝っていく印象はあります。

そこはすごく意識しています。日本代表に入り、世界の相手と戦う際には1対1で勝てないことも出てきます。ボールを受ける前から勝負しないといけないと考えて毎日トレーニングしています。

──終盤戦に向けた意気込みを聞かせていただけますか?

この企画にあるように「主役は俺だ!」ってずっと思っています。でも、結果を残さないといけません。大阪自体も、本来であればこの順位にいるチームではないと思っています。それに、外国人選手が抜けたから弱くなったと言われるのも嫌です。だからチームのために結果を残し、自分自身も日本代表に入りたいです。

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